第4話 ヤりたいときは別腹ってか


 すぅー、はぁー。

 雅子は深呼吸した。


 お風呂上がり。

 脱衣所の鏡に向かって、にこっとスマイル。


 お肌よし、髪よし、下着よし。

 やったぜ雅子。

 今夜も最高に可愛いぞ。


 お気に入りの猫ちゃん枕を抱きしめる。

 脱衣所から、せーのっで飛び出した。


「オージサン♡ 一緒に寝……」

「あ、おれ疲れたから寝るわ」


 ピシャリッ!


 リビングから追い出された。

 襖の閉まった寝室で『(^-^)・・・』ってなっていた。


「なんでだよ!?」


 深夜である。

 一応、声量を抑える程度の理性は働いた。


 スマホを手にした。

 友人の三騎士を召喚する。


 まずはリーダー格のマリコ。


「ねー。聞いてよぅー」

『なに?』

「オジサンが……」

『あ、わたし寝る時間だわ。また明日ね』


 ポン、と通話が切れた。

 さすがはマリコ。

 0時を過ぎれば絶対に寝るシンデレラビッチであった。


 雅子は次の生け贄を欲した。

 金髪ちゃんである。

 アニメ実況のために起きているはずだ。


「ねー。聞いてよぅー」

『どしたん? オッサンとラブい夜を過ごしてるんしょ?』

「それがさー。オジサン、今日も先に……」

『あ、ちょっと待って。……うわっほー! え、マジでマジで!? ちょ、その改変はズルいっしょ! わ、わ、いますぐ感想上げなきゃ! これ今期の覇権確定っしょー!』


 ポン、と通話が切れた。

 その覇権の意味は知らないが、すごく空しい気がした。


 お団子ちゃんに、一縷の望みをかけた。


『なに? 夜に話してると、うちのカレが起きちゃうから……』

「ごめんね畜生!!」


 ポン、と通話を切った。

 一つ上の彼氏と、同棲を始めたという。


 三騎士、全滅。

 猫ちゃん枕と、ベッドにダイブした。


「みじめだ……」


 雅子はしくしく泣いていた。

 高校時代をともに過ごした猫ちゃん枕も、いまだけは慰めてくれなかった。


 最高にドラマチックに始まった、二回めの同居生活。


 思ってたのと、なんか違った。

 雅子はベッドの中で「うがああ」ってなっていた。


「前はどうやって話してたんだっけ……」


 もしかして、前のほうがよかったのだろうか。

 小路にとって自分は、ただの保護対象でしかないのか。

 ぶっちゃけ裏庭で飼っている黒猫と同じなのではないか。


「……寝よう」


 寝て忘れよう。

 そして、明日はマリコのマンションに行こう。


 そう思って、布団にくるまった。

 そのタイミングだった。


 すいーっと襖が開いた。

 雅子はドキッとして、息をひそめる。


「いてっ」


 小路だった。

 雅子が隅に積んであった漫画雑誌に足をぶつけたらしい。


「……雅子、寝てるか?」


 寝てなかった。

 しかし返事はしない。


 これはつまり、なんだ?

 そういうことなのか?

 おいオッサン。口ではあんなこと言っておきながら、ヤりたいときは別腹ってか。


 上等だ。

 かかってこい。

 でも痛いのは嫌だから優しくしてね。


 完全に正常な思考を失っていた。

 さっきから視界がぐるぐるしっぱなしだ。

 お気に入りの猫ちゃん枕が、爪を立てられて可哀想なことになっている。


 ……ていうか、いざとなったらちょっと怖い。


 うわー、うわー、うわー。

 ちょっと待って。

 ほんとに待って。


 しかし伝わるはずもない。

 小路の腕が、そっと雅子の手を取った。


「やっぱり、まだダメ――――っ!!」


 びたーん、と小路の顔面に平手打ち。

 いい感じに、顎にヒットした。


「ぐはっ」


 小路の手から、あるものが落ちた。


 3mメジャーである。

 柔らかいタイプで、お肌に優しい。

 推測するに、もしかして……。


「最初からアブノーマルなプレイを!?」

「違うって言ってんだろ!」


 深夜である。

 思わず、二人ともお互いの口をふさいだ。


「…………」

「…………」


 え、なんだこの空気?

 雅子が困惑していると、小路がそっと手を放した。


 メジャーを拾い上げる。

 ゆっくりと、それを伸ばした。


「……すまん。起きてるときにやればよかった」


 珍しく、小路が素直に謝った。

 起きてるから縛ってよいということにはならないが、きっとそういう意味じゃないとわかっていた。


「ど、どうしたの?」

「左手を」


 雅子は、ゆっくりと左手を出した。

 ラブラブわんこだって、さすがに飼い主が不審行動を取っていればビビっちゃうのだ。


 そして小路は、薬指の周長を測る。

 マジで真剣な顔なので、雅子は何も言えなかった。


「次の休み、指輪を買いに行く」


 雅子は目をぱちくりさせた。



 ***



 次の休み。

 ……の、三日後であった。


 都内の喫茶店。

 オープンテラス。

 うららかな春の日の午後である。


「お~~……」


 感心したような声が上がる。


 テーブルには、三騎士が勢揃いしていた。

 金髪ちゃんはまだ高校生だからいちゃいけない気もするが、そこらへんは本人の意思を尊重したいのだ。


 彼女たちに向かって、雅子は左手を掲げて見せた。

 その薬指が、きらりと光った。


「婚約指輪ねえ」

「オッサン、やるじゃーん」


 雅子、大いにどやっていた。

 見えない尻尾がぶんぶん振り回されているようだ。


「まあ、これで許してやろうかなって」


 大人な発言であった。

 とても昨夜、嬉しすぎて泣きまくった挙句、隣室の住人に警察を呼ばれそうになった女とは思えない。


「栗栖も、これでちょっと落ち着きなよ」


 なんか腫れぼったい目元には触れずに、マリコが言った。


「うん。入籍のほうは、わたしが大学を出てからまた話し合うの」

「そっかー。よかったねー」


 とか言いながら、すでにマリコは知っていた。

 なぜなら、婚約指輪から卒業までの細やかなプラン。


 提案したのは、他ならぬマリコであった。


 あの日、仕事帰りの小路に呼ばれて相談された。

 マジで面倒くせえなこいつら、とは思いながら、人情派ビッチたるマリコはスイーツバイキングと引き換えに秘策を伝授したのだ。


 それが婚約指輪。

 またの名を解決の先送り。

 約束厨の雅子を黙らせるには、とりあえず実物を贈るのが一番なのである。


「でも、まだ問題は解決されてないっしょ?」


 水を差す金髪ちゃんである。

 その言葉に、一同が目を向けた。


「だってオッサン。栗栖っちだと興奮できないかもーって言ってんしょ?」


 一同に、衝撃が走る。

 そうであった。

 確かにそれが解決されない以上、また四年後も同じこと言い出すぞこいつら。


 戦々恐々とした雰囲気の中。


「あ、それは大丈夫」


 予想に反して、雅子は落ち着き払っていた。

 アイスカフェオレを、ストローでちゅーっと吸っている。


「なんか、わたしの手を縛るとき勃ってたし」


 ……ごくり。


 三騎士が喉を鳴らした。

 テーブルに、謎の緊張感が漂っていた。


 後日、マリコから『縛るの大好き変態野郎』と罵られるのを、小路はまだ知らない。

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