第59話死の天使

 そろそろ夜が明けようかという地上。天使達の攻防は休む事なく続けられていた。


 もう卑怯な行動や逃亡しようとする者は居ない。


 勢いを弱めたルシフェルの兵士はミカエルの腹心達の手によって次々に討ち取られて行く。


 負傷し、動けぬ天使にとどめを討つ必要は無い。


 もう誰が見てもルシフェル軍の敗北は明らかなものとなった。


 後は、誇りと理想を掲げた一騎討ち。【メキドの丘の戦い】を皆が固唾を飲んで見守る。


 合間見えるはルシフェルとミカエル。総大将同士の戦いだ。


「暫く見ぬうちに随分と傲慢になったものだ。冥界が貴方を変えてしまったのか......」


「私を差し置いて総統を名乗る男に言われたくは無いな」


 黄金の鎧を着たルシフェルと黒い鎧を着たミカエルの決闘が今まさに始まろうとしていた。


「その黒い鎧、そなたに似合っているよ。流石は冥界のプリンスだね」


「貴方はいつも黄金に光輝いているな」


「輝いているのは、そなたも同じだ」


【明けの明星】と【宵の明星】、2人の性格は似て非なるものだが、同じ星に生まれ光輝く美しさを纏う両者である。


「もう1人の弟とは仲良くなれなかったようだな」


「育ての親たる王達には勝てなかったよ。フラれたのは生まれて初めてだ。でも、追いかけるのも中々楽しかったぞ」


「それで、おめおめと冥界から救い出さずに帰って来たか?」


「冥界からは切り離せんさ。あの方自体が冥界そのものだった」


「戯れ事は時と場を考えた方がいい。随分と冥界も地上も引っ掻き回してくれたじゃないか」


「追いかけるのに夢中になって、気付いたらこうなっていた。許せ」


 ルシフェルは無邪気に笑って見せる。


「剣を取れルシフェル、そなたの傲慢と悪徳を削ぎ落としてくれる」


 2柱は剣を構えると、目にも止まらぬ速さでお互いの間合いに入り剣を交える。


 最高位の天使、並みの神々なら一瞬で消滅させ得る力を持った2柱の衝突は、言葉では表せぬ程の恐ろしさだった。


 先程まで戦闘をしていた兵士達も、メキドの丘から放たれた衝撃波に驚き、手を止めて注目している。


 彼等の戦いに注目していたのは地上の神々だけではない。

 冥皇の宮殿では、浄玻璃鏡を前に彼等の弟たる皇帝と、その腹心達が固唾を飲んで見守っていた。


「何て馬鹿な事を、兄弟同士で争う程悲しい事は無いのに......」


 サリエルは、兄が着ている黒い鎧を見て、己がこの争いに参加してしまっている事を初めて知った。


「一体誰がミカエルに、冥界の武器を渡したのか」


 サリエルは後ろに従えている従者達に怒りの表情で問いかける。

 しかし、名乗り出る者は1人も居なかった。


(このままでは、ルシフェルがミカエルに消滅させられてしまうだろう)


 悪の塊と言っても過言でない兄だったが、同じ母から生まれた兄弟である。


「冥皇様!何処へ行かれます!?」


 玉座の間からフラフラと出て行こうとするサリエルを沢山の従者達が必死に止める。


「私も彼等の元へ行く。行かせてくれ」


「なりません!これが彼の運命です!役目を終えた脇侍神の消滅は避けられません!!」


「やがて消滅するのは分かっている。だがそれをミカエルは知らない。残された時間を争いで終わらせるなど残酷なことだ」


 サリエルは辛い身体に鞭を打ち、邪視による催眠で従者達を眠らせると宮殿を後にした。


(私はみすみす彼等を見捨てたりはしない......)


 メキドの丘では激しい衝撃波が何度も放たれ大地を震わせる。


 何度も交えたお互いの剣は既に所々が磨耗し刃こぼれを生じさせている。


 少しずつ疲れの色を見せるルシフェルにミカエルが言う。


「兄上、次の一撃で終わらせようじゃないか」


「......そうだな」


 息を切らしながらもルシフェルもその提案に乗る。


 2柱は一度剣を構え直すと、今までの比ではない力で地面を蹴り突進する。


 剣は火花を散らし、お互いの足が地面にめり込む。


 交えた剣を挟み、睨み合う2人だが、ルシフェルの剣は限界を迎えていた。


 鋭い音と閃光が走ったかと思った瞬間、ルシフェルの剣は真っ二つに折れて宙を舞う。


 すかさず、ミカエルの猛烈な一撃がルシフェルの肩に振り下ろされた。


「んっ!!」


 ルシフェルは苦悶の表情を浮かべながらも悲鳴を噛みしめ、後ろに飛び、剣を引き抜く。


 肩から切り裂かれた腕は、かろうじて薄い肉で繋がれてはいるが使い物にはならない。


 ルシフェルはぶら下がった腕を反対の手で引き抜き、ミカエルに放り投げる。


 ミカエルはその腕を剣で打ち払うとルシフェルの側に歩み、語り掛けた。


「私の勝ちです。ご覚悟を」


「私を倒し、後を継ごうと言うのか?」


「ええ。そして、ともに主の元へ帰ります」


「......それは出来そうにないな」


 前に倒れそうになったルシフェルをミカエルが支える。


「私の体を見ろ」


 ルシフェルの身体はもはや原型を留める事が出来ず、少しずつ薄くなって行く。


「これは......」


 ルシフェルは残った腕でミカエルを強く抱きしめた。


「ここまでか......最期にもう1人の弟とも抱き合いたかった」


「兄上!」


 ルシフェルはミカエルの胸に顔を埋めて崩れ落ちる。

 ミカエルは膝間付き兄を地面に寝かせた。


「何故......。まだ、志し半ばではありませんか!私が貴方をこんな風にしてしまったのか!?」


 ミカエルは訳が解らず狼狽える。これ位の傷で本来なら消滅などあり得ない。


「お前のせいじゃないさ。役目を終えた私の寿命だ」


 空が白み、月の側に侍る明けの明星がより一際明るく光輝く。

 南風は弱まり、無音の朝が訪れようとしている。


 2柱は直に訪れる永遠の別れに抗う事が出来ず、お互いに手を取り合い、見つめ合う事しか出来ない。


「これで貴方は本当に良かったのか?」


 感傷に浸る2柱に、死の天使が話し掛ける。

 6枚の白銀の羽を纏う冥界の長。


「冥界の皇帝自らのお迎えとは名誉な事だ」


「サリエル!来てくれたのか!頼む兄を救ってくれ!!」


 ミカエルは朝日を背に浮かぶサリエルに懇願する。


「私はそなた達の救世主でも、全知全能の神でも無い。残念ながら今回は、死神としての職務を遂行しに来ただけだ」


 サリエルは無表情で言葉を発するとルシフェルの側に座った。


「......まさか最期の願いが叶うとはな」


 サリエルが地面に横たわるルシフェルを引き寄せて抱き上げる。


「待ってくれサリエル!また私を置いて行くのか!!」


 ミカエルは兄を抱いて丘を飛び立とうとする弟を呼び止めた。


「貴方にはまだまだ、やらねばならぬ事があるだろう?それが終わったら、自ら私を訪ねて来るがいい」


「サリエル!」


「去らばだ愛しい兄よ」


 サリエルは薄れゆく【明けの明星】と共に地上を後にした。

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