第10話トビト記7
白百合の香が燃え尽き、玄関先に松明が掲げられた頃、師と兄弟子達が歓談をしながら賑やかに帰って来た。
(今日の夕食前にカインに確かめよう)
トビアスの熱はすっかり下がり、何時もの調子に戻っている。
(冥界の香は凄いな)
部屋に戻って来た兄弟子達には、香りを感じる事が出来ないようだ。いつの間にか香炉も消えて無くなっていた。
夕食時、トビアスは食堂の前で師匠に呼び止められた。
「お前、今日誰かに会ったか?」
「いいえ。ずっと寝ていました」
師匠はトビアスの頭の匂いを嗅いで首を傾げた。
(気のせいか?)
トビアスはガブリエルの事を悟られるかと不安になったが、師匠が納得したように食堂に入って行ったので自分も後に続いた。
食堂では兄弟子達が既に配膳を行っている。トビアスはカインを探すと、すかさず隣に座った。
「もう起きていいのかい?トビアス」
カインはいつもの優しい笑顔で話し掛けてきた。
「熱はもう下がりました。明日からは説教に同行するつもりです」
「無理するな」
カインの黒い塊は、最初見た時より若干小さくなっている気がしたが、近くに寄るとまだまだ嫌な感じを受ける。
「もしかしてカイ兄さんには、血縁の弟が居たりします?」
「......居るよ」
少し間を置いてカインが答えた。
「故郷に母と二人で暮らして居るんだ」
「故郷は何処ですか?」
「チグリス川のずっと上流さ、私は遊牧を営むフリル人の小さな集落で生まれ育った」
カインは、故郷を思い浮かべながら目を閉じた。
「素直で可愛い弟だったよ。君は、幼い頃の弟に少し似ている」
暫くの沈黙が続いた後、トビアスがとても小さな声で囁いた。
「その弟の名前は......アベル」
本来なら騒がしい夕食時の食堂、二人の間だけは全ての音が遮られ、無音の時が流れる。
「......どうして」
カインの顔から血の気が引き、みるみる青ざめて行く。トビアスは方唾を飲んでカインを見つめた。
(やはり......ただの夢じゃなかった)
カインの蒼白な顔、震える手。トビアスの中で疑惑が確信に変わると同時に、聖人君子を演じているカインへの信頼が一瞬のうちに憎しみに変わる。
「貴方は弟を殺したんだ」
トビアスは、その憎しみを込めてカインを睨み付けた。
「私は!」
カインはそう叫ぶと口に手を当てて、よろめきながらも足早に食堂を後にする。その様子を見ていたアザレアや弟子達の視線が一瞬にしてカインに注がれた。
「トビアス!お前、何をした!!」
数人の弟子達は、あわただしくカインを追いかけ、食器の割れる音や兄弟子達の叫び声で騒然となった。
「カイン!おい!止めろ!!」
「誰か!師匠を読んで来い!」
食堂に接する中庭で兄弟子達がカインを押さえつけようと躍起になっている。カインは髪を振り乱し、獣のような雄叫びを上げ腕を振り回して暴れていた。
その姿は、死に面した家畜の様でも、打ち上げられ、もがき苦しむ魚の様でもあった。
アザレアもカインの元へと急ぎ駆け付けた。カインは師の姿を見つけると、すがりつく様に手を伸ばす。
「師よ......私の罪を......私の苦しみを......」
アザレアはカインを抱き寄せると、カインの額に縦に4本、横に2本の邪視封じの印を書く。
(間に合ってくれ)
印を書かれたカインは、直ぐに気を失いアザレアにもたれ掛かった。
「トビアス......。何故お前がその目を持っている」
アザレアの目の前にトビアスが歩み出て来た。
「後で、私の部屋へ来るといい」
上空では、精度の落ちた千里眼で一生懸命にトビアスを監視するガブリエルが浮かんでいる。
「本当にあれは人の子か?力をつけた精霊が冥界側のミスで転生でもしたのか?いや......ハーデス様ともあろう方がそんなミスをするとは思えない。ならば、地上の神が戯れに宿ったのか?それなら何故、オシリス様の呪いが掛かっている?」
考えても、ガブリエルには答えが出ない。
「冥界に報告するべきか?しかし、それをしたら私が人間に邪視を与えたとバレてしまう」
下端の死神、うら若い冥皇の名は知れど、姿を見た事等一度も無い。これは、冥界の上層部だけが知る秘密。到底、トビアスの魂が冥皇のそれとは考えが及ばないのだ。
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