第7話 一緒にお風呂入ろうねー


 会社が震撼した。

 週明け、小路が『ファッサー』になってきたのだ。


 さらさらとなびくロングヘア。

 どことなく清潔になった顔つき。

 そんな小路に、女子社員たちは恐怖した!


 繰り返すが、小路は会社で『距離を置かれている』。


 二年前までは、そうでもなかった。

 むしろ『顔は怖いのに誠実だよね』くらいの好意があった。


 しかし、いまは違う!

 特に女性関係においては『八股九股当たり前の鬼畜外道』という風評が蔓延しているのだ。


 理由は二年前。

 高校生だった雅子と同居していたとき、会社の女子社員と交際っぽい状況になっていた。


 その女子社員を家に招いた際。

 ネグリジェ姿の雅子と鉢合わせた(とても友好的表現)のだ!


 そのときのアレコレをねじ曲がって吹聴された結果。

 いまでは『裏で人身売買にまで手を回しているガチンコさん』というイメージが定着している。


 そのため小路のファッサーヘアは、イメチェンというよりも「アレでなにか別の商売を始めるに違いない」とあらぬ憶測を呼ぶことになった。


 なお元凶の女子は先月、いいところの坊っちゃんを捕まえて寿退社。

 残ったのは、小路に対する偏見と恐怖だけであった。


「その頭、どうしたんだ?」

「…………」


 先輩が聞いてきた。

 小路がウィッグを外して見せると……。


「ぶふおっ!?」


 予想通りのリアクションであった。

 爆笑とも驚愕とも取れる、謎のうめき声を上げている。


「ぶ、ぶふっ。おまえ、そのトラ模様どうしたの?」

「信じていた人から裏切られまして」

「やべえやべえ。それ、他の社員に見せるなよ」


 もとより、そのつもりであった。

 ただでさえ実家が地方の大御所ヤクザだとか言われているのに、こんな頭を見せたら「とうとう襲名だ」と騒がれてしまう。


「それにしても、そのロングヘアはどうだ? 他になかったのかよ?」

「なんかマリ……いえ、友人が『これがめっちゃいい』って言ってたんですけど……」


 頭をトラ模様にされて。

 警察にしょっ引かれて。

 それでもなおマリコの意見を鵜呑みにする小路であった。

 お人好しというより、雅子以外への思考キャパの欠乏を感じる。


「明日は短めのほうがいいんじゃねえか?」

「まあ、これで取引先に行くのはきついっすね」


 会社帰りに、それっぽいのを買って帰った。



 ***



 アパートに帰宅。

 今日も仕事上がりにビールが飲みたい小路であった。


「おっ?」


 魔法少女っぽいデザインの靴があった。

 日曜日の朝アニメのものである。


 小路の記憶の中で、そういうものを履くのは一人しかいない。


「おーい。天使が……」


 リビングに入った。

 雅子がでかいドール人形を抱いている。

 それに頬ずりしながら「きゃはあ~~♡」と恍惚の表情を浮かべていた。


 奇怪な光景に、小路が動じることはない。

 むしろ靴を発見した時点で、この光景は予測できていた。


「あ、おかえりー」

「ただいま。飯は?」

「あるよー。ちょっと待ってねー」


 雅子がドール人形をソファに座らせた。

 それに「あとでねー」と言ってキッチンに入っていく。


 小路はドール人形の隣に腰掛ける。

 テレビは、レンタルDVDで日曜朝アニメを放映していた。


「今日はうちに泊まるのか?」


 ドール人形の首が回った。

 生気のない瞳で、じっと小路を見つめる。


「お母ちゃんが徹夜勤務やから、ここに預かってもらえってー」

「そうか。わかった」

「ありがとさーん」


 しゃべった。

 頭がおかしくなったのではない。


 ドール人形ではなかった。

 下の部屋に住む金髪小学生である。


 名を天使あまつかミシェル。

 アメリカ人の父親と日本人の母親を持つ、生粋の関西人である。

 ……実際にそうなのだから仕方がないのである。


「なあ、おっちゃん。お姉ちゃんが帰ってくるのは知っとったけどー」

「うん」

「もうちょっと、落ち着きみたいなのはないんかなー」

「うーん……」


 栗栖雅子。

 大学一年生。

 小学生から通知表のコメント欄のようなことを言われてしまった。


「久しぶりに会えて嬉しいんだろ。許してやってくれ」

「でたわー。おっちゃん、なんやかんやお姉ちゃん贔屓やもん。うち、今夜は貞操の危機やー」

「じゃあ、こっちの布団で寝るか?」

「そんなことしてみぃー。うちサンドイッチのハムにされるだけやん」


 ごもっともであった。

 さすがにリビングの布団で、川の字になって寝ることは難しい。


「いっそ、おっちゃんとお姉ちゃんが一緒に寝たらー? うちのことは気にせんでいいでー」

「…………」


 にやにやしながら、脇を突いてくる。

 相変わらず、下ネタ親父のような感性であった。


 それより、ビールが飲みたい。

 おそらく冷えたやつが残っていたはずだ。


 今日は、なんか蒸し暑かった。

 雅子はわかっているはずだから、きっと冷えたビールに合う夕飯を……。


「はい。お待たせー」


 プレートであった。

 数種類の料理が並ぶ。


 オムライス。

 ハンバーグ。

 スパゲティナポリタン。

 エビフライ。

 千切りキャベツ。


 お子様ランチであった。

 どうやら、今夜の夕食は天使ベースらしい。


 圧倒的、油もののオンパレード。

 30歳の胃に3のダメージ!


 まあ、それはいいのだ。

 用意してくれたんだから、ありがたく頂戴する。


 問題は、一番大事なものがないことである。


「おい、雅子」

「あ、ごめんごめん」


 そうだ。

 もちろんわかっているはずだ。


「これ忘れてたよー」


 雅子が戻ってきた。

 どうやら伝わってくれたようだ。


「はい。小さい国旗」


 そういうことではないのである。

 オムライスにぷすっと刺している場合ではないのである。


「あの、それじゃなくて……」

「はーい。お待たせー。お姉ちゃんとイチャイチャしましょうねー」

「ぎゃあああっ! 寄るな触るなまさぐるなあああっ!!」


 悲惨であった。

 小路は自分でビールを取りに行った。


「あ、そうだ。オジサーン」

「なんだー?」

「今日、一緒にお風呂入ろうねー」

「わかった」


 缶ビールを開けて、ぐっと飲み干した。

 仕事上がりの一杯は格別である。

 それに今日は蒸し暑かった。

 実際は謎のロングウィッグのせいだが、そのことには気づかな……。


「……いま、なんつった?」


 お風呂のお誘いであった。

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