1—2
ガラリと戸があいた。ろうかから誰かが入ってくる。真也たちのあいだに割って入る。
「ケンカはダメだよ」
ふりはらおうとした真也は、立ちすくんだ。
その子の顔を見た瞬間に、言葉では言いあらわせない不可思議な感覚におちいった。
(この子……さがしてた……)
ああ、まちがいない。
ぼくらは何度も何度も、生まれかわるたびに出会い、愛しあい、でも、むくわれなかったね。
誰も知らない、はるかな時のかなた。
いにしえのピラミッドを望むナイルのほとりで。
こんぺきのエーゲ海に浮かぶ小さな島で。
コロッセウムの人ごみのなかで。
シャンテーヌブローの森で。
水の都ヴェニスのゴンドラのなかで……。
何度も出会い、そして悲しい末路をたどった。
ぼくは、ただの一度も君を守ってあげることができなかった。いや、それどころか、何度かは君の愛を信じられなくて、ぼく自身の手で殺してしまった。
(ごめんよ。おろかだった僕をゆるしておくれ)
真也は、その子に笑いかけた。
「ぼくは真也。君は?」
「露彦(つゆひこ)」
露彦の笑顔は、この世のほかの何より美しい。
今度こそ、この笑顔を守るのだ。
真也と露彦は急速に親しくなっていった。
たがいに、ひとめで感じるものがあった。
二人は、いっしょにいられるかぎり二人でいた。まわりの少年たちが、やっかむほどに。
露彦は、とても美しい少年だ。
日本人にしては、めずらしいくらい明るいブラウンの髪。白い肌。瞳はコハク色に見えるほど、あわい色彩。
少女のような顔立ちも、西洋の人形みたい。
真也より二さい年上の十四さいだが、ならぶと真也と変わらないくらい、きゃしゃな骨組み。
名前のとおり、露みたいに、はかなく、朝日にとけてしまいそうな、ふんいきがあった。
だけど、本人は意外と勝気でヤンチャな負けず嫌いだ。露彦がいると、それだけで場が明るくなる。いつも、あたりまえに中心にいて、みんなの気分を甘くしてくれる。誰からも愛され、大切にされていた。
だから、みんなをさしおいて、露彦の心をつかみ、友情をひとりじめした真也はねたまれた。
教団での生活ぶりを教えてくれたのも、露彦だ。
「教団のなかでは、ぼくたちみたいな親のない子は寮で暮らすんだ。自分たちのことは、なんでも自分でしなくちゃいけない。
朝おきて、朝ごはんの準備。畑仕事。または宿舎のそうじ。洗濯係。食事当番。
寮は今、四つある。ひとつの寮に、五十人ずつくらいかな」
「親がないってのは、みんな、ぼくみたいに、教団の人間狩りで、狩られてきたんだろ?」
露彦は、あたりに視線をなげて、しいッと唇に指をあてる。
「ダメだよ。大人に聞かれたら、ムチでぶたれるよ」
「うん。わかってる。でも、ここなら誰も聞いてないよ」
広い畑のはしっこで、ならんでサツマイモの苗を植えていた。寮の子どもの主食は、おもにイモだ。
「わかってるならいいけど。この前のことみたいことがあると、大人を呼ばれるからね」
「あのときはバカなことしたと思ってる。でも、あいつが、あんなこと言わなきゃ、ぼくだって……」
「浩二ね。あいつは、ちょっと特殊なんだ。寮の子どもは、みんな、親を疫神に殺されてるから、心の底から教団に感謝してる子どもなんていないよ。でも、浩二だけは違うんだ」
「どうして?」
「浩二はね。自分の親に売られて、薬屋に引き渡される現場で、人間狩りにあってるんだ。だから、疫神に助けられたと思ってるんだ」
「そういうことか」
信じていた親に裏切られて、人体実験のイケニエにされようとしていたのだ。親を恨み、疫神を崇拝するようになっても、しかたない。
「浩二の言ってたことって、ほんとかな? 疫神が標的にするのは、薬屋と取り引きのあるコミューンだけだって……」
真也の問いに、露彦は目をふせた。
「さあ、わかんない。教団の大人たちは、そう言ってるけどね。それだって、ぼくらを懐柔するためかもしれないし」
おそわれたコミューンの全部が、そうではないのかもしれいが、まったくのウソではないようだ。五割……あるいは、七、八割は、薬屋に子どもをおろしていたコミューンなのかもしれない。
疫神にとって脅威なのは、ヘルウィルスを撲滅されることだ。それが疫神の命の根源であり、存在そのものだというのなら。
ワクチンを完成させようとする薬屋は目ざわりだろう。薬屋とつながりのあるコミューンへも制裁をくわえるのは当然だ。
(父さんも……そうだったのかな。ぼくらを薬屋に卸して、ひきかえにコミューンの安全を得てた? だから疫神に、おそわれて——)
そんなはずはない。
父にかぎって、そんなことするはずない。
ただ、どっちにもつかない弱小集団だったから、ジャマに思われただけだ。
真也は、そう自分に言い聞かせた。
「じゃあ、露彦も狩られてきたんだね?」
「うん。そうらしいけど。あんまり小さいときだから、おぼえてないんだ。両親のことも、なんにも。でも、真也を見たとき、なつかしいような気がしたよ。なんでかな」
露彦は、おぼえてないのだ。
かつて二人が何度も同じ時代をよりそいあって生きたことを。
真也は、それでも、かまわない。
今でも露彦が、変わらずに真也を特別に思ってくれていることは、わかっていた。
「ぼくも露彦のこと、ずっと前から知ってる気がしたよ。露彦。ぼくは、ずっと君と、いっしょにいたい。大人になっても、ずっとだ。
寮で育った子どもは、大人になったら、どうなるの? 大人になっても、君といられるよね?」
露彦のおもてが、くもった。
「どうしたの? 露彦」
たずねると、露彦は笑った。むりに作ったような笑みだ。
「なんでないよ。真也は大人になったら、きっとハンサムになるから、養子縁組の話が、たくさんあるよ。頭もいいしね」
「養子って、誰の?」
「教団の信者は親類縁者で四、五十人ほどの大家族を作ってる。財産や権利は、そのファミリーに属してるんだ。教団のなかに、さらに小さなコミューンが、いくつもあるみたいなもんだよ。
ぼくらみたいな親のない子どもが十五になって成人すると、寮を出なくちゃいけない。
そのとき、どっかのファミリーから養子にほしいって申し出があれば、そのファミリーの一員になれる。結婚もできるし、子孫も残せる。
けど、どこからも申し出がなかったら、下働きとして売られるんだ。牛や馬みたいなもんさ。一生、こきつかわれて死ぬんだ。でも、それも、外向けの戦闘員にされるよりはマシだろうね」
真也は不安になった。
「じゃあ、露彦といられないの? 別々の家に買われたら……もう会えないの?」
それで、さっき、露彦は、あんな顔をしたのだ。
そのときは、そう思った。
けれど、事態は、もっと深刻なのだと、それから幾日もしないうちにわかった。
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