3—1
3
そして、その日、サリーは初めて、あの話を聞いた。
摩訶不思議な地獄の話。
魔王と王子の倒錯した愛の話。
人ではないものと、人の血のまざりあう魔物たちの話。
残酷で残忍で、けれど、激しい生命力と本能に満ちた世界の話。
「君はエンデュミオンの生まれ変わり? それじゃ、そもそも、エンデュミオンって誰なんだ?」
サリーの問いに答え、ユーベルは語る。
語るうちに、しだいに口調が変わってくるのを、サリーは聞きのがさなかった。
『エンデュミオン』だ。
それは、まるで、エンデュミオンの人格に取り憑かれたときのトニーやトウドウたちのようだ。
「そこは、とても深い地の底でね。人間とは違う奇妙な生き物が住んでるんだ。かれらは自分たちのこと、地の民とか闇の民とか言ってるけど、はっきり言って悪魔だよ。
悪魔たちを統べるのは、闇の王。エンデュミオンは、その魔王と人間の女のあいだに生まれたハーフなんだ。魔界一の美青年で、子どものころから、父王の愛人だった。
エンデュミオンは半分、人間だから、ほかの悪魔たちにはない力が、いくつかあった。夢を自在にあやつる力とかね……」
夢使いのエンデュミオンは、その日、ふしぎな夢を見た。
いつも、妖しい花の香りで近づく者を幻惑し、よそ者の侵入をこばむ花の森の奥。狂女の手でタネがまかれた。子どもの首の形のタネで、顔の半面は焼けこげていた。
とうに忘れていたが、それはエンデュミオンがダナエに生ませた、たった一人の息子、ペルセウスだ。
ダナエが泣きながら子どもの首を穴に、うずめている。最初は埋葬したのだとばかり思っていた。
しかし、ダナエは首塚のように盛りあがった大地に、母乳をしぼりだして歌った。子守唄だ。姿はみにくいダナエだが、歌声はとても美しい。
ダナエは来る日も子守唄を歌う。
坊や、帰っておいでよと。
可愛いお目々が芽をだすよと。
すると、ほんとに土のなかの首の焼け残ったほうの目から、小さな双葉が芽をだした。
さらに、ダナエは歌う。
芽が出て、ふくらんで、大樹になって、坊やの鼻を咲かすよと。
双葉はグングン伸びて、みるみるうちに大木になる。大木のまんなかに、ツボミがついた。それが子どもの鼻みたいな形をしてたので、エンデュミオンは笑った。
でも、笑いごとじゃなかった。
小さな鼻がヒクヒク動いて、ぽんと大きな花になった。花びらのなかに、赤ん坊の顔があった。
ペルセウスだ。
ニコニコ笑いながら、ダナエの乳を吸って、大きくなっていく。
やがて、赤ん坊の形した、ぶきみな実になった。かたいウロコのようなカラにおおわれた実だ。
生前のペルセウスは母のダナエから、蛇のウロコを受け継いでいたからだ。
ダナエが乳をやるたびに、実は大きくなった。等身大の子どもの大きさになると、ダナエは歌った。
「坊やの身がなった。おかえり。坊や。出ておいで」
かたいカラが割れて、赤ん坊が、はいだしてくる。
ウロコのカラをぬいでしまったせいか、もう全身のウロコはない。すべすべの人肌の赤ん坊だ。
だが、可愛い顔を黒く、ひっつれさせた火傷のあとは残った。
「……かわいそうに。せっかく美しく生まれてきたのに。焼かれた首をタネにしたから、火傷は残ったのね。でも、いいのよ。坊やが帰ってきてくれただけで」
そこで、エンデュミオンは目がさめた。
おかしな夢を見たものだ。
「ダナエが、私の子どもを生きかえらせたのか?」
そう思うと、いてもたってもいられなくなる。
子どもが愛しいからではない。逆だ。
(私の血をひいた子どもだなんて。そんなことが父上に知れたら……)
父が知れば、まちがいなく、自分の愛人にしようとするだろう。父はエンデュミオンを苦しめて泣かせることを、こよなく愛しているからだ。
闇の王ザディアスは蛇の神。
愛する者の苦しむさまが、このうえない悦びなのだ。
じっさい、エンデュミオンは父に愛されていると思う。父に、ほかにどれほど愛人がいようと、誰よりも、そして心から愛されてるのは、自分一人だという自信が、エンデュミオンにはあった。
何千人といる父の愛人のなかで、エンデュミオンほど手ひどく、父に、しいたげられている者はいないのだから。
それが父の愛情の証しであることを、エンデュミオンは知っていた。
二人のあいだは、ずっと、それで、うまくいっていた。
けれど、ペルセウスが来たら、どうなるだろう。
父はペルセウスの存在を知れば、まちがいなく、愛人にする。愛する父が、自分の息子と契るのを見せつけられて、嫉妬に悶え苦しむエンデュミオンを見たいがために。
たしかに、これまでにないほど、エンデュミオンは妬くだろう。自分の息子が憎くてならなくなるだろう。
でも、それで?
果たして父は、エンデュミオンを捨ててまで、ペルセウスを寵愛するだろうか?
エンデュミオンを妬かせるための演技ではなく?
本心から、エンデュミオンより、ペルセウスを愛する——なんてことが起こりうるだろうか?
(父上が遊びで私をいたぶってくださるなら、それでいい。でも、もし……)
もし、父がペルセウスに本気になれば——?
ふと心に浮かんだ疑念を、エンデュミオンは一笑に付した。
地の民は地獄に堕ちたとき、その身から太陽の輝きを失った。陽光と同じ金色の髪を。
だから、黄金に輝く髪を見たとき、地の民は失われた過去をなつかしみ、かぎりない郷愁と情景をいだく。
地の国において、今、それを持つのは、母が人間のエンデュミオンだけ。
エンデュミオンだけが、地の国の悪魔たちを魅了することのできる絶対的存在。
(そう。案ずることなどない。たしかに、ペルセウスの容姿はととのってる。でも、私には似てないし、髪も銀色。第一、あの半面の火傷。私には劣る)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます