第12話グリゴリの天使1

 トビアスがカインとの騒ぎを起こす少し前、カナンに残されたミカエルとその一行は、今か今かとルシフェルからの使者を待っていた。


 しかし、いくら待ってもルシフェルからの連絡が一度と無い。こちらからも何回も使者を送っているがルシフェルと合流出来た者は居なかった。


「兄上に何かあったのか?やはりモートの宮殿まで直接赴くべきか......」


 ルシフェルは、自分の計画に手を出される事を極端に嫌う。ミカエルはこれ以上、兄を詮索するべきか悩んでいた。


「ミカエル様。玉座に使う宝石はどういたしましょう?やはりダイヤモンドでしょうか?個人的にはエメラルドや琥珀を混ぜて花を型どっても美しいかと......ミカエル様!」


「すまぬ。考え事をしていた。主は見た目よりも座り心地を気にされるだろうよ。宝飾は極力シンプルに金の蔦をあしらい。綿を入れた絹を座居と背凭れに使え」


「畏まりました」


 ルシフェルからの伝達を待つ間、ミカエルはいつか降臨されるであろう主のために巨大な神殿を建設していた。


「なあウリエルよ。お前は昔、冥界に迷い込んだ事があると言っていたな?その時の事は覚えているか?」


「幼い頃の事でございます。話せる事などございません」


 ミカエルは主に忠誠を誓い、主を一番に愛していたが、いつぞや兄が話してくれた己のルーツとなる冥界への思いが日に日に強くなっているのを感じていた。


 少し前までは冥界はただ地上にある空間に、縦割結界を張った存在に過ぎず。天空や結界の切れ目から冥界の様子を垣間見れたものなのだが、新しいミトラ神。次に冥皇となるはずのまだ見た事の無い弟サリエルが縦横に結界を張り、我等が居る地上とは違う空間に移してしまったようだと兄が言っていた。


(サリエルとはどんな男だろう。敵対するのか?心通わせ、兄弟として愛し合えるか?)


 ミカエルは、類稀れな美しさと知性を合わせ持つ最高位の天使であったが、ルシフェルの様に口述に長けるわけでもなく、人を惹き付けるカリスマ性や色気等の魅力に関してはルシフェルの足元に及ばなかった。


 ミカエルの地位は兄の栄光の元に築かれた部分が大きい。ミカエルは隠しているつもりだったが、兄不在の不安や故郷への思いに揺らぐ気持ちは周囲にも若干の影響を与え、ミカエルの指揮下にある天使達にも小さな綻びを生じさせていた。


 それを代表するのが、後に聖書にも登場するグリゴリの天使達である。


 ヘルモン山に派遣されたミカエル配下の200柱の天使達は、グリゴリと呼ばれ、主から下賜された望遠鏡を手に地上の様子を監視していた。


「はー。つまらん、寒い、帰りたい」


「あまりグチるな。皆同じ気持ちだ我慢しろ」


 このグリゴリと言われる天使の長はシェムハザ。気さくで部下思いの天使だった。


「しかし隊長、来る日も来る日も地上の監視ばかり。我等はいつまで同じ事を繰り返せばいいのです?もう今日が何時なのかも暦を確認せねば分からぬ程、退屈な毎日の繰り返しですよ。」


「仕方ない。ほら、貸してごらんなさい」


 シェムハザは部下が持っている望遠鏡の目盛りを弄り、ポケットから取り出した新しいレンズに取り替えた。


「ほら、動かさないようにそっと見てご覧なさい」


「こっ......これは!!」


 そこには、大衆浴場の様子が映し出されていた。


「隊長!素晴らしいです!!」


 この日を境にグリゴリの天使達は、地上の監視のみならず人間達の私生活までも盗み見るようになった。


「あっ何か食べてる!あの果物何て言うんだろう?」


「どれどれ?」


「割り込むな!次、俺な!!」


 シェムハザは天使達にも、少しばかりの楽しみがあっても良いと思っていた。皆、僅かばかりの配給で主に良く仕えているのだ。


 ある日、いつもの様に人間の私生活を覗いていた天使がシェムハザに聞いて来た。


「隊長!見てください。あの男女は裸で何をしているのですか?」


 望遠鏡には、男女の性の営みが映し出されていた。


「あれは生殖と言って、子孫を残すための行為です」


「ですが私は、この前男同士で絡み合っている人間を見ました。人間は性別関係無く交わり、子を成す事が出来るのですか?」


「いいえ、子を成せるのは男女の交わりのみ。あれこそが主が禁じている無駄な行為の1つなのです」


「子を成さぬのに、何故人間供はあのような行為をするのでしょう?」


「それは、人の肉体を持ってして初めて分かるのです。」


 シェムハザは少し恥ずかしそうにそう言い残してテントへ入って行った。


「おい、聞いたか?」


「うん。聞いた聞いた」


 少し離れた場所で地上を監視していた天使達がお互いに頷き合った。


「おい、この中で精霊の姿のまま人間と交わりを持った事のある奴は居るか?」


 誰も手を挙げない。それもそのはずだ。主に仕える天使達は、元々地上の神や精霊ではあるが、肉体を持たぬので人や動物と肉体的な交わりを持てぬのだ。


「でもよ。俺達下端には出来ぬ事だが、ルシフェルやミカエル、その側近の力のある天使達は元素を操り、物質としての体で、たまに人間達の視察と布教に行ってるぜ」


「ミカエルと側近達はヤってなさそうだが、ルシフェルのあの性格なら、そういう事も試していそうじゃないか?」


「言えてる。言えてる」


「いやいや。むしろ、ミカエルみたいな奴の方が裏で色々お盛んにやってるかもしれんて」


「なら。今度の集会の時、お前挙手して経験済みか本人に聞いてみろよ」


「いやいや、お前が聞いてみろって」


「しかし一体、どういう気持ちなんだろうな」


 グリゴリの天使達は、殆どがまだ力の無い若い精霊だ。幼く、愚かで可愛らしい。


 天使達は、また望遠鏡を目に当てると各々自分のお目がねに合う人間を探し始めた。


「皆、朝日が昇る前には必ずここへ戻ってくるのだ。抜け駆けは許さない。これは、我等だけの秘密だぞ!!」


 グリゴリの天使達は一斉に空高く飛び立ち、散り散りに見つけたお気に入りの元へと舞い降りて行った。


 ある者は男の体に、ある者は女の体に、またある者は家畜や昆虫に憑依し目的を果すために行動を開始した。


 地平線に太陽の尾が伸びて来た頃、13柱の若いグリゴリ達は約束通りヘルモン山山頂に戻り、お互いの成果を報告し合った。


「どうだった?良かったか?」


「俺は痛いだけだったぞ」


「いやぁ。人間の体臭がダメで、相手に向かって吐いてしまった」


「俺は、何とも言えない気持ちだった。中々良いものだったぞ」


「尻が痛い」


「あの昇り詰めるような感覚は堪らないな。また、してみたいよ」


「なあ、アスモディウス。お前はどうだった?」


「......アスモディウス!?」


「アスモディウスはまだ戻って無いのか?」


 もう既に辺りは明るく、朝が訪れている。一番若輩のアスモディウスが居ない事に気付いたグリゴリの天使達は一斉に焦りだした。


「おはよう。そろそろ交代の時間だ。皆、仮眠を取るがいい」


 シェムハザは彼等の雰囲気が異様な事に直ぐに気付いた。


「これは一体。アスモディウスは何処だ?お前達!一体何をしでかしたのだ!!」

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