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その日から、真也は死にものぐるいで勉強した。

もともと知能指数の高い人間が一心不乱に学習するのだ。その成果はめざましい。

二年で大学卒業ていどの学力は身につけた。

十四さいには、研究に必要な専門知識を学んでいた。

医学や病理学をひととおり習得し、研究員の助手として認められたのは、十七のときだ。


「先月の試験の結果を見た。真也。おまえを明日から、僕の研究部門の助手にくわえよう」


王子製薬の副社長、王子信博は、自身、優秀な医学者でもある。薬屋を設立した社長の養子だ。


社長は、ただの武闘派なので、研究については、頭脳明晰な息子に一任している。


だから、研究所のなかで絶対の権力をにぎってるのは、信博だ。彼のことは、誰もがプリンスと呼んでいた。


プリンスが直接に担当しているのは、総合研究部門と銘打たれている。じっさいには、どんな研究内容なのかは、そこの研究員だけが知っている。


つまり、研究所のなかでも選ばれた少数だけだ。その一員になれるということは、とても栄誉なことだ。


とはいえ、研究員とはいっても、とうぶんは下っぱだから、さまつな作業をさせられるだけだろう。秘密の研究の内容までは教えてもらえまいと、真也は考えていた。


だから、

「研究の内容は、いつ教えてもらえるんですか?」と、聞いてはみたものの、返答が返ってくるとは思ってなかった。


ところが、プリンスは真顔で真也を見つめていた。かなり熟考したあと、かるく指先で手招きする。


「いいだろう。いずれは知ることだ。来い」


プリンスは、さきに立って歩きだす。

プリンスが実務に使っている応接室から、長いろうかを歩いていき、エレベーターに乗った。

地下の研究室に行くつもりなのだ。


我知らず、真也はワクワクした。

初めは氷河への復讐のためだけに始めたことだが、学ぶことは嫌いじゃない。この数年、新しい知識を次々に吸収していくのは楽しかった。

いよいよ研究の内容がわかると思うと、胸がはずむ。


エレベーターが下降する。

そのあいだ、プリンスと二人きりだ。


なぜかはわからないが、プリンスは、これまでも、たびたび、真也のようすを見にきた。豪華なディナーに招いてくれたり。

呼ばれていっても、とくに話すことはないのだが。せいぜい、真也の勉強の進捗ぐあいを二言、三言、話すくらいだ。

なんとなく、プリンスは真也の顔をながめるためだけに会いにきているような気がする。だからといって、ほかの男みたいに色目で見ているわけでもない。


真也を見ながら、べつのことを思っているような。

そんな気がする。


今も、そうだ。

じっと、物思うような目で、真也を見る。


「背が伸びたな」と、プリンスは言った。

「はい。一年で十センチ伸びました」


「だが、疫神を倒すつもりなら、もっとウエイトを増やさないとな。決心は変わらないんだろう?」

「もちろんです」


いつもなら、会話はこのていど。

でも、今日のプリンスは饒舌じょうぜつだ。


「以前は答えなかったな。なぜ、疫神を倒したいんだ?」と、ふみこんだことを聞いてきた。


真也も今なら答えてもいいと思う。


「氷河に大切な人を……親友を殺されました」


そのとき、エレベーターが目的の階についた。

ドアがひらき、プリンスは外に出る。真也の言葉は聞こえてなかったのだろうか。


エレベーターのすぐ外に、セキュリティ用のゲートがあった。

プリンスが手をあてると、強化ガラスのドアが自動でひらく。ドア全体が生体認証のセンサーになっているのだ。


ドアの向こうは消毒室。そこで全身、殺菌される。


そのあと、二つめのドアの外へ。

そこから先が、ようやく研究室のならぶ研究エリアだ。感染ルート特定部門、キャリアデータ部門、ワクチン開発部門といった部門ごとのセクションにわかれている。


複雑なろうかを歩いていたときだ。

とつぜん、プリンスは低い声で語りだした。


「僕にも、いたよ。親友がね。以前……子どものころに。僕とマサヤは同じ時期に、別々のコミューンから、つれてこられた実験用の子どもだった。僕は他人より少しばかりIQが高かった。しばらくして、研究者のほうに、まわされた。それきり、マサヤと会うことはなかった。マサヤは実験台にされて死んだと聞かされたよ」


そう言って、ちらりと真也を見る。


「おまえに、似ていた」


なるほどと納得する。

プリンスは真也と初めて会ったとき、なぜか、意表をつかれた顔をした。真也の名字にもおぼえがあるようだった。


それにしても、マサヤ……?

どこかで聞いたことがある。

考えるが、思いだせない。


そのうちに、第二のゲート前についた。


「このさきが総合研究部門。おまえが明日から働く場所だ」


第一のゲート同様に、プリンスがゲートをひらく。


なかは期待に反して、ふつうの事務室のようだ。パソコンが何台もあって、カギつきの書棚に書類やデータディスクが保存されている。

研究員の姿はない。

でも、そこから、さらに奥にいくつもドアがある。


「ここは研究員の休憩所をかねたデスクワークルームだ。本当に極秘なのは、このさきだよ」と、プリンスは笑う。


「真也。おまえ、城之内博士の研究は知ってるな?」


とうとつな質問にとまどう。


「もちろん。バイオテクノロジーの権威ですから。論文は全部、読みました。ノーベル生理学医学賞の受賞直前までに、行方不明になったんですよね?」


城之内博士はパンデミック以前の世界において、医学史に名を残す第一人者だ。アインシュタイン以降、最高の天才とまで言われた。

二十一世紀の医学は城之内の研究とともに発展した。仮にも医学を志す者が、彼の研究を知らずには、すまされない。

真也の専門知識も、ベースは城之内博士の研究だ。


プリンスは、ここで講義のおさらいでもするつもりだろうか?


だが、そうではない。

プリンスは話の核心に迫っていたのだと、すぐにわかった。

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