第17話トビト記10

 アザレアとその弟子達は、アッシリア帝国を抜け、メディア王国のラゲスに巡教に来ていた。


 アザレアが心配していた通り、トビアスの邪視を恐れ幾人かの弟子が離脱し、アッシリアに居た頃の半分近くの一行になった。


 離脱した弟子の中にカインも含まれるのが気がかりだが、一行は表立ってトビアスを責めたりせず、表面上は何時も通り普通の兄弟弟子 として接した。


 兄弟弟子達の信頼を取り戻し、誰よりも人の為に生きる。これがトビアスの旅の目標だった。


 勿論、ガブリエルも一緒だ。最近では、隠れる必要も無くなったので何時もトビアスの隣に居る。


 勿論、アザレアやトビアス以外の者には見えないが、時々兄弟子達のパンをくすねたり、袖を引っ張ったり等の悪戯をして自分の存在を主張しているようだった。


 ラゲスの町は、アッシリアのどの都市よりも賑わっていて、メディ ア王国の国力の高さを物語っている。アザレアはラゲスにはそんなに長居するつもりはなかったが、休息のため暫しの自由時間を弟子達に与えた。


「メディア王国は広い。皆、富み活発で救済を求める者も少ないであろう。お前達も、たまには私の元を離れ自由に歩いて観光を楽しむといい」


 トビアスもガブリエルを連れて、ラゲスの町を楽しむ。


 広場では沢山の屋台が出て、パンや果物、古着や装飾品が売られていた。


「なあ、トビアス。ちょっといいか?」


「どうしたの?ガブリエル」


「この香炉を売って、少しばかり金を作ってくれないか?」


 ガブリエルは、いつぞや白百合の香を焚いてくれた青磁の香炉を差し出した。


「この世界ではまだまだ物々交換が主流だよ。それより、私が高価な物を持っていたら盗品と間違われるじゃないか」


「どうしてもあの肩掛けが欲しい。人間が織り上げたにしては中々良い物ではないか?」


 ガブリエルは広場の隅の布織物を売っている小さな店を指差した。


「お前がこの世の物を欲しがるなんて珍しいね」


「近々開催される上司のホームパーティに招待されているのだ。冥界に無い物を羽織って出席したい」


「私から離れていいのか?」


 トビアスは薄ら笑いを浮かべながらガブリエルに聞いた。


「上司の命令は絶対だ。出席せねば減給される。勿論、千里眼でお前を常に見ているよ」


 トビアスは店の近くに寄ると、肩掛けの手触りを確かめた。


「この店は止めておきなさい」


 栗色の髪の端正な顔立ちをした青年がトビアスの手を掴んだ。


「この店の店主は不埒な魔女だ。もう7回も花婿を殺している」


 青年はトビアスに忠告すると、人混みに紛れ何処かへ行ってしまった。顔を上げると、若い女性が鋭い眼光でトビアスを睨み付けている。


「あっ.....。すみません、素敵な物でつい」


 トビアスは女性が勝手に商品に触れたから怒っているのだと思った。商品から手を離し、一礼してその場を離れる。


「びっくりした。怒鳴られるかと思ったよ」


 トビアスが広場を後にし、住宅街の石畳を登っていると、何時も隣に居るガブリエルが上段で待っていた。


「あれ?一緒に居なかったのか?」


「いやね。色々と嫌なモノが沢山居たのでね」


「どうした?」


 ガブリエルは、広場に居た2柱の天使達に若干の不安を覚えた。しかも、あの女店主は悪魔付きだ。


(トビアスに力を分け与えたからか探知が遅れた。私の存在を感づかれたかもしれない)


 あの女店主の処理は死神の仕事だ。しかし、天使が近くに居る。


(仕事の邪魔をするなら排除せねばならぬが......)


 遠くから女店主を見ていた赤髪赤髭の天使はそんなに強くはない。不安なのはトビアスの手を掴んだ栗色の髪の天使だ。


 トビアス達がラゲスの観光をしている間、アザレアはある夫婦と食事をしていた。


「アザレア様。わざわざご足労頂きありがとうございます」


「せっかくラゲスに来たのだから、お前に会っていかないとね」


 夫の名前はラグエル。ラグエルは元々アザレアの弟子だったが数十年前にこの地に根を降ろし、結婚して娘を1人もうけた。


「アザレア様はいつも私達が困っている時に現れますね」


「お前達の噂は聞いているよ」


 ラグエルにはサラと言う適齢期の娘が居る。


「娘は悪魔に取り付かれているのです」


 そう言うとガバエルはしくしくと泣き始めた。


「泣くな。大丈夫だ、必ず私が救済してみせる」


 人が疎らになった広場でガバエルの娘サラは店閉まいの準備をしている。この麗若い娘は、今までに7人の夫を迎えたが、全ての夫が数日以内に原因不明の病や事故で亡くなってしまった。


 ラゲスの町にサラを知らない人は居ない。

【夫殺しの魔女】それがサラのもう1つの名前だ。


「シェムハザよ、どうやってアスモディウスをあの女から引っ張り出す?」


 栗色の髪の青年、智天使ウリエルが離れた場所から様子を伺う。

 ウリエルとシェムハザの目には、女の魂に泣き顔でしがみつくアスモディウスが見えている。


「死神も近くにいる様です。同胞を冥府に堕すわけにはいきません。私も精一杯、説得を続けています」


 シェムハザはウリエルに敬礼すると、サラの後を追って行った。


(これは好機ではないか?)


 シェムハザの心は揺れていた。冥界の使者がアスモディウスに気が付いた。


 今まで悪霊相手に戦っている死神を何回も見て来たが、ただの一柱も悪霊を消滅させた死神を見た事は無い。中にはアスモディウスより多くの悪さをした悪霊も居た。だが、死神は真っ向から戦いを挑み、勝てば契約を交わし冥界へ連行する。


 一度冥界へ連行された筈の悪霊が刑期を終えて、また地上に戻り神として崇められている例もある。


(天使としての誇りを取るか、冥府へ堕ち生き長らえるか)


 アスモディウスはシェムハザから見たらまだまだ子供。また脳裏に炎の剣で焼かれ苦しむグレゴリの天使達の姿が浮かぶ。


 皆、誇りを選び逃げる事なく焼かれて果てた。


 シェムハザはサラの後ろからアスモディウスに心の中で語り掛ける。


(私の心情が分かるか?アスモディウス)

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