宝石店にて 2−3
店の玄関を施錠してから、エレナは玄関マットを持って奥の工房へ入った。
工房の中は狭く薄暗く、店長とジュディとロイ、そしてエレナが入ると、もうほとんど歩き回るスペースはない。おまけに工具やら未完成品やら様々なものが転がっており、どこに何があるのか把握しきれない。何かにぶつかってしまったり、踏んでしまわないようにエレナは注意深く足元を見ながら進む。店長だけが全てを把握している、秘密基地のような空間だった。
「あぁ、じゃあ彼女のはどうかな?」
一番奥にいた店長が、エレナを見るや否やすぐにそう言ってきた。何のことだか分からないまま、なぜかロイがエレナの方に近づいてくる。そして彼は乱暴にエレナの手を取った。
「な、何ですか?」
ロイは何も言わずにエレナの、玄関マットを持っていない左手の指を触る。それからロイは少し何かが引っかかったような、そんな表情をしてから、その手を握ってみたり、開いたりする。
エレナは訳も分からずだんだん恥ずかしくなってくる。顔が赤くなるのを感じるが、この薄暗い空間でそれが気づかれない事を祈った。
一通り触った後ロイはふいとエレナに背を向けて、店長の方を向いた。
「違ぇな。アイツの指はこんなにゴツくねぇ」
「な」
エレナはロイに弄ばれた手の形のまま固まった。羞恥やら怒りやら、何が何だか分からないままの感情でさらに顔が熱くなり、プルプルと身体が震える。
「ヒドーい! 女の子にそんな事言っちゃダメです!」
「はぁ? そのまま言っただけじゃねぇか。他にどんな言い方があんだよ」
「えっ。お、男らしいとか……? だ、大丈夫ですよ! 店長ならどんな指にもあった指輪作れますから!」
ジュディがフォローになってないフォローを入れたところで、涙目のエレナの怒りが噴出する。
「わわわ悪かったですねぇ! ゴツくて汚くて太くて全然女の子らしくない手でっ! もう! 一体なんなんですか!!」
「そこまで言ってねぇだろ……」
「この人、指輪あげたい女の子がいるのに、サイズ聞いてないんですって! それでアタシたちの手の感触でサイズ感調べてもらったんですけど……アタシの指よりも細いかぁ。結構華奢な彼女さんなんですねぇ?」
「か、彼女……? 指、輪……?」
ウキウキしているジュディとは反対にエレナは呆然とした。先ほどの怒りの天辺から一気にバケツで水をかけられたような気分だった。
まさかこの警察を引っ掻き回すような男が愛する女のために指輪を? いやそれは自由か。いやいや彼は犯罪者なのだ。不幸な被害者を出した者が、悠々とここで自分の幸せのために指輪を作ろうとしている。
(どんな彼女だよ……)
色々な考えが頭でぐるぐる回り始めたが、最終的に頭の中で一番思ったことはそれだった。
そんなエレナの混乱などお構いなしに、ロイは店長と指輪の話を進める。なるほど彼が宝石強盗を探すことになったきっかけ、「裏」はここにあったのかとエレナは納得――
「いや納得できませんよ! 結局自分のためじゃないですか!!」
「当たり前だろ。俺が無償で警察に協力なんかするかよ。ま、遅かれ早かれ捜査する事件なんだろ? さっさと解決しちまおうぜ。で、なんか分かったのかよ」
くううとエレナは唸る。無償だろうが有償だろうがそもそも協力を頼んだ覚えはない。しかし始めてしまった捜査を途中で投げ出すわけにもいかない。結局ロイの思惑通りに自分は動いてしまっているのだ。
しかもこの和やかな雰囲気。他にももっと困っている人はいるだろうに!
エレナが苦悩していると、ジュディが疑問を口にした。
「ところでおまわりさん、なんでウチの玄関マット持ってるんですか?」
エレナはハッとして、よくぞ聞いてくれた! と思った。そして怒りを無理やり心の底に閉じ込めて、気持ちを切り替えた。そう、他にも困っている人がいるのだ。ならば早くこの事件を解決して、他の被害者のために働かなくては。
「そ、そうだ、この玄関マットが置かれたのはいつですか!?」
エレナは店長に向けて玄関マットを広げる。
「あぁ、それはジュディが敷いてくれたんだよ。もともとは何も敷いていなかったからね。だから、えぇと……」
「今から1週間くらい前ですかね? それ、姉が持ってきてくれたんです。姉がサウストに越してきて、織物屋さんで働き始めたってことで、アタシに会いにきてくれたんですよ。それからしばらく喋ったあと、アタシが働いているこのお店の事を紹介しようと思って、ここに連れてきて、その時に……良かったらこれをって……」
エレナの表情が曇る。ジュディも喋っている途中で何かを悟ったのだろう。だんだんと声のトーンとスピードが落ちていった。そして何か思い出したのか、胸を押さえた。
「あ、アタシ……その時に、店長が買い出しでいない日のこと喋っちゃった……かも。初めて一人で店番だって」
それから彼女は恐る恐るエレナの目を見る。
「その玄関マットに何か、あるんですか?」
「……このデザインそのものが魔法陣になってるんです。この月と花が魔法陣を形成する円。中の陣形はよく見ると、起毛した生地と同じ色の糸で、下地に縫われています」
店長はマットを手に取り、顎髭を撫でながら感心したように唸っている。
「なるほど……。確かに玄関マットにしては妙に凝ったデザインだとは思ったんだけど。他に魔法陣を探しても見つからないわけだ」
「なんだよ、お前の身内が犯人かよ」
「違う!!」
ロイに言われた瞬間、ジュディはロイを睨みつけて怒鳴った。今までのジュディとは違う声に、エレナはビクッとしてしまう。
「そんな訳、ない。ないですよ! きっと何かの間違い……」
ジュディは徐々に弱々しくなり、自分に言い聞かせるように呟いた。
「だって、約束したもん」
絞り出したようなその小さな声は、一番近くにいたエレナにしか聞こえなかったかもしれない。
「ジュディ!」
店長が叫んだが、ジュディは振り返らずに工房を出て、そのまま走り去ってしまった。
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