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ガラリと戸があいた。ろうかから誰かが入ってくる。真也たちのあいだに割って入る。


「ケンカはダメだよ」


ふりはらおうとした真也は、立ちすくんだ。


その子の顔を見た瞬間に、言葉では言いあらわせない不可思議な感覚におちいった。


(この子……さがしてた……)


ああ、まちがいない。


ぼくらは何度も何度も、生まれかわるたびに出会い、愛しあい、でも、むくわれなかったね。


誰も知らない、はるかな時のかなた。


いにしえのピラミッドを望むナイルのほとりで。


こんぺきのエーゲ海に浮かぶ小さな島で。


コロッセウムの人ごみのなかで。


シャンテーヌブローの森で。


水の都ヴェニスのゴンドラのなかで……。


何度も出会い、そして悲しい末路をたどった。


ぼくは、ただの一度も君を守ってあげることができなかった。いや、それどころか、何度かは君の愛を信じられなくて、ぼく自身の手で殺してしまった。


(ごめんよ。おろかだった僕をゆるしておくれ)


真也は、その子に笑いかけた。


「ぼくは真也。君は?」

「露彦(つゆひこ)」


露彦の笑顔は、この世のほかの何より美しい。


今度こそ、この笑顔を守るのだ。


真也と露彦は急速に親しくなっていった。


たがいに、ひとめで感じるものがあった。


二人は、いっしょにいられるかぎり二人でいた。まわりの少年たちが、やっかむほどに。


露彦は、とても美しい少年だ。


日本人にしては、めずらしいくらい明るいブラウンの髪。白い肌。瞳はコハク色に見えるほど、あわい色彩。


少女のような顔立ちも、西洋の人形みたい。


真也より二さい年上の十四さいだが、ならぶと真也と変わらないくらい、きゃしゃな骨組み。


名前のとおり、露みたいに、はかなく、朝日にとけてしまいそうな、ふんいきがあった。


だけど、本人は意外と勝気でヤンチャな負けず嫌いだ。露彦がいると、それだけで場が明るくなる。いつも、あたりまえに中心にいて、みんなの気分を甘くしてくれる。誰からも愛され、大切にされていた。


だから、みんなをさしおいて、露彦の心をつかみ、友情をひとりじめした真也はねたまれた。


教団での生活ぶりを教えてくれたのも、露彦だ。


「教団のなかでは、ぼくたちみたいな親のない子は寮で暮らすんだ。自分たちのことは、なんでも自分でしなくちゃいけない。


朝おきて、朝ごはんの準備。畑仕事。または宿舎のそうじ。洗濯係。食事当番。


寮は今、四つある。ひとつの寮に、五十人ずつくらいかな」


「親がないってのは、みんな、ぼくみたいに、教団の人間狩りで、狩られてきたんだろ?」


露彦は、あたりに視線をなげて、しいッと唇に指をあてる。


「ダメだよ。大人に聞かれたら、ムチでぶたれるよ」


「うん。わかってる。でも、ここなら誰も聞いてないよ」


広い畑のはしっこで、ならんでサツマイモの苗を植えていた。寮の子どもの主食は、おもにイモだ。


「わかってるならいいけど。この前のことみたいことがあると、大人を呼ばれるからね」


「あのときはバカなことしたと思ってる。でも、あいつが、あんなこと言わなきゃ、ぼくだって……」


「浩二ね。あいつは、ちょっと特殊なんだ。寮の子どもは、みんな、親を疫神に殺されてるから、心の底から教団に感謝してる子どもなんていないよ。でも、浩二だけは違うんだ」


「どうして?」


「浩二はね。自分の親に売られて、薬屋に引き渡される現場で、人間狩りにあってるんだ。だから、疫神に助けられたと思ってるんだ」


「そういうことか」


信じていた親に裏切られて、人体実験のイケニエにされようとしていたのだ。親を恨み、疫神を崇拝するようになっても、しかたない。


「浩二の言ってたことって、ほんとかな? 疫神が標的にするのは、薬屋と取り引きのあるコミューンだけだって……」


真也の問いに、露彦は目をふせた。


「さあ、わかんない。教団の大人たちは、そう言ってるけどね。それだって、ぼくらを懐柔するためかもしれないし」


おそわれたコミューンの全部が、そうではないのかもしれいが、まったくのウソではないようだ。五割……あるいは、七、八割は、薬屋に子どもをおろしていたコミューンなのかもしれない。


疫神にとって脅威なのは、ヘルウィルスを撲滅されることだ。それが疫神の命の根源であり、存在そのものだというのなら。


ワクチンを完成させようとする薬屋は目ざわりだろう。薬屋とつながりのあるコミューンへも制裁をくわえるのは当然だ。


(父さんも……そうだったのかな。ぼくらを薬屋に卸して、ひきかえにコミューンの安全を得てた? だから疫神に、おそわれて——)


そんなはずはない。


父にかぎって、そんなことするはずない。


ただ、どっちにもつかない弱小集団だったから、ジャマに思われただけだ。


真也は、そう自分に言い聞かせた。


「じゃあ、露彦も狩られてきたんだね?」


「うん。そうらしいけど。あんまり小さいときだから、おぼえてないんだ。両親のことも、なんにも。でも、真也を見たとき、なつかしいような気がしたよ。なんでかな」


露彦は、おぼえてないのだ。


かつて二人が何度も同じ時代をよりそいあって生きたことを。


真也は、それでも、かまわない。


今でも露彦が、変わらずに真也を特別に思ってくれていることは、わかっていた。


「ぼくも露彦のこと、ずっと前から知ってる気がしたよ。露彦。ぼくは、ずっと君と、いっしょにいたい。大人になっても、ずっとだ。


寮で育った子どもは、大人になったら、どうなるの? 大人になっても、君といられるよね?」


露彦のおもてが、くもった。


「どうしたの? 露彦」


たずねると、露彦は笑った。むりに作ったような笑みだ。


「なんでないよ。真也は大人になったら、きっとハンサムになるから、養子縁組の話が、たくさんあるよ。頭もいいしね」


「養子って、誰の?」


「教団の信者は親類縁者で四、五十人ほどの大家族を作ってる。財産や権利は、そのファミリーに属してるんだ。教団のなかに、さらに小さなコミューンが、いくつもあるみたいなもんだよ。


ぼくらみたいな親のない子どもが十五になって成人すると、寮を出なくちゃいけない。


そのとき、どっかのファミリーから養子にほしいって申し出があれば、そのファミリーの一員になれる。結婚もできるし、子孫も残せる。


けど、どこからも申し出がなかったら、下働きとして売られるんだ。牛や馬みたいなもんさ。一生、こきつかわれて死ぬんだ。でも、それも、外向けの戦闘員にされるよりはマシだろうね」


真也は不安になった。


「じゃあ、露彦といられないの? 別々の家に買われたら……もう会えないの?」


それで、さっき、露彦は、あんな顔をしたのだ。


そのときは、そう思った。


けれど、事態は、もっと深刻なのだと、それから幾日もしないうちにわかった。

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