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父から、なんの音さたもない。


ザディアスがペルセウスを召しつれていって、三月になるだろうか。

これまで、こんなに長いあいだ、ほっとかれたことがないので、エンデュミオンは困惑していた。


こんなのは、おかしい。

私をなぶって楽しむなら、私の見てる前で、ペルセウスを可愛がるんでなけりゃ、意味がないじゃないか。父上は、なんで、私を呼ばないんだ?

もしかしたら、父上は私が嫉妬に狂って、押しかけていくのを待ってるんだろうか?


そう。きっと、そうだ。

こんなふうに放置されるのは初めてだから、勝手がわからなかった。父上が、しびれをきらして待ってるかもしれない。


(そう。きっと、そうだ。なにしろ、父上が私以外の誰かを寵愛することなんてなかったから、勝手がわからなくって)


そう思うと、いてもたってもいられない。


エンデュミオンは古代竜のろっ骨のバルコニーから浮遊の魔法で飛びたった。


もうじき月が上がる。

月の出前の暗闇のなかでも、王城のまわりは、ほのかに明るい。

つねに青白く発光する、煉獄れんごくの湖のほとりに建っているからだ。

燐光のような光をはなつ湖は、妖しく美しい。湖底に永遠に消えることのない業火が燃え盛っているのだ。


地の民にとって、そこは古来より、反逆者へのもっとも苛酷な処刑場として知られている。消えない炎が永遠に罪人を焼き続けると。


だが、じっさいには、そうではない。

そこに秘められた真実を、エンデュミオンは知っていた。


無垢なる者のみが超えていける転生の炎——


それは地の民があこがれてやまない、人間に生まれ変わることのできる、ただひとつの方法だ。

煉獄はよこしまな肉体と魂を焼き清め、その魂を人の世に帰らせてくれる。

このことを、父とエンデュミオンだけが知っている。


エンデュミオンは煉獄の湖の上を素通りして、王城を目指した。ちょくせつ、王の塔へおりたつ。千年樹の枝のバルコン。そこから内は父のガード魔法で封印されている。


「父上。なかへ入れてくださいよ」


魔法で守られているのは、いつものことだ。

エンデュミオンは、いつものように、かるく魔法の障壁に手をあてる。ふだんなら、それでガードは解かれるのだが。


「ねえ、父上。気づいてるんでしょ?」


返事がないので、エンデュミオンは、いらだった。障壁に二、三発、小さな花火ていどの攻撃魔法をしかける。


さすがに、これにはザディアスも気づいた。

しばらくして、ガード魔法が解かれる。黒絹のガウンをはおったザディアスがバルコンの前に立った。


「なんの用だ。エンデュミオン」


不機嫌きわまりない声。

エンデュミオンは当惑した。


「なにって……だって、父上に会いたくて……」


ザディアスの背後に見える蛇の寝台には、とばりがおりていた。だが、しどけなく、なげだした少年の裸の足が片方、とばりのあいだから見えている。それだけで、ドキリとするほど、なまめかしい。


「そなたに用はない。帰れ」

「だって、もう三月もガマンしたんですよ。ずっと、あなたに会えないで」

「帰れと言っている」


冷たい声だった。

なんとなく、何かが考えていたのと違う。


そっけなく言いながら、ザディアスは、しきりとベッドのほうを気にしている。

エンデュミオンは初めて、心の底からわきあがる焦燥を感じた。


「本気じゃないんでしょ? 父上。まさか、本気で私より、ペルセウスがいいなんてこと……」


すがりつくエンデュミオンを、ザディアスは、けだるく押しやった。


「そなたには飽いた」


おっくうそうな、その響きでわかった。

ザディアスは本当に、エンデュミオンのことは、もうどうでもいいのだと。

げんめつしたとか、嫌いになったとかですらない。

ただ、飽いたのだと。


「父上……」


エンデュミオンは、ぼうぜんと、ザディアスを見つめた。


ウソですよね? 父上——そう言葉にしようと思うのに、しびれたように体が動かない。


立ちつくしてるうちに、ふたたびガード魔法がかけられていた。


エンデュミオンは必死だった。

何度も何度も、両手で魔法の障壁をたたいた。


「父上……父上! いやです! なかへ入れてッ」


泣きわめき、父を呼び続けた。けれど——


(もう……だめなんだ。父上はほんとに私をすてる気だ……)


そんな事実に、どうして耐えられるだろう?

母を亡くしてから、ずっと、エンデュミオンの世界には父しか存在しなかった。

父に愛されることだけが、エンデュミオンのすべてだったのに。


(父上に愛されない私は、生きる価値がない……)


エンデュミオンは泣きながら、ふらふらと空に浮かんだ。


陰気な灰色の月がのぼる空。

死者の上に降りつもる灰のような月光。


いんうつな空をただよい、エンデュミオンが向かうのは、煉獄だ。


暗い洞くつの奥。

白熱に燃えあがる炎……。

エンデュミオンは、その炎を見つめた。


ここに飛びこむことは、魔物としての死を意味する。


地の民は死ねば、また地の民として転生するだけだ。でも、煉獄で焼かれれば、二度と地の国に復活することはない。


(いいの? 父上。とびこんじゃうよ?)


もしかしたら父が引き止めにきてくれるかもしれないと、最後の最後まで期待した。でも、ムダだった。父は来なかった。

エンデュミオンの涙だけが、むなしく煉獄の炎に吸われていく。


「さよなら……父上」


エンデュミオンは炎のなかに身をなげた。

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