スラムにて 1−1

 ジュディは、日の傾きかけたサウストの街を走っていた。その足は、繁華街を抜け、店や人通りが徐々に閑散としてくるその先の、サウストのスラム街へ向かっている。


(あの時確かにお姉ちゃんは、少しヘンだった……)


 あの日、姉と話をした時のことをジュディは思い出す。


 スパークルの閉店間際、姉のユエルが何の前触れもなくジュディを訪ねてきた。実に8年ぶりの再会である。「お姉ちゃん!」と叫んで、ジュディは目に涙を浮かべてユエルに抱きついた。ユエルも優しくジュディを抱きしめてくれた。


「ジュディ、元気そうで良かった……」

「お姉ちゃん……! どうして……。病気はしてない? ちゃんと食べれてる? いま何してるの? まだあのお屋敷に住んでるの?」


 カザで生まれた2人の、生き別れを経た再会だった。突然の感動で胸がいっぱいになり、聞きたいことが次々と溢れてしまった。

 ユエルは困ったように微笑んでから言った。


「ジュディ……どこか、外に出れない? そこで話しましょう」


 ユエルはもともと身体が弱く、2つ下のジュディよりも小柄で、性格もずっと大人しい。ジュディとユエルを比べては、どっちが姉だか分からないと言われることがよくあった。

 しかし8年ぶりの再会なのだ。いくら大人しいユエルとはいえ、もっと再会を喜んでいる反応を見せても良かったはずなのである。ユエルは最初から、確かにどこか浮かない表情をしていた。しかし再会の喜びを当然のようにユエルに求めていたジュディは、店の近くの噴水広場に移動した後、そんな事おかまいなしで自分の話をしたり、ユエルの近況を尋ねたりした。


 陽の落ちた後の噴水広場は、昼の賑やかな時間には気にならない噴水の音が、うるさく聞こえるほど静かだった。持っている壺から水を流し続ける噴水の石像が、月明かりに照らされながら不気味にこちらを見ていた。


「ジュディはあの後、しばらくカザで仕事をしたよ……。お姉ちゃんのことは、警察に捕まっちゃった、って言っておいたから。それから仕事の途中でうまく逃げて、いろんな街や国に行ってみたけど……、お金はないし、足元見られちゃって働く場所も見つからないし。不法入国とかで捕まっちゃったり、そこからまた脱獄したり……へへ、いろいろ大変だったなぁ。でね、もうヘロヘロになってサウストの街にたどり着いたらさ、すっごく可愛い宝石店があったんだ。お姉ちゃん、覚えてる? まだ小さい頃、私たち宝石見てもそれが何か分からなくて、宝石のことキラキラの石って呼んでたよね。いつかキラキラのあるお家に一緒に住もうって言ってたよね」


「うん、言ってたね。お金持ちの家に、キラキラの石がたくさんあったから。それを盗まなくても、たくさん手に入れられるくらいお金持ちになろうって話をしてたわね」


「あはは、そうそう。それでそれを思い出しながら、窓からそのキラキラを見てたら、運よくそこの店長がジュディを拾ってくれたの。住む部屋まで貸してくれるって」


「そう……。親切な人に出会えたのね」


「うん! 店長はちょっとだらしがないけど……すっごくいい人だよ! アクセサリーも本当に可愛いんだ! お姉ちゃんにも後で見せてあげるよ! ……で、お姉ちゃんは今何をしているの? ジュディが20歳になったら、あのお屋敷に迎えに行くって言ったのに。ジュディはまだ18だし、どうしてここが分かったの?」


 別れの日。

 ユエルとジュディは、カザで属していた派閥「レオ」の命令で、カザから山を越えたサウストの、その隣国にある屋敷から金品を盗みにきたところを、屋敷の主人に見つかった。だがその屋敷の主人は心の広い人間だった。まだ幼い二人を見て、この姉妹の置かれた状況を察した主人は、使用人としてここで働けばこの件を見逃すと言ったのだ。この生活から逃げ出したかった2人にしてみれば、願ってもない話だった。しかし2人とも残ればレオの連中が怪しむ。この屋敷にも迷惑がかかるような気がした。そう思ってジュディは、体の弱いユエルをそこの主人に任せ、自分はカザに戻ったのだった。自分はユエルよりも体力的にも精神的にも強い自信があった。そして20歳になるまでにまともになって、住める家を用意しておく。そして20歳になったら迎えにくるからと約束をした。

 ユエルもこれで盗みを働くことはなくなるし、もう罪を犯す事をしないと誓った。


 ユエルは少し黙ってから、静かに答えた。


「あの時のお屋敷の人は、あれから2年くらい経って、病気で死んじゃった。その後継の人は、その人とは大違い。厳しくて怖くて……だから私、サウストまで逃げてきてしまったの。今は織物屋で雇ってもらっているんだけどね、一緒に働いてる人が、私によく似た子が宝石店で働いてるって教えてくれたの」


「そうだったんだ……って、じゃあ今どこに住んでるの?」


「……あの辺りは、少し物騒だから。ジュディに会いにいくときは、私から会いにいくね」


「え、何それ! 私たち、カザに住んでたんだよ? こんな街、物騒のうちになんか入らないよ」


 カザの話の時だけジュディは声を潜める。辺りには誰も居なかったが、自分の素性が明るみに出ないようにと身につけた癖だった。


「いいから」


 そう微笑んで、ユエルは結局住んでる場所を教えてはくれなかった。


 それから2人は再びスパークルへ戻った。そこでユエルは店や商品の感想もそこそこに、自分が作ったものだからと言ってあの玄関マットをくれた。ぜひここに敷いて欲しい、と。まだ働き始めたばかりのジュディも少し困惑したが、マットのデザインは店の雰囲気と合わないこともないし、店長なら何も言わないだろうと思い、ユエルの申し出を受け入れたのだ。


 そしてユエルはジュディの両手を包むように強く握って言った。涙を浮かべた、強い眼差し。せっかくの再会だというのに、まるで今生の別れのような悲痛な表情だった。


「ジュディ、お姉ちゃんはもう大丈夫だから。私をお屋敷に置いて行ってくれたこと、本当に感謝してる。でも、ジュディはつらかったよね……、本当にジュディには助けてもらってばっかりで、一度も、お姉ちゃんらしいことしてあげられなくて、本当にごめんね」


 話しながら、彼女の目から大粒の涙がポロポロと溢れていく。


「うわわ、ちょっともぉ~、泣きすぎだよ! 急に!! たった一人の家族のためならなんだってするよ、謝らないでよ。これからはいつでも会えるんだから!」

「ジュディ……」


 ユエルはそれ以上は何も言えないで、でも下を向きながら涙を拭って、こくこくと一生懸命頷くのだった。

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