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自分のなかに誰かがいて、ぬけだしたがっている。
自由になって、何かを果たさなければならないと主張する。
『彼』はいらだっている。
もう時間がないのだと——
「真也」
ゆりおこされて、真也は目ざめた。
本気で寝るつもりはなかったのに、いつのまにか眠ってしまっていた。
「ごめん。もう時間だね。行こう」
のぞきこんでる露彦に、真也はうなずきかける。
室内は暗い。もう真夜中だ。
同室の子どもは、みんな寝息をたてて寝入ってる。
露彦は少し不安そうだ。
「ほんとに……行くの?」
「もう日にちがない。行かなくちゃ。十日後には、露彦は……」
八月。暑い盛り。
新潟のこのあたりでも、やはり盛夏は暑い。
真也が育ったのは、山中の高地だから、もっと涼しかった。
外では、うるさいぐらいにカエルが鳴いている。
年に一度のイケニエの祭は、十日後に、せまっていた。これまで脱出の機会をうかがっていたが、いつもジャマが入って決行できなかった。
でも、もう時間にゆとりがない。
祭の日には早朝から、信者たちが斎宮をのせた御輿をかつぎ、疫神の住む御神楽山に登っていく。
前日の夜から、露彦は潔斎に入るので、それまでに逃げなければならない。
幸い、祭のしたくに教団信者は忙しい。ここ数日、見張りが手薄だ。寮の子どもも仕度を手伝わされて、疲れて眠っている。逃げだすなら、今しかない。
真也と露彦はそろって寝室をぬけだした。
暗いろうかから玄関を出る。
井戸へ行くふりをして、寮と寮のあいだの暗がりへ入る。ここに二枚の板を用意していた。これを持って、サツマイモ畑へ向かった。
サツマイモは青々と葉がしげり、身をかがめて、うねのあいだをはっていく真也たちの姿をかくしてくれる。
見張りの物見台からは、真也たちの姿は見えないだろう。定時の巡回にだけ気をつけていればいい。
有刺鉄線の柵をぬけだすこともカンタンだ。そのために板を用意してきた。有刺鉄線のあいだに二枚の板をさしこみ、上下にひらいて、鉄線のすきまをひろげた。
真也たちが、ぬけだすには、じゅうぶんなスキマとは言えない。が、多少のケガなんて、かまってられない。
「露彦。さきに行って」
ささやいたときだ。
ふいに畑の手前から声がした。
「おまえら、何してるんだよ」
見まわりの兵士だと思って、あわてて、ふりかえる。しかし、人影は兵士にしては小さかった。子どもだ。
近づいてくると、誰だかわかった。
「浩二か」
浩二は敵意のこもった目で真也をにらんでいる。
「このごろ、おまえらのようすが、おかしかったから、注意してたんだ。こんなこと許されないからな。露彦は氷河さまが斎宮に望まれたんだぞ。なのに、逃げだそうとするなんて!」
真也は浩二にとびかかった。
「つゆ! 逃げて!」
「でも……」
「ぼくは、あとで追うよ。早く!」
露彦が逃げたかどうかはわからない。
真也は浩二を押さえるのに必死だったから。
それだけ騒げば、見張りに見つからないわけがない。まもなく、銃をもった兵士が何人も、かけつけてきた。
真也は、あたりを見まわした。
露彦は、まだ有刺鉄線のところにいた。
「ばかッ! 早く行けよ!」
「行けないよ! 真也をおいて」
ああ……それで、けっきょく、二人は捕まってしまった。牢屋につれていかれて、二人とも投げこまれた。
大人が大勢、二人をとりかこむ。手に丸太やムチを持って。
「露彦。おまえ、これまで育ててもらっといて、ずいぶん恩知らずなマネしてくれるじゃないか。ちっと痛いめみないとわからないか」
ひげづらの男が、これみよがしに脅す。
「まあ、待て」と、別の男がひきとめる。
「露彦は十日後には斎宮になってもらわなけりゃならん。傷をつけるわけにはいかない」
じゃあ、と言って、男たちは真也を見直した。
「真也だったかな。おまえ」
「こいつも姫候補だ。かわいい顔してる」
「なら、体に傷、残すわけにいかないな。誰か水くんでこい」
十二の真也が、数人の大人にとりかこまれて、どう抵抗しようがあったろう。
手足を押さえつけられて、たっぷり水を張ったタライのなかへ、くりかえし頭をつっこまれた。たらふく水を飲んで、せきこんでるところを、また、やられる。
自分が何をしてるのか、なんのために、そこにいるのか、わからなくなってくる。
まわりの声も遠くなった。
(どうして、ぼくは、ここから出られないんだろう? こんなとこで捕まってるわけにはいかなかいのに。何かを……しなくちゃいけないのに……)
鈴の音が聞こえたような気がした。でも、一瞬だ。
ぐったりしてる真也のよこで、誰かが叫んでる。
「もうやめて! ぼくは斎宮になるから。真也をゆるしてあげて。でないと、死んじゃうよ。真也」
だめだよ。露彦——そう言いたいのに、声にならない。
「いいだろう。露彦をつれてけ。祭を早める。仕度はまにあうか?」
「今日明日じゃムリだ」
「じゃあ、三日後だ」
そういう声が遠ざかり、大勢の足音とともに、周囲の気配が消えた。
そのまま、真也は失神した。次に気づいたときには丸二日がたっていた。真也は鉄格子の牢屋に入れられていた。見張りが一人、立っている。
「今日、何日?」
真也が声をかけると、にやりと笑う。
「さっき八日になったかな。十二時まわったはずだ」
じろじろ、値ぶみするように真也を見ている。
そうとう若い男だ。暑いのか、教団の服をぬいで、腰に巻きつけてる。
「露彦は?」
「あいつなら、今ごろ、キレイに飾りつけてもらってるよ。赤い服きせてもらって、口紅ひかれてな。夜明けになったら、祭だ」
なんでも教えてくれるあたり、あまり頭はよくないのかもしれない。
「ぼくは、いつまで、ここに入れられてるの?」
「祭がすむまでだ」
男は笑いながら、鉄格子のすきまから干し芋を渡してくる。
「まあ、食いな。露彦のおかげで殺されずにすんだんだ。感謝するんだな」
「ぼく、のどが渇いたよ」
「あんだけ水飲まされたのに、まだ飲むのか。まあ、いいや。待ってな」
男が水をとりにいく。
見張りが誰もいなくなったすきに、鉄格子をしらべてみた。外からカギかかかってる。カギは出入口のカベにかけられてるのが見えた。ろうやのなかから届く距離ではない。
(早くしないと、露彦が、つれていかれちゃう。なんとかして、ここをぬけださないと……)
幸いにして見張りは一人だ。
機転のきく感じではないし、なんとかならないだろうか。
考えながら、そのあと、真也は戻ってきた男のようすをうかがっていた。
こうしてるあいだにも刻一刻と時間はすぎていく。
まにあうだろうか。
そう思うと、気が気でない。
そのまま、何時間もすぎた。
夜明けごろ。外でタイコが鳴った。
「御輿だ! 御輿が出るんだ!」
見張りの男は、あわてて外へかけだしていった。
真也は息が止まりそうになった。
露彦が、つれていかれてしまう。
タイコの音は、ますます激しくなり、人々の歓声が聞こえた。その声が、少しずつ遠ざかっていく。
(露彦!)
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