宝石店にて 2−4

「きっとお姉さんの元へ行ったんです! 早く追いかけましょう!」


 ジュディに残された3人は工房を出た店の中に移動した。サウストの織物屋、と呟きながらエレナは自分が知る店を思い出していく。そんなに多くはないはずだ。


 そしてエレナが今にも店を飛び出そうした、その時。

 背後から鋭い殺気を感じた。

 ぞくりと心臓が縮むような感覚。

 なぜ今、ここで? と考える間もなくエレナの身体は反応する。その鋭利な殺気を振り向きざまに身を倒して躱すと、腿に巻きつけてあるベルトから拳銃を抜き、その殺気の正体――ロイの顎下へ拳銃を突きつけた。


「何をする!」


 エレナは肩を上下させながら声を張り上げた。最低限の動きだけでロイを牽制したためエレナの膝はまだ床についたままだ。次の行動へ出るための一歩が遅れるかもしれない。必死で次の攻防について頭を巡らせた。ロイの行動の意図など考える暇はない。どうせ考えてもわからない。背後で口を開けている店長も守らなければならない。仲間はいない。

 ところがロイは、エレナの後ろ姿へその刀身を突き出したままの格好で動かなかった。

 そして目だけをエレナの方へ向けてニヤリと笑って、軽く両手を挙げて剣を納めた。


「やるじゃねぇか。ま、このレベルならなんとかなるか。お前は、ここで店番してろ」

「は……、はあぁ!? アナタ、さっきから一体なんなんですか! 本気だったでしょ今の! どういうつもりよ!!」

「まぁまぁそう怒んなって。いいじゃねぇか、生きてんだから」


 死んでいたらどうするつもりなのか。なぜこんなことをするのか。なぜ店長がいるのに私が店番をしなければならないのか。ジュディを早く追いかけなければならないのに。言いたいことたちが渋滞を起こして喉からなかなか出てこなくて、エレナは口をパクパクさせるばかりだ。


「なぁ、テンチョー。あの女の出身、カザだろ」


 そんなエレナを無視して、ロイは店長に尋ねた。店長も先ほどの出来事に驚いたに違いなかったが、胸を押さえながら何とか落ち着きを取り戻しているようだ。


「あ、あぁ……彼女の生い立ちについては、あまり触れてないんだ。でも、豊かな暮らしを送っていなかったのは、確かだろう」

「カザ……ってあの、盗賊の街、カザ・シティのことですか?」


 エレナはロイに尋ねる。店長はだいぶ回りくどい言い方をしたが、生い立ちについて触れられないということ、カザという地名を聞いても驚かないあたり、既に何かを悟っているように見えた。

「あぁ、でけぇスラムのでけぇ犯罪集団だな。手に負えねぇからって放置された挙げ句勝手に独立して、盗みの仕事とその盗品だけで生活してるみたいなとこだ。食いもんも、こういう鉱物も取れるような場所じゃねぇ。その上ガタイと頭がかてぇ奴らが多いからな。そういう生き方しかできねえんだろうよ」


 盗賊の街。捨てられた街。踏み入れてはいけない場所。サウストより南に位置する砂漠の街、カザ・シティには様々な呼び名があった。サウストにもスラムはある。だがカザ・シティはサウストと違って取り締まる者さえいない。

 小さな都市だったカザ・シティは過去の戦争でほとんど壊滅状態に追いやられ、戦勝国にその土地を奪われた。だがもともと治安が良くなかったカザ・シティの先住民たちの素行は悪く、富を手にした戦勝国の者たちへの犯罪が絶えなかった。その犯罪規模は増していくばかりで、やがて内戦に発展する。手に負えなくなった戦勝国は、20年ほど前についにカザ・シティを放棄、撤退した。そしてカザ・シティは巨大な犯罪組織として独立してしまい、今日様々な国に現れては悪事を繰り返しており、その標的になっているのは、サウストも例外ではない。


「どうしてジュディさんがそこの出身だって分かったんですか?」


 確かにカザ・シティの出身ともなれば、エレナが訪ねてきたときにジュディが挙動不審だった理由は分かる。だが彼女が普段見せる人懐こい笑顔は、普通カザ・シティの凶悪なイメージとは結びつかない。


「さっき手を触ったろ。その時にアイツがはめてた手袋をとったんだよ。手の甲に刺青があった。まぁ普通の奴が見たって何の印かは分かんねぇだろうから油断したのかもな。カザの中でも色んな派閥があんだよ。で、それぞれの派閥共通の証を身体のどっかに入れられる。どんくらい凶悪な派閥かまでは分かんねぇけど、カザの奴らは殺しも慣れてるぜ」


 殺しという言葉にエレナは身を竦める。ジュディがそのような派閥に属していて、もし今もその派閥に協力しているとしたら……悲しい。警察官の立場から見ても、素直にそう思う。どんなに良心的な心を持っていたとしても、どんな理由があったとしても、罪を犯せば罪人だ。もし強盗殺人をしているとなれば、庇ってやる事などできない。それをカザ・シティに生まれたことで強いられてしまっていたなら、やり切れない。世界の残酷さを、エレナは何度も目の当たりにしてきたが、いつまでもそれに慣れることはない。


「でも、ジュディはいい子だよ」


 店長が言った。相変わらず穏やかな表情をしていた。だがエレナとロイを見つめるその眼差しには、毅然とした温かい確信が灯っている。


「あのなぁ、いい子って何なんだよ。そういう思い込みが命取りなんだっつの。いい子だろうがなんだろうがな、笑顔で人を殺せるやつなんてこの世界のどこにでもいる」


 ロイは冷たく言い放った。悲しいけれど、ロイの言う通りなのだ。エレナが思っていたジュディの人懐こいというイメージも、罪を犯すこととは関係ない。


「彼女は心から僕の作品を気に入ってくれている。僕を信頼してくれている。ジュディが何者だろうと、僕はジュディを大切にしたいと思ってるよ。その覚悟はできてる」


 ロイは頭を掻いて店長に背を向ける。ロイが見てきた世界を、エレナは知らない。ただ、彼の前科の情報や、スラムの事情に詳しいあたり、ジュディと同じようにそういう存在と身近に関わってきたのかもしれないと、何となく思った。


「ま、俺だってアイツが何者だろうと関係ねぇけどな。俺は俺の仕事をするだけだ」ロイは二人へ指をさした。「おい、さっきの布、もっかい玄関のとこに敷いとけ」


「えっ、どうして……ていうか、何で私が店番なんですか? 何でさっきあんなことしたんですか! 死んだらどうするんですか!!」


 喉の渋滞が時間をかけて緩和され、詰まっていた言いたいことたちが、ここぞとばかりに飛び出した。


「だから、手だよ」

「え?」

「お前の手、どう見ても椅子に座ってペンだけ触ってるようなゴツさじゃねぇ。ま、手ぇ抜いたとはいえ、あの距離で俺の動き躱せるやつはそういないからな。なかなかいい手してるぜ、あんた」


 それで自分は試されたのか、とエレナは納得しかけたが、下手したら致命傷は免れなかったはずだ。しかし自分の嫌いなゴツい手を初めて褒められて、エレナは恥ずかしさと照れ臭さで口をモゴモゴさせるだけで、何も言えなくなってしまった。思わず両手を見つめてしまう。いや果たして手がゴツいことを褒められることは女として良いことなのか?

 エレナがあれこれ考えているうちに、気づけばロイは店を出ていた。


「あっ!ちょっと……」


 しかしなぜ店番を頼まれたのだろう。そう思っていると、店長が玄関にマットを敷いた。


「じゃあ、店番、よろしく頼んだよ」


 一連の流れを全く感じさせない店長の笑顔は、宝石を照らす日差しみたいに温かい眩しさを放っていた。

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