第14話トビト記9
カインとの騒ぎを起こしたあの日の夜。
師の部屋を後にしたトビアスは、自分の部屋に戻る前にカインの部屋を訪ねた。
皆、寝ているようで真っ暗だ。
「知らなかったんだ。カインごめんよ」
トビアスはカインの側に寄って話し掛けた。
「本当にごめんよ。私は愚か者だ」
すやすやと寝息を立てるカインの額を撫でて、トビアスはこれまでの自分の愚かさを懺悔した。
「知らなかったのだ。致し方ないさ」
ガブリエルがトビアスの肩に手を置いて慰める。
「知らぬのも罪だ......」
小さな背中は、自分の愚かさを知り震えていた。
その頃、アザレア事ラファエルは月明かりに照らされた窓辺で、二人の処遇を決めかねていた。
(今日の出来事のせいで、弟子達はトビアスを不審がるだろう。畏れ、同行を拒む者も出るだろう)
そもそも、ラファエルとて死神と、それよりも強力な邪視を持つ得体の知れない者を抱え込む恐怖を感じていた。
(死神は優しい、だがあの死神はトビアスに肩入れしている)
ラファエルは昔、自分への生け贄に捧げられた幼子を冥府へ誘った死神達を思い出した。
(あの死神達も美しく優しい奴らだった。哀れな幼子達の魂を優しくあやしながら、冥府へと連れて行った)
ラファエルは頭を抱え唸った。
(優しいからこそ危険だ。もし、トビアスが我々にとっての魔物だったらどうする?死神の愛は、しつこく深い。きっと、私がトビアスを殺めねばならぬ事になったら、容赦なく私を切りつけるだろう)
ラファエルは別に死神より弱い訳では無い、死神を守護している後ろの神が怖いのだ。
(冥界には、36の王とそれを纏める皇帝が居ると言う。末端の死神さえ私の神通力の7割は持っている)
ラファエルは自分の手を月にかざして見つめた。
(この手を引っ張り、私を奮い立たせた師である貴方ならどうしますか?)
美しい地球色の瞳を持つ大天使、昔見た師の姿をもう一度脳裏に描き祈りを捧げた。
今日は満月、月明かりで松明がいらない程に明るい。でも、その明かりは何処か物悲しく、上空で大切な我が子たる天使を探すシェムハザの心を権化しているかのようだった。
「アスモディウス、アスモディウス。一体、何処に居るのだ。返事をしてくれ!!」
薄紅色の羽を羽ばたかせながらシェムハザは何度もアスモディウスの名を叫ぶ。
熾天使ミカエルの名の下に、炎の剣で消滅させられたグレゴリの天使達。強く優しい天使の長が久しぶりに見せた恐怖の姿、その日から天使達の統率は保たれ、上の者を謀る者は居なくなった。
(何も消滅させなくてもいいのに、あれは統率を図るための見せしめか?)
シェムハザの心は揺れていた。ミカエルの持つ炎の剣は、精霊さえも焼き尽くす。ミカエルはシェムハザに必ずアスモディウスを捕らえ、我が前に差し出せと命じた。
我が子のように愛しい子を破滅の炎で焼くために探すのだ。
「もっと下降して探せ」
シェムハザの少し後ろを栗色の髪と翼を持つ天使が追いかける。シェムハザの監視に付けられたウリエルだ。彼は、シェムハザと比べるとかなり華奢な体つきをしているが、智天使の位に居るミカエルの側近だ。
「お前、ちゃんと探しているか?」
ウリエルは同じ事を何度もシェムハザに聞く。信頼されて無いのが良く分かる。
「下賜された望遠鏡でも見付からないのです。人に入っているのなら彼から出て来てもらわないと」
シェムハザは内心、このまま見付からなければいいと思っていた。しかし、その心はウリエルにはお見通しだ。
「ならば、お前も下界に降りるといい。必死に探せ。今はミカエル様も多目に見てくれているが、余り時間を掛けると目星の都市に硫黄の雨が降り注ぐかもしれんぞ」
ウリエルは冗談で言ったつもりだったが、シェムハザはグリゴリの天使達を焼いた、あの将軍様ならそのうちやりかねないと本気で思った。
(やはり、早めに連れて行かなくてはダメか......)
シェムハザは急降下をすると、メディア王国のラゲスに降り立った。
(アスモディウス、すまない。必ず命だけは助けるからな)
実は、シェムハザはアスモディウスの居場所を知っている。
(ふん。お前の嘘など、お見通しよ)
建物の影で、元素を操り人の姿をとったウリエルがほくそ笑む。
シェムハザは人混みをすり抜け、建物をすり抜けて、どうやってウリエルを欺こうかと考えていた。
(直ぐ見付けては怪しまれる。暫くは探している振りをせねば)
シェムハザがラゲスに降り立った次の日の朝。
トビアスは師の部屋に呼び出されていた。
「トビアス。私は、お前が死神を連れて金のために私を利用しようとした事を許そう」
どうやら、自分が来る前にガブリエルに色々聞いていたようだ。
「申し訳ありません師匠。どうしても両親に仕送りがしたかったのです」
「嘘を付いていたのは私も同じだ。既に知っている様に、私は人ではない。主の教えを人の姿を取って説いている。私の名前はラファエル。互いに嘘を付いたのだ。この事はお互い不問としよう」
「分かりました......でも」
「お前が言いたい事は分かっている。その事で提案したいのだ。死の天使ガブリエルよ出て来てくれないか?」
ラファエルが呼び掛けると、窓辺に腰掛けたガブリエルが姿を現した。
「ずっとここに居たさ。そして何度も言うが天使と言うな!」
「トビアスよ、私はガブリエルと夜明け前に色々と話をした。お前達を結び付けたミトラ神の契約を今一度、今度は私も含めて結び直して欲しい」
「いいのか?」
トビアスはガブリエルに声を掛けた。
「いいだろう。私達に有利な契約ならな。まずは、お前が考えた契約の内容を確かめる前に、トビアスの口を自由にしなくてはならない」
そう言うとガブリエルは両手を合わせ、最初に取り交わした契約書を宙に浮かべた。
「契約の神、冥皇ミトラスの下に。死神ガブリエル、及びトビアスが取り交わした契約の破棄を宣言する」
ガブリエルがそう宣言すると、契約書の文字が赤く光りだした。
「お互いの同意の下、今よりこの契約を無効とする」
宣言が終わると、赤い文字から炎が上がり契約書を跡形もなく燃やしてしまった。
「これで、自由に話せるのか?」
そうトビアスが言うと、ガブリエルが静かに頷いた。
「では聞こうじゃないか、お前の契約の内容を」
ラファエルは昨日メモしておいた紙を取り出してもう一度内容を確かめた。
「この内容を伝える前に、トビアスに1つ確認しておきたい。お前は私達とまだ旅を続けたいか?死神が守ってくれているなら、好きな町へ行き、稼いで仕送る事も出来よう」
トビアスは少しだけ考えるそぶりを見せたが、既に決めていた様で、その眼差しは真っ直ぐ師匠を見つめた。
ラファエルはすかさず目を反らす。
「私には師匠の教えが必要です。同行が叶うなら、この邪視は師匠の好きにしてください」
次にラファエルはガブリエルにも確認した。
「邪視を与えしガブリエルよ、お前は邪視を返して貰う事は出来ないのか?」
「与えられし者が、自から返却しないとそれは出来ない」
ガブリエルはトビアスを見て言った。
「ガブリエル、すまない。この力で師匠と人の役に立ちたいんだ」
ガブリエルはやれやれと言った感じで微笑んだ。
「その言葉が真実なら、契約なんかしなくていい。私はそもそも人を縛りつけるのが嫌いだよ」
ラファエルは、契約しようとした内容が書き込まれたメモを握り潰して言った。
「金の事は気にするな。既に私からお前の名で仕送りをしている」
「師匠!!」
トビアスは涙を貯めてラファエルを抱きしめた。
「ガブリエル、私はお前が嫌がる事などしない。誰にも......師匠の正体も、お前達の事も絶対に言わない」
トビアスはラファエルを抱きしめながらガブリエルを見て言った。
「契約書の要らない、信頼と言う名の結び付きか......。人は愛やら友情やらと言うそうだね」
ガブリエルは嬉しそうに、二人まとめて抱きしめた。
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