3—2
エンデュミオンは、うぬぼれていたかもしれない。
父が本気になるはずはないと確信を持った。
そして、ペルセウスのことをみずから父に教えた。
「ねえ、父上。おかしな夢を見ましたよ」
そのとき、エンデュミオンは王城にいた。
王と、王のゆるした者にしか入ることのできない王の塔の最上階に。いつものように、父の寝台に寝そべりながら。
父の外見は、人間で言えば、三十代の初め。長い黒髪の青年だ。端正なおもてに、眉がないことと、金緑に輝く蛇の双眸をしていること以外は、完ぺきな人型だ。
闇の国に唯一無二、全知全能の魔王も、死んでいたあいだのことは、さすがに知らなかった。
そのせいか、エンデュミオンの話を聞いて、不快げににらむ。
「得意げだな。エンデュミオン」
「得意っていうか、だって、父上が喜ぶかと思って。ねえ、興味があるでしょう?」
甘ったれて、頭をもたせかけると、エンデュミオンの耳のピアスが鈴の音をならす。
エンデュミオンが初めて父のものになったとき、記念に父がつけてくれたピアス。
金環に通した金の鈴。
今でも、エンデュミオンの一番の宝物。
父は厳しい顔のまま言いはなつ。
「おろかなことをしたと後悔しないな?」
またまた、そんなこと言っちゃって。
私はだまされませんからね。
「後悔させてもいいですよ」
エンデュミオンがくちづけようとすると、父はけだるいしぐさで押しのけた。けだるそうに見えるのに、エンデュミオンには抵抗できないほど強い力。魔王の力。
この力に、いつも身をゆだねていたい。
それが、エンデュミオンの幸せ。
幼いころに母を亡くし、まわりは獣の姿をした魔物だらけ。
たよれるのは父しかいなかった。それが、たとえどんな、ゆがんだ形でも。
「ねえ、父上。怒ったんですか? ちょっと心外。私はただ、あなたと楽しみたいと思っただけなのに。あなたが私の息子と浮気して、私をないがしろにするなんて、考えただけで、ゾクゾクする」
ザディアスは無言で寝台から立ちあがった。なめらかな青白い肌に、黒いシルクのローブをまとう。
「どこか行くの?」
「花人の森へ使いをだそう」
ザディアスは窓辺に立ち、王宮の伝令係の闇夜鳩を呼んだ。王城きっての戦士、オデュッセウスを使者に送るよう命じている。
オデュッセウスなら、一刻もあれば花の森には着くだろう。
でも、今は月が出ている。闇の国に十ある月のうち、二番めに明るい銀の月。
闇の民は光をきらう。
とくに魔力の弱い者は、光のなかでは生きられない。ダナエや赤ん坊のペルセウスは、花の森から出ることができないはずだ。
「彼らが来るのは、きっと月が沈んでからですね」
それまで、父と楽しめる……と思ったのに、ザディアスは冷たく言いはなつ。
「そなたも自身の城へ帰れ。エンデュミオン」
エンデュミオンの城は王城のごく近くだ。
古代竜の骨を使ったエンデュミオンの城は、この王の塔からも見える。
「でも、父上……」
蛇の目でにらまれて、エンデュミオンは口ごもった。
「……わかりました。父上がおっしゃるなら」
「わかっているな? そなたが言いだしたのだからな」
どうして、こんなに怒るんだろう?
エンデュミオンは困惑した。
*
月が沈んで、しばらくのち。
父から迎えがない。
しかたないので、エンデュミオンは自分で勝手に王城へ出向いた。
ペルセウスの一行は到着していた。
前庭に巨鳥のひく空飛ぶ車が、とまっている。
城内は騒然としていた。
甲冑をまとう兵士たちが寄り集まり、さかんに王の召しだした少年の話をしている。
いやに興奮してるので、エンデュミオンは、けげんに思った。赤ん坊一人に、なぜ、兵士たちがあんなにさわぐのか?
広間に入って、そのわけがわかった。
赤ん坊だとばかり思っていたペルセウスは、人間で言う十四、五さいにまで成長していたのだ。
王座には、ザディアスがかけている。
ペルセウスはその前にひざまずいていた。
赤ん坊のころは、さほどに思わなかったのに、成長したペルセウスは、思っていたより、エンデュミオンに似ていた。生き写しとまでは言わないが、少年時代のエンデュミオンの面影はあった。
ただ、その顔の半面を、水色のウロコをはりつけた仮面で隠している。
おりしも、ザディアスはその仮面をはずすよう、ペルセウスに迫っていた。
ペルセウスは困ったような表情で、ためらっている。
「どうした? はずせぬのか?」
すると、ペルセウスに代わって、ダナエが答えた。
「父上(ダナエはエンデュミオンの異母姉だ)。なにとぞ、ご容赦くださいませ。ペルセウスは冥府の王に焼かれた傷が——」
しかし、ザディアスの声は冷たい。
「いいから、はずせ。命令だ」
ペルセウスは涙ぐんでいた。
まわりには兵士たちや、使者のオデュッセウスもいる。彼らに傷あとを見られたくないのだ。
こんがんするように、ザディアスを見つめる。が、そんなことで心を動かされる父ではない。
ペルセウスは泣きながら、仮面をはずした。
ペルセウスの涙は、瞳からあふれると、すぐに水晶の粒となって、ころがりおちた。
それは地の民が失くした、もうひとつのもの。
涙を流すことができるのは、これまで、エンデュミオンだけだった。
かたい、水晶の涙……そのさまは、ひどく扇情的だった。
それに、仮面の下からあらわれた顔も。
エンデュミオンゆずりの白い肌が、無残に黒く炭化している。
人前に醜貌をさらして涙を流す姿は、エンデュミオンでさえ、嗜虐の欲望をかきたてられる。ましてや、残忍なザディアスなら……。
(まずいな。こいつ、予想以上に父上好みだ)
思ったとおり、ザディアスは陶然としている。
あの特有のけだるいしぐさで、めずらしく、くぐもった笑い声をあげた。
「いいな。その顔、気に入った」
ザディアスは立ちあがり、少年の手をひいた。
王の塔へ続く扉へひきつれていく。
エンデュミオンをふりかえりもせずに……。
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