第6話トビト記3

 トビトの家から少し離れた民宿にアザレアは数人の弟子達と供に下宿していた。


 トビアスは、母からお守りにと貰った金貨一枚だけが入った小袋を首にぶら下げ、父からの手紙を手にアザレアの元を訪ねた。旅に出るならアザレアに同行せよとの父の言い付けを守るためだ。


「ここにアザレアと言う方は居ますか?」


 玄関前で葡萄酒を飲み交わしていた数人の青年に声を掛ける。


「アザレアは私達の師だが。何か用か?」


「私はトビトの子のトビアス。父から手紙を預かっています。お目通りをお願いします」


 トビアスは手紙を差し出し、青年達に訪ねた。


「アザレア様は、貴方の間では天の御使いの化身と言われているのですよね?」


「そうだか、それがどうした?」


「天使は人に試練を与える事もあるのでしょうか?」


 青年達は顔を見合せトビアスに訪ねた。


「お前には、その試練が訪れたか?」

「今まさにです」


「面白い奴だな。ちょっと待っていろ」


 青年が一人手紙を持って建物の中へ入って行った。


「師匠、外に面白い少年が居ますよ」


「知っています。その少年には死神が着いているのです」


 アザレア、天界ではラファエルと呼ばれる智天使である。彼は元々ミカエルにかしずく天使であったが、ルシフェルやミカエルのやり方。従わない者への単純な力や暗躍、恐怖による支配を良しとしていなかった。彼は彼なりのやり方で信者を集める主の教祖として、第2の勢力となろうとしていた。


「私の癒しの力を持って死を遠ざけてしんぜよう」


 アザレアは、信者から受け取った手紙を懐にしまうとトビアスの元へ向かった。


「厄介な事になった......」


 民宿のおよそ1キロメートル上空、死神ガブリエルは腕組みをして浮かんでいた。


「まさか、ラファエルと接触してしまうとは」


 冥界でもラファエルの名は知れ渡っている。あの先代ミトラが残した負の遺産たる皇子2人の強力なライバルだ。冥界では、力を付けたラファエルが皇子達に歯向かい、天界を混沌に導けばいいのにと期待している者共も居る。


 諸々の国を滅ぼし、我等死神に残業を課している悪徳皇子。それがルシフェルとミカエルの冥界での評価だ。敵の敵は味方。しかし今、ラファエルは自分に敵意を向けている。


「暫く上空から見守るしかあるまい」


 死神達は、ミトラ神との契約により邪視を使う事が出来る。ガブリエルは千里眼を使いトビアスの行動を監視する事にした。


「よく会いに来てくれた。悩める子羊よ」


「アザレア様ですね」


「いかにも、私がアザレアだ。そなたには厄災が付いている。私が払ってしんぜよう」


 トビアスの前に現れたのは、髪と髭がつながった、いかにもインチキ教祖と言った出で立ちの老人だ。


(大丈夫か?この爺さん......)


 トビアスは若干の不安を感じた。


「そなたの厄災、それは死神によるものだ!」


「えっ!!」


 トビアスは狼狽えた。この老人は本物だ。しかし、死神の事を話しては己の命が危ない。トビアスは脳内で、死神が言っていたミトラと言う最強の神とアザレア、どちらが強いのか天秤にかけていた。


「特に、そなたのかけている小袋からは冥府そのものの臭いがする。その小袋を私に渡しなさい」


「えっ!?あの、手紙は読みましたか?旅への同行を懇願してあったはずです」


「旅に同行する必要は無い。その小袋を渡せば、ほぼそなたの厄災は払われたも同然じゃ」


 その瞬間、アザレアとミトラが乗った天秤は、90度ミトラ側に傾きミトラの圧勝で幕を閉じた。


(こいつは金の亡者だ)


 トビアスが小袋を手で覆い隠すと、アザレアはトビアスに歩み寄りその手を払いのけた。


「やめろ!このペテン師め!!」


「その言葉は死の悪魔が言わせているのか。さあ小袋を渡しなさい!」


 上空では、この様子を見ていたガブリエルが腹を抱えて笑っていた。


「人間観察とは、中々面白いではないか」


 とうのアザレアは勿論そんなつもり等なく、ただ少年を死の陰から救いたい一心である。

 トビアスが身を翻すととっさにアザレアが首紐を掴んだので、勢い余って紐が切れ、小袋に入っていた金貨が飛び出した。

 アザレアは金貨をキャッチするとギュッと握りしめてトビアスに言った。


「この金貨には呪いが掛けられている。普通の人間が持っていていい物では無い。お前はおそらく、長い時をこの呪いと過ごしたのだろう。お前の体には既に死臭が染み込み交わっている。元凶を取り除いたのでやがて呪いは抜けようが、今のお前を我等と同行させる事は出来ない」


「その金貨は母が天使から賜ったものだ。返せ!!」


「それこそが呪いの化身だ。心当たりがあるはずだ」


 アザレアはそう言い残すと、金貨を手に宿の中へ入って行った。

 後に残された憐れなトビアス。家に帰る事等出来ない。宿を離れ、金も奪われ途方に暮れていると後ろから声を掛けられた。


「少し肝を冷やしたぞトビアス。しかし、笑わせてもらった。礼を言うぞ」


 後ろを振り返ると、ガブリエルが笑みを浮かべて立っていた。


「あんたのせいで父の言い付けを守れなかったじゃないか」


「ふふ......。それこそお前達人間が大好きな、人生の試練と言うものじゃないかね?」


「笑うな死神!一文無しでどうやって出稼ぎに出ればいいのだ。この町では仕事に等ありつけない」


「選らばなければいくらでもあるさ。かつて、天使に選ばれ財をなしたトビトの子。天使に選ばれたなんて嘘偽りで人の心を掴もうとした父親の罰が子に報いているな。この町の者はお前の一族が既に落ちぶれている事ぐらい知っているさ。プライドを捨て誰かにすがるといい」


「消えろ!死神!!」


 トビアスは目に涙を貯めている。まだまだ幼い子供。ガブリエルはトビアスの様子を見て、少し言い過ぎたかと心を痛めた。


「やれやれ、子供の面倒は大変だ」


 ガブリエルは目を閉じると、千里眼を使いラファエルの様子を覗き見る事にした。


「これは、まさかこんな事が......」


 アザレアは沢山の書籍に囲まれた個室でトビアスから取り上げた金貨を見つめている。当時、ギリシャから西アジアにかけて出回り始めていたエレクトロン貨より遥かに質の良い金貨。

 ガブリエルはその金貨にピントを合わせるとビックリして目を見開いた。


(羽を拡げたフレワシに天秤の紋章!何故冥界のコインが地上にあるのだ!?)


 その時、ガブリエルとアザレアは同じ事を思った。

 トビアスは確実に冥界と深い繋がりを持っている。どう見ても普通の人間の子供、それなのに冥界の上位神オシリスの呪いを抱き、宝物まで与えられている。


(オシリス様はトビトの一族に肩入れする理由でもあったのか?)


 同時刻、アザレアはトビアスから渡された手紙を読んでいた。

 そこには、昔トビトが天使に合った事、精霊の子トビアスを慈しみ育て上げた事、その天使にアザレアの元へ渡せと命じられた事が綴られていた。アザレアは手紙を読み終えると手紙を暖炉にくべ燃やした。


 ガブリエルは、一度トビアスの背中に目線を移すと、また目を閉じアザレアの個室を移しだした。

 暖炉の火が今にも消えようとしている。アザレアの姿は見え無い。


(何処へ行った?)


 宿中を千里眼で探し回ったが見つからない。


(外へ出たか?出くわしたら厄介よの)


 人が疎らになった夕暮れ時、トビアスをそのままにするのは気が引けたが致し方ない。


「トビアスよ。何時でもお前を見ているぞ」


 ガブリエルは地面を蹴って空高く飛び上がって消えた。

 ニネベはそこそこ栄えた都市だが決して治安がいいとは言えない。

 夜のニネベは子供が1人で出歩いていい所ではない。


「ここに居たか。トビアス」


 松明を持ったアザレアがトビアスに話しかけた。


「お前さんの父親は、天使は天使でも冥府の天使と契約してしまったようだ。この金貨は浄化しておいたから、そなたが持っているといい」


「爺さん......何で」


「善悪係わらず精霊が宿るそなたをそのままにはしておけないよ。私の事は、これから師匠と呼びなさい。一緒に参るか?」


「はい!」


 その上空、ラファエルの力が及ばぬ距離で二人を見ていたガブリエルはラファエルに向かって思いっきり唾を吐きかけた。


「雨が降って来た。早く帰ろう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る