第7話トビト記4

 同じ神を崇拝する宗教でも、長い年月が経てば解釈の違いが生まれ分裂する。我等はそれをシスマと言うが、まるで一枚の布を切り裂くように糸屑を飛ばし、切り裂かれた布地は綻びを残す。


 ラファエルがまだ、地上で神の一柱として崇められていた頃、これまでに無い程の干ばつがラファエルの友人達を襲った。

 それでも友人達は、ラファエルから水を引き何とか飢えをしのいで暮らしていた。


 夏至を迎えても雨が降らず、ラファエルの体も痩せ細り、とうとう水路に水を送れなくなると、友人達は雨乞いのためにラファエルの中に自分の子供を殺して投げ入れるようになった。


 ラファエルの体は血で染まり、ラファエルの足元に流れ着いた子供達からは蛆が湧き腐臭を放つようになった。


 その頃のラファエルは意思はあれど、人に姿を見せたり、何かを訴えたりする力は無く、ただその光景を哀しみの中で見ている事しか出来なかった。


 ある時、炎を纏った剣を持つ、美しい天使がラファエルの腹に稲妻の如く落下し、その剣を深く差し込んだ。

 ラファエルは痛みのあまりのたうち回ったが、腹から空いた穴から大量の水が沸き出してきた。


「見ろ、この主の雷を。汝の弱さを戒めるこの渦を」


 それがミカエルとの出会いだった。ラファエルは自分に秘められた力を知らなかった。そして、その力を使う術を知らなかった事で失ったモノの大きさを嘆いた。


「どうしたら貴方の様に強くなれる?どうしたら誰かを救えるのです?」


 ミカエルは剣を鞘にしまうと、ラファエルの手を引っ張りあげて答えた。


「まずは己の足で歩むのだ」


 ラファエルの体はいつの間にかチグリス川と分離され、己の足で立っていた。その日からラファエルはミカエルに付き従い、人々を救済する旅を始めたのだった。


(あの方も初めは同じ道にいたはずなのに......)


 従う神が多くなると、力ある神はそれを恐れ、我等に闘いを挑む様になった。最初は主の教えを説くだけだったミカエル、ルシフェル兄弟もいつの間にか鎧に身を包み剣を振るう毎日を過ごすようになった。


「貴殿方は忘れてはいけない。本当の旅の目的を......。愛を忘れてはいけない、例え愛それぬ相手に対しても」


 アザレアは弟子達の前で説いた。


「かつて天から使わされた二人の天使も、元々は同じ道を歩む仲間だった。それなのに戦に身を置くことで、何時しか戦略のみを考え、美しい心を失った」


 アザレアにかしづく弟子達の中にトビアスの姿があった。


「強さや容貌、類い稀なる知性を持ってしても、人は道を踏み外し。全てを手にした者は、最初に持っていた輝きを見失い奢りがちになってしまう」


 トビアスはあまりにも長い説法に退屈し、ウトウトし始めた。


「国や民族が生まれたのは、主が多様性と言う試練を与えられたからだ。つまり、主は主に従わぬ者も我が子であり愛し子であると説いている。罪を憎んでも人を憎んではいけない」


 トビアスはすっかり眠り込み下を向いている。


「トビアス!立ちなさい!!」


「はい!!師匠!」


 名指しされたトビアスは立ち上がろうとしたが、足がしびれて隣の兄弟子を巻き込み倒れてしまった。


「すみません」


「トビアス、外に出て立っていなさい」


 トビアスは項垂れて宿の外に出ると深いため息を着いて顔を伏せた。


(旅の間、沢山の町を見て来たが何処も貧しく、人を雇う余裕の無い者ばかりだ)


 トビアスは焦っていた。ずっとアザレアに同行するわけではなく、賑わいのある町で根を卸し、金を稼ぎ両親に仕送りをするつもりだった。


 しかし、アザレアが向かう場所は全てが貧しく活気の無い町ばかりだった。


「おい、新入り。香油を買ってこい」


 兄弟子が座り込んでいるトビアスを叱るでもなく声をかける。

 トビアスは渡された金貨を受け取るとトボトボと通りに向かって歩き出した。


「お前は何時も暗い顔をしているな」


 トビアスがラファエルの神域から離れたのを見計らうようにガブリエルが話し掛けて来た。


「そら暗いさ。死神が何時もくっついているからな」


 その頃にはガブリエルの存在にも慣れ、二人は良く話をするようになっていた。


「人のせいにするな。お前を見ていると、私まで暗い気分になるよ」


「なら冥界に帰れよ。いい加減離れたらいいだろう?」


「それが出来たらしているさ。ミトラスの契約は絶対だ。なあ、お前。金が欲しいんだろ?」


「その質問に答える価値があるか?」


「私が良い金稼ぎの方法を教えてやろうか?」


「そんな方法あるものか。皆貧しいのだ。それに、アザレアの弟子でしかない私に何が出来る」


「ふふ......。金などある所には溢れるだけあるのだ。アザレアの力を利用して好きなだけ稼げるさ。その力を引っ張り出すのがお前だ」


「師匠の?バカな事を......どうせ弟子達の飯代に消えるだろ」


「そうならない為に、お前が弟子の中の一番になれ。アザレアがお前に執着し、離れがたくなるようにするのだ。私がその術をお前に教えてやる」


「そんな事が出来るのか?」


「アザレアには、これから主の教えを説く事以外に私の仕事を手伝ってもらう。死神の誇り高き仕事の1つよ」


「お前達は他にも良からぬ事をしているのか?」


「何か勘違いしているようだが、私達は寿命を迎えた肉体から魂を取り出し、冥府へ誘っているだけよ。お前も見ただろう?」


「で?他には何をしでかしているんだ?」


「たまに力を持った悪しき精霊が人や動物に取り付き悪さを働いたり、地上に執着し災いを振り撒いたりしている。それを取り締まるのも我等死神の仕事だ」


「師匠が言う天使の仕事みたいだな」


「あのルシフェルやミカエルと言う天使は、自分達に従わぬ者を牽制しているだけだ。アザレアは知らんかもしれないが、あれも元々冥府の神の一柱よ。畏れ多くて出自は教えられないがな」


「確かに師匠なら喜んで引き受けそうだね」


「では、交渉成立だ。お前に少しだけ死神の力を貸してやる」


 ガブリエルはトビアスの目を片手で覆うと、呪文を唱え始めた。


「よし!開けてみろ」


 目を開けると、ガブリエルの姿は既に無かったが、代わりに兄弟子の姿があった。


「トビアス、いつまで油を売っているんだ。香油はどうした?」


「あっ!!」


 トビアスは香油の事をすっかり忘れていた。

 上空ではガブリエルが少し笑みを浮かべて二人を見ている。


(トビアス、力を分けてやったのだ。少しは笑顔を見せてくれよ)

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