徒然

緋月

カーネーションを君に

 学校の帰り。晴天の下で、一人河原を歩いていた。


 春になり木々も生い茂る中、木陰でベンチに座り、本を読んでいる彼女を見かける。そして、彼女に近づくと僕の気配に気が付いたのかチラリと目をこちらに送り、そしてまた本に目を移す。


「君か。また来たんだね」


 僕を横目に彼女は鈴を転がしたような声で言う。


「はい。また来ました」


 僕がそういうと彼女は少し左にずれて僕に隣に来るよう促す。二人の間に沈黙が流れた後、彼女は切り出す。


「今日はどうしたの?」

「いえ、特になにかある訳ではないですけど」


 僕がそう答えると彼女は「そうか」とだけ言い、また本に集中し始めた。


 そして、ゆっくりとページをめくる音が鼓膜を揺らす。


彼女が本を読み進めていくたびに少しだけ胸がドキリとする。そんな状況に耐えきれなくなった僕は奏先輩に問う。


かなで先輩。いつになったら僕の名前を憶えてくれるんですか?」

「いいや、憶えているさ。君の名前は鳴上なるかみ彼方かなただ」

「じゃあなんで君って呼ぶんですか?」

「そうだな」


 そういった奏先輩は本をパタリと閉じ小川を眺めながら少し考える。


「私が『君』と呼ぶのは君一人だ。それだけでなにか特別な感じがしないかい?」

「そういわれるとなんかそんな気もしなくもないですね」

「だろう?」

「ただ、僕的に苗字でもいいから呼んでほしいとは思いますけどね」

「それだと特別な感じがしないじゃないか」

「そんなに特別な感じって大事ですか?」


 僕がそう返すと奏先輩はため息をつく。


「いつか君が言っていただろう?僕は普通だ、と」

「それはそうですけど『君』っていう呼び方だけが特別ってのはちょっと…」

「君は欲張りだなあ」


 そういうと奏先輩は立ち上がり、本に挟まっていた栞を僕に差し出す。


「これは?」

「その栞は私の大切なものなの。だから、次に会ったときに私に返してよ。これでもっと特別になったんじゃないかな?」

「そうなんですかね。それで、この栞の花は?」

「それはカーネーションだよ」

「へぇ。これがカーネーションなのか。これを奏先輩に返すことになんの意味があるんですか?」


 花びらが一枚づつ違う色をしたカーネーションが描かれた栞を受け取りながらも奏先輩に尋ねる。


「それを聞いたら意味がないでしょう?」


 フフッ、と少し笑った奏先輩は本をカバンにしまう。


「じゃあ、またね」

「はい。奏先輩もお元気で」

「そうだね。しばしのお別れだ」


 そういった奏先輩は、ふわりと黒髪を春風に浮かせながら自分の家へと帰っていった。


 僕は、その後ろ姿が見えなくなるまで奏先輩の後ろ姿から目を離せないでいた。


 


 


 


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徒然 緋月 @akryo

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