第36話死者の書1

 冥界で最も多くの領地を持ち、軍備人口において抜きん出ているのはハーデス王国であり、次点にオシリス王国が続く。


 この2柱の王は、親族家臣を冥王の宮殿に多く派遣しサリエルからの寵愛も深いものであった。


 オシリスの娘のネプトゥは、容姿こそ平凡で文武両道というわけでもないが、真面目で優しい娘であった。


 ネプトゥの母はサリエルの乳母を勤めていた事もあり、ネプトゥの兄ホルス共々サリエルとは乳兄妹の関係となる。


「おはようございます!」


 朝、サリエルが玉座に座すと真っ先に挨拶をするホルスとネプトゥ。サリエルが宮殿に居ない間は影を潜めて表に出る事はなかったがオシリスの口添えによりサリエルの侍従となった。


「またお前達に会えて嬉しいよ」


 サリエルは二人に満面の笑みを向ける。幼い頃に良く遊んだ友人だ。


 サリエルがホルスとネプトゥの三人で楽しそうに雑談する様子をルシフェルは眉をひそめて眺める。


(あの程度が皇子の乳兄妹?引き立て役にもならんではないか)


 確かに素朴な兄妹だが、裏表の無い素直で優しい兄妹である。


(はは~ん。おこがましくもあの娘、皇子に惚れているな)


 確かにネプトゥは、サリエルに特別な感情を抱いていた。少し前までは月の妖精の様だった皇子が暫く見ないうちに逞しく男らしくなって帰って来た。


(オシリスの娘か......)


 ルシフェルは、一番隙のありそうなこの娘を使ってオシリスを失脚させられないかと考える。

 誘惑してオシリスの心をかき乱す様に仕向けてもよし、辱しめてオシリスに恥をかかせるもよし。


 あの程度の娘の心を掴むのは蚊を叩き落とすより容易いが、サリエルの乳兄妹なら慎重に動かねばサリエルの怒りを買ってしまう。


(私の評価を上げつつ、奴等を陥れなくては......)


 ルシフェルは長い廊下を歩きながら今後の計画をあれこれ考える。自分の部屋の少し前まで来た所で、仲間の天使達が長持を担いで歩いていたので気になって声を掛けた。


「その中身は何だ?」


「サリエル皇子からです」


「皇子から私に?」


 長持を開けると中にはルシフェルがサリエルのために用意した宝石や貴金属が入っていた。


「私の好意を全て拒絶すると言うのか」


「お気持ちだけ受け取るとの事です」


 天使は懐からサリエルからの手紙と紅茶が入った小箱を渡すとその場を立ち去った。


「......強情な皇子様だな」


 ルシフェルは部屋へ入るとお茶を飲みながらサリエルの手紙を開封した。


「ミカエルに先を越されていたか」


 手紙にはミカエルと会い、取っ組み合いの喧嘩をした事、兄2人を取り戻すために地上に降りていた事が書かれていた。


 そして、出来る事なら3人で冥界で暮らしたいと思っている事と、その夢の実現のために冥界をこれ以上掻き回すなとの警告が書かれていた。


(3人で仲良く暮らすのは賛成だが、今の冥界は私の理想の姿ではないんだよ)


 ルシフェルは思っていたほど弟に嫌われているわけじゃないと知り良い気分で1日を過ごした。


 次の日、ルシフェルは早朝からサリエルの部屋の前で待ち伏せし、サリエルが出て来たら侍従達を蹴散らして、すかさず腕を組んで馴れ馴れしく接した。


「兄上、流石に失敬ではないかね?」


「手紙を読んだ。そう冷たくするな可愛い弟よ」


「私の立場を理解していらっしゃるか?」


「理解しているから、わざと馴れ馴れしくしているのだ」


「ミカエルともこんな感じか?」


「そうだ。妬くな弟よ、失った時間を取り戻そうではないか」


「何を勘違いしているのか......」


 玉座に入ると今日もホルスとネプトゥが出迎える。サリエルはルシフェルの腕を振り払うと玉座に座った。


「サリエル皇子、こちら地上での今日の死者数と各国の死神が回収した魂の数などを記した資料です」


「ご苦労」


 ホルスが資料をサリエルに渡そうと玉座に近付くとルシフェルが横から引ったくってしまった。


「何をなさる!」


「今日から雑務は私がする」


 サリエルは顔の前で両手を組みルシフェルとホルスの様子を伺う。


「それではルシフェル皇子、それを雑務程度だと言うのなら、貴方はそこに記載されている死神達の中で誰が一番優秀で、高い報酬を得ていると思う?」


 ルシフェルは資料をパラパラと捲り個々の死神が回収した魂の数が記されたページに目を落とす。


(普通なら一番上に書かれた最も多くの魂を回収した死神だろうが、この死神は戦地に派遣されているので労力は余り使ってないだろう......)


 ルシフェルはまたペラペラと資料を捲る。


(こちらには悪霊を退治した記録が載っているな。大人しい魂1000個より悪霊一匹の相手の方が難しかろう)


 ルシフェルはサリエルを見上げると自信満々で言った。


「この悪霊退治に尽力し、程よく魂も回収している死神です」


 ルシフェルは死神の一覧表に書かれた5番目の死神を指差して答えた。


「随分時間が掛かったな。ホルス、答え合わせだ」


「はっ!」


 ホルスはルシフェルから資料を受け取ると、一番最後に閉じられていた死神達の今月の報酬額一覧を開いた。


「ここに記載されている通り、一番上の死神です」


 まさか手にしていた資料に既に報酬額が書いてあると思わなかったルシフェル。あっけに取られて固まってしまっている。


「それは、首脳会議で決まった基準で付けられた報酬だ。改めて考察する必要は無い」


 ホルスはウンウンと頷いてサリエルの話を聞く。


「私は貴方宛ての手紙にこれ以上冥界を引っ掻き回すなと書いたはずだ。この仕事を貴方に任せてはまた無駄な考察をし、改革をし、混乱を生じさせるだろう」


 ルシフェルは顔を真っ赤にしてその場に立ち尽くしている。恥をかかされたのは生まれて初めての経験だ。


(必ず邪魔者を排除して、お前を手に入れてやる......)

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