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絶望と屈辱の日々。
神の奇跡は起こらなかった。
すべては幻。
「いやだよ、 離さないで! フランといっしょでなきゃ、いやだよ!」
「セルジュ——セルジュ!」
あんなに泣きさけんで抵抗したのに、二人は引き離されてしまった。バグダードのドレイ市場で売りに出された二人は、別々の主人に買われていった。
セルジュに課せられたのは、モスク建設のための工事人夫だ。朝から晩まで、牛や馬のように、ムチで追われ、重労働をしいられた。
初めのうちは、何度も逃げだそうとした。けれど、そのたびに捕まり、ひどいお仕置きを受けた。
セルジュの心が死ななかったのは、ひとえにフランシスのことが念頭にあったからだ。
(フランシス……どうしてるだろうか。つらいめにあってるんじゃ? あの甘えんぼの甘ったれの君が……)
もう一度、フランシスに会いたい——
ただ、それだけの思いで、セルジュは生きていた。何年も、何年も。
まもなく、モスクは完成間近となった。
だからといって、セルジュが自由になるわけではない。また別の建築場所に、つれられていくだけだ。あるいは、石切場。苛酷な作業中に、大人でも泡をふいて倒れる。そのまま目をさまさない。
そんな生活が、これから一生、続くのだ。
セルジュはもう、あきらめていた。
神の国を信じて行軍していたころは、苦しかったけど、希望があった。
いつも、フランシスといっしょだった。
二人には光に満ちた未来が待ってるはずだった。
どこで間違って、こんなことになったんだろう。
この世に神なんていない。
あるのは残酷な現実だけ。
それとも、これも、すべて、神の与えたもうた試練なのだろうか?
もし、この世に本当に神がいるのなら、ほかには何もいらない。フランシスに会わせてほしい。
とうとつに、その願いは叶えられた。
完成間近のモスクを、工事の責任者の軍人が視察にやってきた。
炎天下の白昼、カマドから焼きあがったタイルを何十枚もカゴに入れて作業場へ運ぶ。
朝から、ずっと、これをくりかえしていたセルジュは、めまいを起こして倒れた。
タイルが割れて、ひどくムチで打たれた。
ムチは嫌いじゃない。このまま気を失ってしまえば、今度こそ、天国へ行けるかもしれない。
(天国? 僕は、まだ神を信じてるのか?)
なんとなく笑いたいような、変な気分になった。
意識が薄れてくる。
燃えさかる白炎のような日差しが、記憶を混乱させる。
(フランシス……フランシス。しっかりして。立つんだ。ぼくらは、行かなきゃ……)
目をとじたとき、神の声が聞こえた。
セルジュにとっては、神にも等しい、その声が。
「セルジュ!」
やさしい腕が、セルジュを抱きしめる。
これはフランの腕だ。
そう。そうだね。しっかりしなきゃ。
立ちあがって、歩かなきゃ。
君がいるから……そこに、君がいるから……。
目をあけると、フランシスが泣いていた。泣きながら微笑んでいた。
でも、そのおもては、もう十さいの子どもじゃない。離れていたあいだの六年に、フランシスは輝くばかりに美しい少年に成長していた。
「フラン……」
「そうだよ。ぼくだよ」
華美な回教徒の服をきたフランシスのかたわらに、サラセン人の男が立っている。冷たい目をして、セルジュをにらみつける。フランシスの肩を乱暴につかんで、二人をひきはなそうとした。
フランシスは、たどたどしいアラビア語で、必死になって訴えた。
「ぼくの兄です。ドレイ市場で生き別れになった兄です。おねがいです。兄を助けて」
セルジュは気を失ってしまったので、そのあと、どうなったのか知らない。
目がさめたときには、こぎれいな部屋のなかで、やわらかいフトンの上に、よこになっていた。
サラセン人の女がそばにいて、だまって水を渡してくる。
「フランは? フランシスは、どこ?」
女は答えなかった。だまって部屋を出ていき、食事を持って帰ってきた。
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