警察署にて 1−1

 サウストの警察署内は事務仕事に追われる職員たちが今日も屍のように働いている。

 ここ数年で経済成長を続けているサウストだが、富を得られた者と得られないでいる者の差は開く一方で、それに比例して犯罪も増えていく。そして警察署の仕事も当然増えていく。

 机の上の山のように積まれた書類は一向に低くなる気配がない。バカンスと言ってもうかれこれ3ヶ月も帰ってこない通称無能署長の机の書類は、今日ついに雪崩を起こした。仕事ができると評判のエレナの机さえ例に漏れず、調査書や依頼書、報告書など、様々な書類で机の面積は狭くなっていく一方だった。

 しかし今日こそ一山片付けよう、そう意気込んだ矢先、エレナは出鼻を挫かれた。


「よぉ、ジゼルいるか?」

 

 窃盗恐喝常習犯、この山積みの書類の一つの原因にもなっているロイが自ら警察署にやってきたのだ。

 一瞬筆の走る音がピタリと止み、署内は静まり返った。まるで友達の家にでもやってきたかのような彼の登場に、何が起こったのかすぐに理解できなかったのだろう。それはエレナも同じだったが、次の瞬間にはエレナも含めその場にいた職員全員が一斉に立ち上がり、彼に拳銃を向けた。しかし彼は眉ひとつ動かさず、ズカズカと室内の中心へ歩みを進めてくる。


「やめとけって。テメェらに用はねぇんだ。撃ったところでどうせ当たんねぇよ」

 

 窃盗、恐喝だけでしかこの町では報告されていないが、彼は凶悪な殺し屋だったという情報も入っている。もし出会った際には最大限の警戒をと呼びかけられていた。誰もが行動を起こすタイミングを見計らっており、緊張の糸が署内に張り巡らされていく。

 

 だが——


「お、ロイじゃーん! おっつー。何しにきたの?自首?」

 

 その糸は凛々子によって全て容易く切られてしまった。

 捜査が終わって外から帰ってきたのだ。彼女はこの張り詰めた異様な空気のことなど気付く様子もまるでなく、ロイと同じように友達に挨拶するかのような気軽さで、気の小さいエレナは少し羨ましいとさえ思った。


「違ぇよ! ジゼル出せって言ってんだ」


「わざわざ自分から出向いて捕まりに来るとはな」

 少し遅れて、ジゼルが入ってきた。


「ボ、ボス! お疲れ様です」

 

 署内の一同は拳銃を下ろし敬礼をしながら、安堵の表情を浮かべた。皆がボスと慕うジゼルは、無能署長が不在の時に皆を取り仕切っている。とは言っても、無能署長がいたところで皆が判断を仰ぐのはジゼルなのだが。

 

 現在のエレナは事務仕事が中心なため、ロイと直接関わりを持つことはないのだが、この2人はロイと何度も逮捕劇を繰り広げている。が、彼の身体能力は人間離れしているそうで、一度も逮捕に成功したことはない。しかも最近はどういうわけか彼のバックに騎士団の人間がついているらしく、騎士団の下で働いている警察としては手が出しにくくなってしまった。そういう事もあって彼は警察を舐めきっており、逃げるどころか、こうやって逆にちょっかいをかけてくる事も増えてきた。明るく人懐こい凛々子に至っては、親しみさえ感じられる仲になっているほどだ。それがジゼルの調子をことごとく狂わせ、逮捕失敗の原因にもなっている。


「よぉ、来たか。三日前に宝石屋で強盗があったろ。入ってる情報全部俺によこせ」

「断る」

「おい早ぇよ、返事がよ。ちったあ理由も聞けってんだ。テメェらがちんたらちんたらやってっから俺が手伝ってやるっつってんだよ」

「誰のせいで仕事が増えてると思ってるんだ!」

 

 ジゼルやみんなの混乱した反応とは真逆に、凛々子は嬉しそうに入り口と反対側にある壁際の自席へと向かい、積まれた書類から早速その強盗事件の被害届を探し始めている。

 ジゼルはそれを見ないようにしてロイと会話を続ける。


「そもそも強盗はお前だろ。なんで警察が強盗に強盗逮捕を頼むんだよ。どうせなんか裏があるんだろう」

「なんでもいいだろ理由なんて。大事なのは、その強盗が逮捕される事だろ? 強盗は檻に入って、宝石は元に戻って、テメェらの仕事も一つ片付く。いい事尽くしじゃねぇか」

「そーだよ、ウィンウィンじゃん! もーシルヴァもカタいこと言わないでさぁ、ホラ、こーいうのはロイみたいなその道のプロに任せた方が逆に上手く行くんだって。凛々子たちだって手一杯だしー、泥棒の手も借りたい時だってあるじゃん?」


「凛々子は黙っててくれ。まず、なんでお前はこの強盗事件を……」とブツブツ言いながらも、ジゼルはさり気なく仲間たちに目配せをする。凛々子とロイ以外の人間に、再び緊張が走る。会話でロイが引きつけられている隙に、ロイから一番近い者が小型の麻酔銃をポケットから取り出し、彼の死角斜め後ろから狙いを定める。

 そしてジゼルの襟を正す仕草を合図に、麻酔銃の引き金が引かれた。

 

 が、同時にロイの姿がその場にいた全員の視界から消える。そして身構える間もなく、気付けば凛々子の机の上にあった書類が勢いよく舞い散っており、その中心、机上にロイが立っていた。その間に1秒もかかっただろうか。壁に虚しくできた銃痕を見ながら、エレナの背中に冷たい汗が伝った。これはいつものことなのか、ジゼルは特に驚いた様子もなくため息をつくだけだったが、他の仲間たちはエレナと同じように目を白黒させて呆気にとられている。

 しかし当の本人はといえば、麻酔銃を向けられた事も、静まり返る室内もまるで気にする事なく、例の書類を見つけたのであろう凛々子からそれをひったくると、「読んでくれ」と凛々子にその文章を向けているのだった。

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