第8話トビト記5

 死神は冥皇の守護の下に与えられた邪視で、千里眼や透視眼、生物の死期を感じとるだけではなく高い洞察力を持ってして、その者の本質を見破る事ができる。

 睨み付けるだけで対象の動きを封じる事のできる邪視は、常に危険と隣り合わせの末端の死神には必須の力だ。


 ガブリエルは、その力を半分トビアスに貸してしまった。


(何だろう?兄弟子の背中に着いている黒い塊は)


 トビアスの前を歩く兄弟子、健康的な小麦色の肌にブルネットの髪、師の教えに忠実で優しい青年カインである。時々、弟弟子のトビアスにも自分のパンを分け与えてくれる。


「なあ、ガブリエル。カインの背中に着いてるのはお前の仲間か?」


 トビアスは小声でおそらく近くに居るであろうガブリエルに話し掛けた。


「あんなモノが我々と同じ神であるものか」


「ならば悪霊と言うモノか?」


「違うね。あれは、あの青年の本質だ」


「そんな訳がないだろう。誰よりも優秀で優しい兄弟子だ」


「やはりお前の師は、我々程の眼力は持っていないようだ。これはアザレアに取り入るチャンスだぞトビアス。死神の仕事からは外れるが、お前の力を見せしめるには打ってつけだ。いいかトビアス。カインをずっと監視し、本質を白昼の下に晒してみろ」


 トビアスは半信半疑だったが、何せ金が必要だ。その日からカインの動向を注意して良く見る事にした。


 カインは、誰よりも早く起き、先ずは主に祈りを捧げると、厨房へ行き宿屋の使用人達の手伝いをする。カインは他の弟子達や師のみならず彼と接する全ての人を笑顔にした。


(本当にこんな人に秘密があるのか?)


 トビアスはカインの後を付け回し、信頼を寄せている様に振るまった。


「最近、君は良く私のそばに居るね」


「私はカイ兄さんが好きなんですよ」


 カインにとってトビアスの様に自分を慕い、すり寄ってくる者は珍しくない。それでも嫌な顔をせず普段通り振る舞っていた。


「私は、外面がいいだけの人間だよ。慕われるのは嬉しいが、もし私が本当は悪魔の様な男だったらどうするんだい?」


「またまた、ご冗談を」


 カインは生真面目な訳ではなく冗談も程々に言う。人を笑わせるのが得意だ。


「君は、師の教えをちゃんと聞いているかい?」


「いつも最後尾なので、程々には聞いています」


 トビアスは照れくさそうに答えた。


「最後尾なのは師が、まずは自分より仲間を知りなさいと説いているからだよ」


 カインは微笑むと自分の食器を厨房へ運んで行った。



 宿屋から少し離れたいつもの広場、トビアスはガブリエルに今日あった事を報告していた。


「今のところ怪しい行動は無いよ」


「それなら過去に何か悪い事をしたのかもしれんね。ところで、千里眼は使わないのか?お前にもできる筈だ。便利だぞ」


「なっ!私にも使えたのか!?」


 ガブリエルはニヤニヤしながら答えた。


「言うのを忘れていた」


「早く言え!それならわざわざ付け回す必要が無かったではないか」


 トビアスは、早速千里眼の使い方を教わると、練習がてら就寝前に試してみる事にした。


「え~と、まずは相手の事を思い浮かべて......」


 トビアスはカインの顔を思い浮かべた。


「次に、今相手が何処に居るのか知りたいと強く願い、その願いを目に持って行くような感覚を思い描く......」


 すると、最初はぼやけた風景が見えるだけだったが、次第に鮮明になりカインの部屋の全貌が映し出された。


「出来た!出来たぞ!皆、良く寝てるな」


 5人部屋の左片隅、カインはすやすやと寝息をたてている。


「今日はここまでだ。おやすみカイン。どんな夢を見ているんだろうね」


 集中し過ぎたのだろうか?少し目の奥が痛い。トビアスも眠りにつく事にした。


 ところで、この千里眼。ミトラ神の力を借りたとしても一昼夜で身に付くモノではない。ガブリエルも死神の中では優秀な方だったがスムーズに使える様になるまで1年の歳月を費やした。


(可愛い坊や、四苦八苦してるかな?)


 ガブリエルは羽を繕いながら星空を眺めた。今夜は新月、星が何時にも増して美しかった。


 トビアスも深い眠りに就いている。夢の中に居たトビアスは、大きな鏡の前に立たされ、己の姿を見つめていた。艶やかなプラチナの髪に、吸い込まれそうな琥珀の瞳を持つ紅顔の美青年。


 黒い異国の服に、天秤と羽を広げた鷲が金糸で刺繍された紫のストラを掛けている。


 ガブリエルと良く似た出で立ちだが、素材が違うのか、ピアスや指輪等の宝飾品を身に付けているからか、死神の雰囲気とは全く違う。


「どうかミトラをお受け取りください」


 鏡の中には、彼の他にもう1人、ミトラ(冠)を持った天使が居る。


 その天使は金色の衣装を纏い、顔を伏せ、ミトラを彼に差し出している。彼が天使に向き直り一歩前に歩み出ると、後ろから沢山の手で支えられ涙が止めどなく溢れた。


(あのミトラが怖い。被りたくない)


 心の中で叫べても、声に出す事は許されない。家臣の期待、血縁たる天使が負っている痛み、先祖が受け継いできた責務、全てのフレワシが重しとなってミトラに宿り、継承者の頭を永遠に締め付ける。あれは宝冠等では無く、茨の冠だ。


 例え、気高く美しく、長い寿命が与えられようとも、豪華な宮殿に住み沢山の神々精霊にかしづかれ祝福されようとも、神格さえ破壊されそうな痛みと責務に一生苦しみ耐えるのだ。


(ならば、ミトラを放棄し混沌を招くがいい)


 闇の中から微かに声がした様な気がした。

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