第3話ガロアとナカリャコフ 貴公子の系譜


「さすが先輩! 男気がある! 」


「またそれを言う! ひよっ子のくせに! いやお前はひよこの子よ!」


私がトランペットの後輩の首をヘッドロックするのが、このところ毎日の日課になってきている。が、しかし私は厳しいのだ。


「もうこれでは笑いが取れなくなってきている、後輩が練習中にネタを考えるように」

「はい! 男らしい先輩が大好きです!」


みんな笑うのは当然だ。そのためのもやっているのだから。でも時々この後輩と一緒に入ってきた、チューバの子の反応を気にしたりもする。笑ってくれていると一番うれしい。当たり前だ、私だって女の子、女子高生なのだから。そんな私を部長は本当にうれしそうに、どこかウルッとした目で見る。女の友情はありえないというが、彼女と私は朋友、戦友、で三年目になる。


「良かったね、男の子の有望な後輩が入って、これで応援が楽になるよ! つば抜きから、血が滴ってたものね」と言ってくれたが、


「いやいや、あんたも最初はクラリネットのリードに耐え切れず、口の横から血が出てたから」と笑いあった。


二人とも全くの初心者から初めて、「二人で、女漫才師になれるんじゃない? 」と先輩に言われながら、一人は部長、私は第一トランペットにまでなれた。


「あんたがトランペット、ふさわしいわね」


吹奏楽部に入って母親から言われた。


「それは親ハラスメントじゃないか・・・」と心の中で思った。確かに私は柔道部に誘われるような体系ではあるし、まったく美人でもない。実は中学時代にこっそり父親から

「ごめんな・・・俺に似てしまって・・・」と言われたことがある。案外母親からはその言葉は聞かれず、ちょくちょくからかわれたりするので、反抗相手に選ぶことにしていた。


誰もなり手がいなくて、最初はしょうがなくトランペットをやっていたのに、どんどん面白く感じるようになった。他の子に比べて音量も大きいと褒められて、楽しく部活に励んでいたころだった。母が


「トランペット欲しいでしょう? 」と突然言った。


「そりゃあ、欲しいよ・・・お母さん、セルゲイ=ナカリャコフって知ってる?

今日先輩から聞かせてもらったの、凄いね、きれいで上品」


「知ってるわよ、有名だもの。大変だったでしょうね、ピアニストを目指していて、事故で断念してトランペットに転向したら、数年でプロだもんね・・・才能が違う」


「お母さんよく知ってるわね」


「お母さん高校の時フルートだったって言ったじゃない」


「そうだったっけ」


「ナカリャコフもトランペットの貴公子って呼ばれているけれど、お母さんの時代、フルートにフィリップ=ガロアって言うこれまた貴公子がいて」


「フーン・・・ガロア・・・この人? 」スマホで写真を見せると


「え! 嘘! ガロアが、貴公子が、王様になってる! 若い頃見せて!」


確かに若い頃は貴公子そのものの感じだった。その時にガロアの演奏を初めて聞いたが、美しく、上品な明るい音色で、誰からも好かれるフルートだと思った。私はどこかナカリャコフと同じものを感じた。


「貴公子の演奏よね・・・それはともかく、二十万までかな、出せる金額は」


「え! そんなにいいのを買ってくれるの? 」


「お前、トランペット吹きの休日とかその他もろもろを吹きたいでしょう?」


「吹きたい! 吹きたい!」


「だったらそれぐらいのものを買わないとね。一般的な吹奏楽に使う楽器はそれだけ出せば、難しい演奏に耐えうるだけのレスポンス等々を持ってるのよ。本当に安い楽器は、一曲吹くとねじが緩んだりすることもあるから。

楽器店に行って、ちゃんとマウスピース持って行って、試奏させてもらって決めなさい。買うときはお母さんと一緒に行きましょう」

と言ってくれた。嬉しくてちょっと泣いてしまった。


「この子泣いてね! 」


父親に日頃の反抗のお返しとばかりに話していたが、とにかく数日後母親とトランペットを買いに行った。


「すごいですね、女の子で、始めたばかりで、これだけ音の出る生徒さんはなかないないですよ」

「いえいえ」

「お母さんも何かされていたんですか? 」

「私はフルートを」

「そうですか! 子育てが一段落されたらどうですか、また始められたら」

「そう考えてもいるんですよ」母の策略なのか何なのか、オイルだのグロスだの備品を鬼のようにもらうことができて、私は新品のケースを大事に抱えて帰った。


あれから二年になるがそんなにトランペットは痛んでいない。





「すごく上手な初心者が入ってきたの、お母さん」


「フーン・・・そうなの? 負けそう? 」


「ちょっとレベルが違うかもしれない。でもね、すっごく楽しそうに吹くの、音もそんな音、楽しくてたまらないって言う音がする」


「それは本当に大事ね、凄いね、今度聞きに行くのが楽しみだわ」


「毎年差し入れありがとうってみんなが言ってる。今年も・・・いい? 」

母は弁当屋に務めている、コンクールの日の朝はみんな忙しく、朝食もままならなかったりするので、母の軽食は最高の応援なのだ。


「あんたが一番食べるんじゃないの? 」


「いやいや、今年はあの子がいるから、それにね、ひどいのよあの子、ひよこの子のくせに。ナカリャコフ様を聞かせたら、音が小さい、って言うの」


「まあ・・・それは仕方がないことだから・・・」


「でね、事故のことを話したら何て言ったと思う!「男気がある! 」ですって! 貴公子に冗談じゃない! 」


「ハハハハハ、一番似合わない言葉かしらね、でもね、間違いとも言い難いわよ」


「それはそうだけど・・・写真見せたら、チューバの子に似てるって言ってた」


「チューバの子かっこいいんでしょ? 見に行こう! 貴公子貴公子! 」

楽しげだった。


 私は大学に入ってもトランペットを続けようと思っている。末っ子の私が大学を出れば、両親は楽になる。母にフルートを買ってあげたいなとは心の隅で思ってはいるものの、本気かどうかはわからないので、その点は数年越しの保留で構わないだろう。

ただ、誓うのは私は親になっても親ハラはしないってことだ。大きな体でも、小さなことは案外傷ついたりするものだ。それを案外あの後輩はわかっているのか、最近は男気のことを言わなくなった。


「先輩、 どうですかね? 」演奏のことで聞かれたがこう答えた。


「あんたがナカリャコフより優れている点は現時点では一つだけ。大きな音が出せるってこと。でも私も先輩から言われた。大きな音が出せれば小さな音も出せるようになる。それが演奏の幅だって」


「さすが先輩! ありがとうございます! 」


彼はどん欲だ。きっと私が引退する前にはもう追いつかれているかもしれない、でもそれでもいいと思っている。


大切なのは、私がトランペットを好きということなのだから。




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