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研究の日々がすぎた。
総合部門は研究所内のすべてのデータを統括する中枢部門だ。
最終的な目標は、M酵素の変異を任意の塩基配列でだけ働かせることができるようにすること。
つまり、人体に悪影響をおよぼす変異をなくし、ESPを発現させる変異だけを得られるようにする。そうなれば、M酵素は、もう恐ろしいものではなくなる。
さらに、荒廃した今の地球では、ESPは大きな武器になる。城之内博士が最初に目的にしていた不老不死にも近づくことができる。
「人類が滅亡しかけてるときに、欲張りすぎる研究かな」
ある夜、真也はプリンスと二人でいるときに、ベッドのなかで言ってみた。
いつからということもなく、なんとなく、真也はプリンスと、そういう仲になっていた。
べつに強要されたわけではない。といって、とくにプリンスを愛しいとも、うとましいとも思わない。欲したときに、そこに彼がいたから。それだけだ。
研究所にも無菌室のなかに女はいた。が、相対的に数が少ない。恋愛や快楽の対象にはできない。ヘルが人類にとって脅威でなくなるまでは、ずっとそうなのだろう。
真也はその手の誘いはよく受けるほうだ。でも、あまり、しつこくされるのや、独占欲を発揮されるのは好きじゃない。
その点、プリンスは淡白なのがいい。
おたがい若いので、ベッドのなかで熱くなることはあるが、日常生活のなかでは、恋人というより、同じ研究にたずさわる上司と部下にすぎない。
真也がほかの誰と一夜をともにしても、プリンスは何も言わない。反対にプリンスが、真也のとなりで後輩をベッドに誘っていても、真也は干渉しない。
妬いたり、妬かれたりする仲ではないのだ。
真也もプリンスも、ほんとに大切だったものは、とっくになくしてしまったから。
(ほんとに欲しかったのは、露彦。おまえだけ……)
いまさら言っても始まらない。
露彦は七年も前に死んでしまったのだ。
それでも、今でも目をとじると、露彦の花のように、あでやかな笑みが思いうかぶ。
誰よりも、あざやかで、誰よりも美しかった露彦。
あの笑みに囚われて、心は一歩も前にふみだせない。
とつぜん、プリンスが言った。
「人類は滅亡はしないさ」
真也は我に返った。
自分から話しかけておいて、そのあと、ずっと、ぼうっと考えこんでるのだから、ずいぶん失礼な態度だった。
でも、なぜか、プリンスといると、露彦のことをよく思いだす。たぶん、真也とプリンスの心の痛みが似ているせいだ。
「そうですね。人工授精によるスクラッチド・ベイビーは、第一期、第二期とも、ぶじに成長してる。彼女たちの仲間を大量生産できれば、人口はかなりのパーセンテージで増加するでしょう」
科学者どうしなので、どうも寝物語が色っぽくない。
「人類は滅亡はしないさ。たとえ、地球上の人間すべてが死に絶えたとしても」
プリンスは謎のようなことを言った。
「なぜです?」
たずねると、プリンスは窓をさした。
青い月光がふりそそいでいる。
「月はだんだん地球に似てくるな。パンデミック前は、こんなに青くなかったそうだ。月に大気ができてるんだ」
「月に逃げた人類がいる……そういうウワサですね」
「ウワサは真実だったんだ。もし、我々の研究が失敗に終わっても、彼らが生きのびてくれれば」
「弱気なんですね。研究を必ず成功させるんじゃないんですか?」
「ときどき、なにもかも、イヤになる」
真也は気づいていた。
プリンスが、そういう気分のときに、真也を誘うということに。
真也に亡き親友の面影を見て、なぐさめられたいのだと。
わかってはいるが、なんとなくイライラする。
だから、ちょっとイジワルを言った。
「たしかに、そう思ってれば気は楽でしょうね。でも、僕は月の連中の鼻を明かしてやりたい。やつらが地球上の全人類は滅びたと思いながら、ここへ帰ってきたとき、彼らより優秀な新人類が楽園を築いていたら、やつら、ビックリするでしょうね。そのときの顔を見てやりたいけど。たぶん、僕たち自身には、ワクチンは、まにあわない」
プリンスが無力感におそわれるのは、そのせいかもしれない。
ヘルに勝てる新しい人類を生みだしたとしても、自分自身は、そこに入ることはできない。
滅ぶべき、古き人類なのだ。
しかし、真也はかまわない。
真也には別の生きがいがある。
復讐という生きがいが。
真也はベッドをおりて、衣服を身につけた。
「今夜は失礼します。明日の検査薬の実験には立ちあっていただけますか?」
「ああ」
立ち去ろうとすると、プリンスが呼びとめた。
「真也」
「はい」
「おまえは片時も研究を忘れられないんだな」
ちょっと意表をつかれた。
返事に窮する。
ほかに何を話せと?
すると、プリンスは不機嫌になった。
「なんでもない。帰れ」
「はい」
翌日、真也は自分の開発した新薬の実験をおこなった。
これまでの検査薬は、DNAにとりつく前のM酵素しか探知できなかった。
つまり、全身の細胞にMがとりつき、体内で飽和状態になってる末期の患者しか検出できなかった。変形をおこす劇的変異の手前の患者だけだ。
そこで、真也はもっと早い段階で患者を見つける方法を考えた。
DNAのテロメア基部に残る、ディーモンズ・スクラッチに反応する検査薬だ。つめあとに反応して発色するのだ。
これなら、全身のどの部位の何パーセントの細胞がMに侵食されているか、ひとめでわかる。内臓については、内視鏡検査だ。
侵されている部位がわずかなら、外科手術でとりのぞける。
マウスでの実験は成功していた。
いよいよ、人体での実験だ。
かつては、あれほど怒りをおぼえた人体実験も、今は、なんの感情もわいてこない。
どうせ、真也たちの実験が失敗すれば、地球上の人類は全滅するのだ。死ぬのが早いか遅いかの違いだ。
そんなふうに思う。
おそらく、真也の精神は荒廃してるのだろう。
でも、それも、どうでもいい。
実験には約束どおり、プリンスもやってきた。
「二本足のモルモットは希少だからな。大切に使えよ。真也」
「この薬じたいには、なんの危険もありませんよ。発色時間に個体差があると予測できるので、そのへんの詳しいデータをとるためです」
「ヘル感染を早期発見できれば、迅速な対応ができる。とくに研究員は代えがきかないからな。期待してるんだ」
「ありがとうございます」
昨夜のことがあるせいか、会話がぎこちない。
助手が実験台の少年をつれてきた。
真也は、みずから、少年の腕に新薬を注射した。
「今は反応をすみやかにするために、血液に注入しました。同時に経口薬も開発しています。経口薬は腸の粘膜で吸収されてから効果が表れます。発色までに数時間かかりますが、二次感染をふせぐためには、経口薬のほうが安全です」
実験台の少年は、前もって従来の検査紙で非感染が確認されている。注射しても、大きな変化はない。足の一部に、ポツポツと赤い発疹のようなものが表れた。
「このくらいなら正常値ですね。二次感染もない」
「よさそうだな。経口薬は完成してるか?」
「いつでも大量生産にとりかかれます」
「では、少なくとも、あと十例のデータは欲しい。それでパスしたら大量生産だ。そうだな。試しに、キャリアの反応も見ておくといい」
「やっておきますよ。全身、ピンクに染まるだけだと思いますが」
真也は自信をもって答えた。
だが、じっさいには、とんでもないことになった。
隔離病室のヘル患者に、経口薬をとらせた。
数時間後、その患者は発病中にのみ見られる劇的変異を起こしたのだ。
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