4—3
*
平原が広がる。
遠くに山が見える。
目に見える範囲には、およそ文明を思わせる建造物がない。
目にしみるほど美しい青空のもと、やわらかい若草の平原に、かわいたアスファルトの道が一本、のびていた。大自然のなかに、たった一ヶ所、人間の手が入ってる。
のどかなはずの風景だが、じつは、そうじゃない。
アスファルトの道を移動していくのはジープだ。自動小銃や機関銃を持つ男たちを乗せている。
ジープのあとに、ほろ馬車。
馬車のまわりも、武装した男が馬に乗って、ついてくる。
馬車のなかで、真也は泣いていた。
疫神教団の人間狩りに捕まってしまったのだ。
だが、真也は怖くて泣いてるわけじゃない。
ついさっき、自分の目の前で、くりひろげられた殺りくを思って、悔し泣きしていた。
真也たちは奥多摩山中の洞くつで、小さな自警団を作って、平穏に暮らしていた。それなのに、とつぜん、おそってきた数人の疫神に、大人たちは皆殺しにされてしまった。
真也の父も、真也の見てる前で、こときれた。
父は胸の肉をごっそり、えぐりとられていた。血だまりのなかで、最後の力をふりしぼって、真也の手をにぎった。
「マサヤ……すまない。マサヤ……」
「やだよ。父さん。死なないで。ぼくはシンヤだよ。しっかりして」
父の血で、この手をそめて、ゆさぶった。けれど、ムダだった。
疫神氷河——ヤツの顔を一生、忘れない。
父を殺した、病魔の神。
それにしても、これから自分は、どうなるのだろう。同じ自警団の仲間の少年たちとも離ればなれになってしまった。
教団に捕まると、疫神のイケニエにされてしまうというウワサだ。本当だろうか。
それでも、疫神に殺されて食べられるのは、一瞬ですむ。薬屋に捕まるよりは、マシなのかもしれない。
あの恐ろしい病のあと、雨後のタケノコのように、ワクチン開発の会社が設立された。でも、ほとんどは怪しい宗教や、ただのビタミン剤をワクチンと称して高額で売りつける詐欺師だ。
そのなかで、王子製薬だけは違う。
プリンス・メディカル・コーポレーション——現在、日本で唯一、まともな薬をあつかってる一大企業。
その実態は、パンデミックのあと、いち早く自衛隊を掌握することに成功した王子という男が、病魔をまぬがれて生きのびた医者や研究者を集めて作った会社だ。
薬品会社ではあるが、軍隊でもある。
へたな盗賊団などより、ずっと恐ろしい。
薬屋では、パンデミック後、三十年が経っても猛威をふるい続ける疫病を完治、または予防できる特効薬を開発している。その研究のために、ひそかに子どもの売買をして、人体実験をくりかえしているという。
世界中の政府も企業も、文化的生活も、何もかもが壊滅してしまった現在において、薬は食料より貴重なものだ。
それをあつかう薬屋は、絶大な力を持っている。
それも、ただの薬屋ではない。戦車を持った薬屋だ。薬をやるかわりに子どもをよこせと言われれば、断れる自警団はない。
日本中のコミューンが、彼らに泣かされた。
年に何人(日本全体では何百人)もの人質をさしだすという状態が、十数年、続いている。
疫神教団は、もともとは、その薬屋に対抗するために、複数のコミューンが団結して共闘をうたった協定から始まっている。
当然、薬屋とのあいだで戦争になった。
結果は、あっけなく、ついた。戦車やロケットランチャーの前に、マシンガンは敗北した。
協定を結んだコミューンは、しらみつぶしに、つぶされた。
だが、壊滅状態の彼らの前に、やつらが現れたのだ。
「われらにイケニエをよこせば、守ってやろう。われら、疫神なり」
疫神は見ためからして、人ではなかった。みにくい化け物だ。そして、人にはない力を持ち、魔法のような不思議な力を使った。
疫神たちは、その力で薬屋をけちらした。
コミューンの生き残りは、疫神をあがめ、疫神教団と名乗った。布教につとめ、今では信者が数万人におよぶという。
薬屋へイケニエをさしだすことに抵抗して戦っていたはずなのに、疫病の神自身にイケニエをさしだすことで、生きのびる道をえらんだわけだ。
はたして、疫神が、ほんとに、あの恐ろしい疫病の病原体であり、病をあやつる神なのかどうかは、わからない。
だが、現実に疫神の力は脅威であり、教団の信者になるか、薬屋の傘下にくだるか、二つに一つしか、弱小コミューンの生きていくすべはなかった。
真也の父がリーダーをつとめていた自警団は、いまどき、めずらしく、どちらにも属さない小さなコミューンだった。だから狙われたのだろう。
すべての原因は、ヘル・パンデミック——
それまで人類が遭遇したことのないウィルスが、爆発的に地球上に、まんえんした。地球上の三分の一とも、二分の一とも言われる人間が死んだ。
どの国から、どのようにして流行りだしたのか、わからない。
どこかの国の開発した生物兵器だったんじゃないかとも言われる。それも、真偽は、わからない。
あまりにも、まんえん速度が速かった。
こんな恐ろしい病があるらしいと、テレビで報道されるようになったときには、もう世界中の人がバタバタ倒れていた。
アメリカ政府が国民をすてて、月にロケットを飛ばして逃げだしたらしい。ヨーロッパもだ。日本でも、種子島の宇宙センターから小さなシャトルが飛んだらしい……。
そんなデマがとびかい、人々はパニックを起こした。それは、やがて暴動になり、世界中が無政府状態になった。
発電所はストップし、ガスも水道も止まり、外国とのあらゆる通信手段は、とだえた。
もちろん、そのあいだもヘルは猛威をふるい続けた。人類の歴史の終焉だと、当時を知る人々は語った。
真也が生まれたのは、ヘル・パンデミックから二十年近くたってからだ。
真也にとっては、これが唯一、目の前にある現実。父の話してくれるパンデミック以前の世界のほうが、絵空事に思える。
かつては日本中に高層ビルの都市があったとか。
男も女も防毒マスクなしで外を歩けたとか。
真也は自分の母でさえ、もう何年も顔を見たことがない。女たちは洞くつの一番奥で、大切に守られていた。男たちが勝手に会うことは、ゆるされてなかった。
ヘルは恐ろしい病だ。
感染者は潜伏期間ののち、百パーセント発病し、その名のとおりの地獄の苦しみのすえ、七割は死亡する。
骨がねじれ、皮膚がただれ、体じゅうの細胞が壊死して、生きながら、くさっていく。
この症状は発病後、二十四時間以内に、ぴたりと、おさまる。以後は抗体ができて、二度と発病しない。
壊死の進行するスピードと、症状のおさまるのの、どっちが早いか。それが運のわかれめだ。運がよければ、手足の一、二本を失うだけで助かることも。
空気感染、血液感染のほか、食物から経口感染することもあるらしい。
発病後のキャリアからは、ひじょうに高い確率で感染する。だから、キャリアを見つけたら、骨も残さず、焼きつくすしか方法はない。
そして、なにより恐ろしいのは、この病にかかると、女は必ず死ぬということだ。抗体を作れるのが男だけらしい。
今や、女は無菌室のなかでしか生きられない。
このまま、女が全滅すれば、やがては人類が滅ぶ。
ヘルが恐れられる真の理由は、それだ。
(母さんたちも捕まっちゃった。きっと、もう二度と会えないんだろうな)
真也は子どもだから、殺されないですんだ。
だが、それも疫神のイケニエにするためだ。
教団の施設につけば、すぐに殺される——
そう思ってたのに、彼に出会った。
いまわしい疫神のマークをかかげた教団の門扉のなか。
真也には、ひとめでわかった。
(この子だ……)
さがしてたのは、君だ。
何度、やりなおしても、幸せにしてあげることができなかった。守りきれなかった。
かわいそうな、僕の恋人……。
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