第11話トビト記8

 夜の祈りを捧げ、外の松明も消された頃、トビアスはアザレアの部屋へ通された。


 よく分からない文字が書かれた石板と布袋が数個。後は、木製の棚に、何かを隠すように麻布が掛けられている。沢山の弟子を持つ説教の師にしては質素な部屋だ。


「お前は私の教えを全く聞いて無かったんだね」


「罪人と生活を共にするなんて信じられない!」


 トビアスはアザレアを睨み付けて言った。アザレアは、その目から微妙に視線をずらして続けた。


「カインの罪は、既に承知済みだ。カインの故郷では罪には問われなかったがね」


「どういう事です?カインは弟を殺したのですよ」


 そう言うとアザレアは麻布の下から取り出した書物を開き、何かを調べている仕草を取った。


「カインの弟アベルは、カインの婚約者と姦通し、更にその婚約者と共謀して己の父を毒殺したのだ」


「え!!」


 トビアスは、自分が見た夢とアザレアが言う真実の相違に戸惑いを見せた。


「裏切られても、可愛い弟。カインはアベルと面会し、柵を隔てた静かな空間で二人だけの時間を少しばかり与えられた。アベルはカインと父の事を憎んでいたのだ。血の繋がらないアベル。幼少の頃から、アベルは養父から苦痛を与えられて育ったのだ」


「それは可笑しい。あのカインが例え血が繋がらなくても、弟に恨まれる事等するわけが無い」


「養父はカインと妻には巧妙に隠し、アベルに罪を働いた。アベルが苦痛の日々にある中、カインは何も知らず弟を愛し、母を愛し、あの悪魔たる父も事の他愛したのだ。アベルは自分に愛の言葉を掛ける兄を一番に愛していた」


 アザレアは燭台の位置を変えながら続けた。


「愛は憎しみに変わりやすいモノだ。深ければ深い程、強い憎しみに変化する。カインが向ける養父への愛を、毎日見続けたアベルの心にはどれ程の憎しみが育った事か......。カインは、弟の心情を汲み取り、処刑人にある願いをした」


「願い?」


「処刑前に、弟の憎しみを全て背負おうとしたのだ。僅かばかりの金を処刑人に渡し、兄弟は昔良く共に遊んだ草原にやって来た。兄は弟に棍棒を渡すと、私への憎しみをさらけ出すが良いと弟に言った」


 アザレアは相変わらず、書物に目を向けて話続ける。


「暫く兄弟は、お互いに直立不動で言葉も交わさず見つめ合っていたが、弟が意を決したように兄に言った。私の憎しみを受け入れてくれるなら、同じ罪を背負ってください。弟は兄に棍棒を返すとその場に座り込んだ」


 アザレアは書物を閉じると、トビアスの近くに歩み寄った。


「後は、お前が知っている結末だ。カインは法の下には許されたが、己の信念の下に罪を負った。トビアス、罪人には罪を犯す理由があるのだ。時に逃げられず、意図せず犯さざるえない事もある。私の弟子にはカインの様に、逃れられなかった罪を背負う者も多い。罪を憎んでも、それを犯した者まで憎むな」


「カインは自分で自分を苦しめる悪夢を作ったのか......」


 トビアスはすっかり意気消沈し、床に座り込んでしまった。


「さて、ところでトビアス。お前は私が持っている、この板を見ても何とも思わないのか?」


 トビアスが顔を上げると、アザレアは先程から持っている書物を自分の顔の横で少し振った。


「そんなの別に......あっ!!」


 トビアスがしまったと言う顔をすると、アザレアは眉間にシワを寄せた。


「これは、紙と言って、この世界にはまだ存在しない物だ。これは、かつての師である天使に貰った物、天界以外では冥界にも存在している代物だ。お前はカインに邪視を使っただろう?冥界の死神、いや、それよりも強力な邪視だ」


 トビアスの額から汗が噴き出す。死神との契約をどうやって死守する?アザレアの尋問からどうやって逃れる?


「ラファエルに一本取られたなトビアス」


 天井からガブリエルの声が聞こえてくると同時に、心地の良い白百合の香が部屋中に充満する。


「やれやれ、やっと出て来たか。死の天使よ」


「私は冥界の使いだ。勝手に天使にしないで欲しい」


 ガブリエルが二人の間に、ゆっくりと姿を現しながら答えた。


「トビアスの口からは言えない。私が説明する。いいだろう?アザレア......いや智天使ラファエルよ」


 トビアスは緊張から二人の会話に入って行けない。しかし、禁を破らずに済みそうだ。それほどにガブリエルへの信頼が育っていた。


「まず、その少年に邪視を貸したのは私だ。取り付いていたのも私1人だ」


「死神の邪視にしては強力過ぎるのではないかね?あなた方は、まだ何かを隠しているだろう?」


「邪視に関しては、何故トビアスがこれ程に開眼してるのか私にも分からない。トビアスは冥界の王の1人に会っているようだが、その記憶がトビアスには無いのだ」


 トビアスは二人の会話をただ黙って聞いているしかなかった。


「トビアス、黙ってないで何か言ったらどうだ?」


 ラファエルがトビアスに詰め寄るがトビアスは何も言えない。


「だから、聞いても無駄だ。トビアスに私以外の冥界に関した記憶は無い」


「トビアス、この者の言っている事は嘘偽りの無いモノか?」


「この子の口からは言えない。私と冥界に関する事を誰にも話さないと契約した。冥界の皇帝の名の下にな」


 ラファエルは二人を前に、ただ立ち尽くす他ない。この二人をどうする?謎の多いまま旅に同行させるのも危険だ。


「取り敢えず。今夜は二人とも、もう寝てくれ。少し考える時間が欲しい」


「いいだろう。死神が付いたトビアスを同行させるも、させまいも師であるお前の自由だ」

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