第20話トビト記13

「お察しの通り。さあ、ラファエル様。二人を引き渡して頂きましょう」


 ウリエルが眷属達と共に壁をすり抜け入ってきた。


「あなたは天使だったのか?」


 広場でトビアスの腕を掴んだ青年。優しい笑顔でトビアスの質問に答える。


「私は、神の御前に仕える熾天使ウリエル。この炎の聖剣にて悪を滅する役目を与えられ、地上に使わされたのです」


 ウリエルは持っている剣を高々と揚げてトビアス達に見せつける。


 金色の大剣からは、炎が吹き出し昼間の様に明るく辺りを照らす。


「あっあ......あれは」


 シェムハザがアスモディウスを覆い隠すように抱きしめる。


 グリゴリの天使達を焼き付くしたミカエルの大剣。それを今、ウリエルが持っているのだ。


「シェムハザよ、お前が我々を裏切り冥界へ逃亡を図っている事等、主はお見通しよ。潔く滅されよ」


 ウリエルは剣をシェムハザに向ける。


「待ってくれウリエル!!」


 アザレアは天使ラファエルの姿に戻り、ウリエルの前に立ちはだかる。


「それは本当に主の命令か?輪廻転生も訪れない死よりも残酷な炎で焼かれるのが」


 ウリエルはラファエルを蔑むように微かに笑う。


「冥界で異星の神に寝返った哀れな精霊と忌み嫌われ、蔑まされる方がマシか?それは何百年、何千年続くとも分からない。私なら、冥府に堕ちるなら消滅を選ぶ。これは埃を守るための我々ながらの救済だ」


「それは、お前達の勝手な考えだ!!」


 トビアスがウリエルに噛みつく様に訴える。ウリエルはトビアスなど眼中に無いようである。


「アスモディウスよ。グリゴリの仲間達は皆、誇り高く天使としての死を選んだ。お前も主の子なら誇りを胸に滅されよ」


 ウリエルが炎の剣を振ると、炎の円がシェムハザとアスモディウスを包み込む。円はゆっくりと狭まり二人に近付いてくる。


「隊長は悪くありません!炎から出て下さい!!」


 アスモディウスが叫ぶがシェムハザはアスモディウスを抱きしめ離さない。


 ウリエルの性格はしつこく執念深い。もはや逃げても無駄なのだ。


「止めろウリエル!」


 ラファエルが隙を見てウリエルに掴み掛かろうとするが眷属達に押さえつけられ身動きが出来ない。


 ガブリエルも後ろ手を取られている。


 炎の円は更に狭まり、二人は暑さに耐え兼ね苦悶の表情を浮かべている。


「それが天使のやり方か!!」


 トビアスは意をを決してウリエルに飛び付いた。勿論、敵う筈もなく虫を払うかの如く容易に吹っ飛ばされる。


「トビアス!何をする無駄だ止めろ!!」


 ラファエルが叫ぶと同時に、トビアスはサラの下に敷いてあった寝具を引き抜き、炎に向かって走り出した。


「こんなの間違っているんだ!」


「危ないトビアス!」


「人の心を決め付け、理想を押し付ける。そんなものが救済か!!」


 トビアスは寝具で炎を叩く、しかし火の勢いは全く止まらない。


「そんな物で聖剣の炎は消せない!止めろトビアス!」


「そんな理想を押し付ける神様なら捨ててしまえ!!」


 ウリエルがトビアスの言葉に少し表情を歪めると炎の勢いが更に増した。


 もはや、炎が何重にも重なり合い、太い火柱となって二人の姿は見えない。それでもトビアスは泣き叫びながら炎を叩く。


「トビアス!袖が!!」


 ガブリエルがトビアスの袖に、炎が飛び火しているのに気付き叫ぶ。小さな飛び火はたちまち勢いを増し、炎がトビアスを包み込んだ。


「ウリエル、何をしている!人間を殺す気か!?」


 ラファエルがウリエルの眷属を力一杯振り払いトビアスに駆け寄る。


「この子は私が燃やした訳ではない。事故だ。知らん」


「ああトビアス......」


 ラファエルが膝から崩れ落ちる。トビアスの体は火柱となり、ウリエルの前に佇んだ。誰が見ても助からない。


 精霊とは違う、髪が焼ける臭い、肉が焼ける臭い。骨がはぜ、崩れゆく体で、それでも眼光は鋭くウリエルを睨み付ける。


「えっ......」


「どうしました!ウリエル様!!」


 ウリエルの異変に真っ先に眷属達が気付いた。ウリエルは金縛りに合っているかの様に微動だにしない。


(何だ?あの目は......)


 炎の中では、琥珀色の瞳がウリエルを真っ直ぐと見据える。その目は神秘的で、それでいて邪悪で畏ろしくウリエルを見下しているようだった。


「この程度が、神の御前に立つだと......」


 炎の中からトビアスより若干低く、身体の芯を震わせるような声が聞こえ、トビアスだった者は左手を前に突き出した。


「お前は一体何なんだ!!」


 ウリエルは恐怖の余り、体に精一杯の力を込めて金縛りを解く。


 突き出された手から順に炎が消え、琥珀色の瞳を持つ冥界の主の姿が現れた。


「あっ!あの時の!!」


 ラファエルは見覚えがあった。昔、まだ冥界が地上に有った頃に出会った、美しいプラチナの髪と琥珀色の瞳を持つ大精霊。


 前に見た時より成長し、歳の頃は人間なら16~17歳位だろうか?死神と似た服装だが、フードは無く金糸で刺繍を施された聖職者の服を着ている。


 彼が左手を下げ、今度は右手を高く上げるとウリエルの体が宙に浮き、思いっきり床に叩きつけられた。


「何をする!!」


 眷属が直ぐ様彼に襲い掛かるが、彼は眷属の方を見るまでもなく手を後ろに組んだ。すると、眷属達の体は強風に煽られるかの如く壁に叩きつけられ地面に落ちた。


 ラファエルとガブリエルは、驚くばかりで動けず、ただその光景を黙って見ているしか無かった。


「私の可愛いフレワシ達を、どうして汝が滅せようか?そもそも、その聖剣は先代ミトラが脇侍神たる兄に預けた物のはず」


 彼はゆっくりと優雅にウリエルの周りを歩く。ウリエルは彼の言葉に納得できず、顔を上げて反論する。


「精霊は全て、我が主が創り出したものだ。この剣は我が主ミカエルから下賜された主の剣である」


「その剣を初めに持っていたのは、私の兄であるカウティス。お前達が将軍ルシフェルと呼んでいる男よ。良く見よ!ミトラの家紋である天秤の紋章が彫られている」


 ウリエルは、炎を失った剣の柄に刻まれた天秤を確認すると、其れを手で覆い、剣を支えにして立ち上がった。


「戯れ言を言ったところで、私はお前に屈しはしない。お前がルシフェルの弟?我が将軍の弟?お前が放つ邪悪な気は紛れもなく冥府の物だ。熾天使と血を分ける等、出自を誤魔化し優越に浸る気か?」


「確かに私は今、優越に浸っているよ。ここに力のみで私より高き者は居ない」


 彼は、ラファエルとガブリエルの方を向き、優しく微笑んだ。


「だが、優しさと聡明さでは勝っている方々が居る」


 彼は手を胸に当て膝をつき、ラファエルとガブリエルに最高の礼を示した。


「私は冥界の皇子サリエル。地上ではかつてミトラ神との名で崇拝されていました」


「貴方が冥界の......」


「私は冥皇の冠と、脇侍神である2人の兄を取り戻すために地上に降りました。しかし、トビアスでなくなった以上、長くこの場に留まるのは憚られます」


 サリエルは立ち上がると哀しそうに窓の外を見つめた。下弦の月が浮かんでいる。


「細かく分解された精霊の行き着く先はあるのでしょうか?あるならば、あの月のように優しく美しい場所でありますように......」


 家の外では、冥界の使者達が何千と取り囲み異様な光景が拡がっている。


「熾天使ウリエルよ。我が皇家の宝剣でくだらぬ理想を掲げ、罪無き精霊を滅した罪は重い。何故お前はそんな罪を犯したのか、お前の総帥を交えて聞いてみようじゃないか」


 サリエルがウリエルに手をかざすと、ウリエルは一瞬で気を失いその場に倒れた。サリエルはウリエルを肩に抱えてラファエルとガブリエルに語りかける。


「尊敬してやまない私の師。どうかラファエル様、トビアスの両親に宜しくお伝えください。息子を亡くした二人が気掛かりでなりません」


 そう言うと、サリエルはトビトの視力をラファエルに託し、今度は少し笑ってガブリエルに声をかける。


「貴女方は私を愛していないと言いましたが、冥界に帰ったら覚悟なされよ。貴女方の心を奪いたくなってしまった」


「そんな......畏れ多い」


 ガブリエルはひれ伏しながら、やっとの思いで返答した。


「これでお別れです。沢山の土産を手に帰れます。有意義な旅でありました」


 サリエルは二人に軽く会釈をすると目映い光りを放ち冥界の使者と供に消えてしまった。


 後に残された二人は、暫く呆気にとられその場から動けなかった。


「行ってしまわれた......」


「私達は夢を見ているのか?」

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