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そして、その日、サリーは初めて、あの話を聞いた。


摩訶不思議な地獄の話。

魔王と王子の倒錯した愛の話。

人ではないものと、人の血のまざりあう魔物たちの話。

残酷で残忍で、けれど、激しい生命力と本能に満ちた世界の話。


「君はエンデュミオンの生まれ変わり? それじゃ、そもそも、エンデュミオンって誰なんだ?」


サリーの問いに答え、ユーベルは語る。


語るうちに、しだいに口調が変わってくるのを、サリーは聞きのがさなかった。


『エンデュミオン』だ。

それは、まるで、エンデュミオンの人格に取り憑かれたときのトニーやトウドウたちのようだ。


「そこは、とても深い地の底でね。人間とは違う奇妙な生き物が住んでるんだ。かれらは自分たちのこと、地の民とか闇の民とか言ってるけど、はっきり言って悪魔だよ。

悪魔たちを統べるのは、闇の王。エンデュミオンは、その魔王と人間の女のあいだに生まれたハーフなんだ。魔界一の美青年で、子どものころから、父王の愛人だった。

エンデュミオンは半分、人間だから、ほかの悪魔たちにはない力が、いくつかあった。夢を自在にあやつる力とかね……」


夢使いのエンデュミオンは、その日、ふしぎな夢を見た。


いつも、妖しい花の香りで近づく者を幻惑し、よそ者の侵入をこばむ花の森の奥。狂女の手でタネがまかれた。子どもの首の形のタネで、顔の半面は焼けこげていた。


とうに忘れていたが、それはエンデュミオンがダナエに生ませた、たった一人の息子、ペルセウスだ。


ダナエが泣きながら子どもの首を穴に、うずめている。最初は埋葬したのだとばかり思っていた。


しかし、ダナエは首塚のように盛りあがった大地に、母乳をしぼりだして歌った。子守唄だ。姿はみにくいダナエだが、歌声はとても美しい。


ダナエは来る日も子守唄を歌う。

坊や、帰っておいでよと。

可愛いお目々が芽をだすよと。


すると、ほんとに土のなかの首の焼け残ったほうの目から、小さな双葉が芽をだした。


さらに、ダナエは歌う。

芽が出て、ふくらんで、大樹になって、坊やの鼻を咲かすよと。


双葉はグングン伸びて、みるみるうちに大木になる。大木のまんなかに、ツボミがついた。それが子どもの鼻みたいな形をしてたので、エンデュミオンは笑った。


でも、笑いごとじゃなかった。

小さな鼻がヒクヒク動いて、ぽんと大きな花になった。花びらのなかに、赤ん坊の顔があった。


ペルセウスだ。

ニコニコ笑いながら、ダナエの乳を吸って、大きくなっていく。

やがて、赤ん坊の形した、ぶきみな実になった。かたいウロコのようなカラにおおわれた実だ。

生前のペルセウスは母のダナエから、蛇のウロコを受け継いでいたからだ。


ダナエが乳をやるたびに、実は大きくなった。等身大の子どもの大きさになると、ダナエは歌った。


「坊やの身がなった。おかえり。坊や。出ておいで」


かたいカラが割れて、赤ん坊が、はいだしてくる。


ウロコのカラをぬいでしまったせいか、もう全身のウロコはない。すべすべの人肌の赤ん坊だ。

だが、可愛い顔を黒く、ひっつれさせた火傷のあとは残った。


「……かわいそうに。せっかく美しく生まれてきたのに。焼かれた首をタネにしたから、火傷は残ったのね。でも、いいのよ。坊やが帰ってきてくれただけで」


そこで、エンデュミオンは目がさめた。

おかしな夢を見たものだ。


「ダナエが、私の子どもを生きかえらせたのか?」


そう思うと、いてもたってもいられなくなる。

子どもが愛しいからではない。逆だ。


(私の血をひいた子どもだなんて。そんなことが父上に知れたら……)


父が知れば、まちがいなく、自分の愛人にしようとするだろう。父はエンデュミオンを苦しめて泣かせることを、こよなく愛しているからだ。


闇の王ザディアスは蛇の神。

愛する者の苦しむさまが、このうえない悦びなのだ。


じっさい、エンデュミオンは父に愛されていると思う。父に、ほかにどれほど愛人がいようと、誰よりも、そして心から愛されてるのは、自分一人だという自信が、エンデュミオンにはあった。


何千人といる父の愛人のなかで、エンデュミオンほど手ひどく、父に、しいたげられている者はいないのだから。


それが父の愛情の証しであることを、エンデュミオンは知っていた。

二人のあいだは、ずっと、それで、うまくいっていた。

けれど、ペルセウスが来たら、どうなるだろう。


父はペルセウスの存在を知れば、まちがいなく、愛人にする。愛する父が、自分の息子と契るのを見せつけられて、嫉妬に悶え苦しむエンデュミオンを見たいがために。


たしかに、これまでにないほど、エンデュミオンは妬くだろう。自分の息子が憎くてならなくなるだろう。


でも、それで?

果たして父は、エンデュミオンを捨ててまで、ペルセウスを寵愛するだろうか?

エンデュミオンを妬かせるための演技ではなく?

本心から、エンデュミオンより、ペルセウスを愛する——なんてことが起こりうるだろうか?


(父上が遊びで私をいたぶってくださるなら、それでいい。でも、もし……)


もし、父がペルセウスに本気になれば——?


ふと心に浮かんだ疑念を、エンデュミオンは一笑に付した。



地の民は地獄に堕ちたとき、その身から太陽の輝きを失った。陽光と同じ金色の髪を。


だから、黄金に輝く髪を見たとき、地の民は失われた過去をなつかしみ、かぎりない郷愁と情景をいだく。


地の国において、今、それを持つのは、母が人間のエンデュミオンだけ。


エンデュミオンだけが、地の国の悪魔たちを魅了することのできる絶対的存在。


(そう。案ずることなどない。たしかに、ペルセウスの容姿はととのってる。でも、私には似てないし、髪も銀色。第一、あの半面の火傷。私には劣る)

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