③
数刻後、ジェイドは先に根城としていた小屋とは対極の位置にある洞窟内で、燃える薪木に負けない程度の舌打ちを響かせて己の所業を悔いていた。
目の前に転がっているのは目も眩むような金銀財宝、ではなく一人の少女。
かろうじて彼女の首からぶら下がっているネックレスには大粒の宝石が輝いているが、明かりの下よく見てみれば宝石自体はよくあるチープなものであった。
これ一つ売れたところで大した価値にはならないだろう。
強請の種を手に入れたまでは良かったが、これでは全く持って割に合わない。
むしろ大赤字だ。どうしてまたこんな、毒になりはしても薬にはならなそうなものを。
「……?」
ジェイドは目を覚ました少女がぼんやりと天井を見上げているのに気が付いて、思わず溜息を吐く。
女という生き物は面倒だ。
やれ理由を説明しろ、やれ気に食わないから別の方法にしろ近づくな謝罪しろ金を払えここへ連れていけアレが食べたい……数え上げればキリがない。
ああ全く、こんな厄介事を拾ってきてしまうとは。
ようやくギリギリの生活とおさらば出来ると思っていたのだが、とうとう焼きが回ったのだろうか。
等々、これまでの諸々を思い返しながら辟易としているジェイドには気が付いていないのか、少女はしばし天井を眺めた後、ゆっくりと目を閉じそのまま寝息を立て始めた。
「……いや起きとけよ!」
「えっ」
思わず声を上げたジェイドに、ハッとした様子で少女が再び目を開いた。
抜けているのか寝ぼけていたのか、はたまた現実逃避か。
何にせよ鈍そうなヤツだ。
そんな感想を抱く間に、のろのろと起き上った少女はようやくジェイドの存在に気が付いたようで、火に照らされ揺れる瞳が、ジェイドを真正面から捉えた。
一瞬、その色に気圧される。
「だれ?」
「……人に名前聞くならまず自分から名乗れって教わらなかったかぁ?」
「はじめて、きいた。ルリ。あなたはだれ?」
第一声と同じ問いを口にした、おそらくはルリという名前の少女は、いざ目を覚ました状態で対峙してみれば静かに、だが良く通る不思議な声音で話した。
……この年頃の娘はもっと喧しいものかと思っていたが。
ジェイドは少しばかり面食らいながら少女を見遣る。
寝顔は幼い印象であったが、何処か達観しているようにも見える落ち着いた様子からは、もう少し年齢が上であったとしてもおかしくはない、そんな印象すら受ける。
ただ未発達な薄い体であることだけが、彼女の実年齢を感じさせた。
「肝座ってんだか何なんだか……」
「キモさん?」
「違えよ。オレはジェイドってんだ。金が欲しくてあすこの屋敷に忍び込んで、お前を盗んでトンズラしてきたとこだ」
最も、肝心な盗むものは間違えたのだが。
ルリが不思議そうに目を向けてくるのから、ジェイドは頭を抱えて逃れる。
そうだ。つい、ついなのだ。
ちょっとあの姫に似ていたから腕が勝手に動いてしまっただけで、そもそも鎖さえ千切れていればこんな厄介事なんて。
とにかく、だ。ジェイドは改めて現状を脳内で整理する。
盗んだものの価値はともかく、貴族の館へ忍び込んだ者がいるという事実が特に問題だ。
おそらく明日の朝までにはこの辺一帯に包囲網が敷かれるだろう。
盗んだものが宝石だけならば身軽なのだが、生もの、しかも人間ときた。
全く、本当に馬鹿なことを。
「わたしを、うるの?」
頭を抱えていたジェイドへの問いかけには、何の感情もこもっていない。
顔を上げて少女を見遣れば、先と全く変わらぬ様子である。
これまでそのようにして売買されていたのだろうか。
見た限りでは、ジェイドの趣味ではないが確かに容姿は整っている。
起きた姿を見ればますますあの姫によく似ていて腹立たしいことこの上ない。
特にこの、人の目をじっと覗き込む仕草が。
だが、通常買われるような人間が新たな人の手に渡っていくという話はあまり聞かない。
ならば、この少女には一体他に何の価値が。
「……んな趣味ねえよ。自由になりてえってんなら、逃がすとこまでは手伝ってやる。野垂れ死なれても後味悪いからな」
ただしあの屋敷へ戻りたいなら止めないと、そう伝えてみればルリは数度瞬いて息を止めた。
それから徐々に顔を綻ばせ、最後には頬が溶け出すんじゃないかと思うほどに緩み切った顔でジェイドに向かい首を振ってみせた。横に、小刻みに。
「このままが、いい。そとがいい」
大凡想定していた反応に、やはり囲われていたのかと確信する。
全く、面倒なことに首を突っ込んでしまった。
元はと言えば盗みなど働いた自分が悪いのだが、ジェイドは自ら棚へ上がったまま降りようとはしなかった。
生業としているのだからそればかりは譲れない。
ただ、今回の件は自分の私怨やらも絡んでいるので、流石に反省せざるを得なかった。
「ま、何にせよまずはそのみっともねえ格好をどうにかしねえとなあ」
逃げるにせよ連れ回すにせよ、今このままであるのはどうにも分が悪い。
かと言って年頃の少女に着せるような服は当然持ち合わせていない。
余った布切れはいくらかこの根城にもあるのだが、如何せんジェイドにそれらをどうにかして、衣服に仕立てる技術はない。
そうなれば街中で調達するしかないのだが、どの程度追手が迫っているのかも分からない状況では、あまりにもリスクが高い。
「わたし、みっともない?」
「普通はなあ、そんなうっすい布一丁で過ごさねえの」
「すずしくてらく、なのに」
やはり抜けているのか、いや、世間知らずというのが正しいのかもしれない。
がくりと肩を落とし、もはや隠しもせずに呻く。
さて、どうしたものか。
ジェイドが屋敷を逃げ出した段階では、昏倒させた数人を含めジェイドの姿をまともに見たものはいない。
ジェイド自身顔を隠していたので鉢合わせたところで分かりはしないだろうが、似たような背格好の女を連れていれば話は別であろう。
「……仕方ねえ、いったんおばばに厄介になるか」
考えただけでげんなりとした面持ちになるジェイドへ、ルリはやはり不思議そうな視線を向けるのであった。
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