一章 エンデュミオン・シンドローム

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サリー・ジャリマは超一流のサイコセラピストだ。


彼は強いエンパシストであり、テレパスシトでもある。したがって、心に病を持つ者の精神の闇をみつめる仕事において、成功をおさめている。


世間では、他人の感情や記憶の映像をダイレクトに見ることをエンパシー、思考を言語でとらえることをテレパシーという。


だが、この二つをまったく別の能力のように言われるのは、サリーには心外だ。


二つの力は、けっきょくのところ、他人への共感性だ。能力をどのていど、みずからの意思でコントロールできるかによって、表現が変わるにすぎない。


もちろん、サリーは自在にあやつることができる。全宇宙で、ただ一人のAAAランクは伊達じゃない。


人類が宇宙で暮らすようになったのは、二十一世紀。現在は二十二世紀初頭。今では月や火星には人工的に酸素が作られ、地球型の快適な環境がととのえられている。


しかし、移住初期は、地下シェルターでの穴ぐら暮らしだった。


海や山、草原など、地球の自然の景色を壁面に映すホログラフィーなども工夫されてはいた。が、閉鎖空間に生きる人々の閉塞感は、心理的な重圧になる。


心を病む者が増え、それにともなって急増してきたエンパシストが、セラピストとして大活躍した。


それから半世紀たった今でも、セラピストの需要はおとろえない。サリーのような腕のいいサイコセラピストは、ひっぱりだこだ。


サリーの現住所は火星にある。


が、各地のコロニーを忙しく渡り歩いてるので、火星の住居は空家同然だ。ガードマン兼家政婦のアンドロイドが、主人のいない家で、のうのうと暮らしてることだろう。


しかしまあ、多忙なぶん、金だけは、うなるほどある。


地球に二十、月に十、火星に十五あまりある衛星軌道上のスペースコロニーには、すべて、サリーの部屋がある。


ここ数年は、ずっと地球の衛星軌道上にいた。地球じたいは、例の大災厄以降、今でも侵入禁止だが。


サリーの働きで、地球上のコロニーでの社会不安は、おさまりつつあった。そろそろ、火星の我が家に帰り、長めの休暇をとろうーーそう思っていた矢先だ。あの事件が起こったのは。


今から一ヶ月前。月で事故が発生した。古い地下シェルターが老朽化で地盤沈下をおこした。


そのときの崩落で、シェルター上に建設された都市も被害をうけた。数百人の人が生き埋めにされた。死者も大勢でた大惨事だ。


こういう事故が起こると、サイコセラピストは忙しくなる。


予想どおりだった。


それからしばらくして、新種の症状を訴える神経症の患者が現れた。中心は月だが、周辺のコロニーにも飛び火してきた。


マズイ、火星に逃げるぞと、サリーが旅支度を始めた、まさにその瞬間だ。


月のコロニーの一つ、ルナチャイルドの市長から要請があった。ぜひ来てほしいと。断るには、あまりにも魅力的な額が提示された。


それで、けっきょく、サリーはやってきた。ルナチャイルドへ。


地球のコロニーから、月のコロニーまでは、ひとっ飛びだ。宇宙飛行士の訓練を受けてない一般人用のシャトルでも、ほんの二、三十分。


ルナチャイルドは真新しいコロニーだ。サリーも、このコロニーに来るのは初めてだ。


空港へおりたつと、赤毛の美女が出迎えてくれた。正式なサイコセラピストの身分を示す、セラピスト協会の会員バッジをつけている。


税関の前で、人待ち顔でキョロキョロしてるので、すぐにわかった。


しかし、向こうは、サリーが目の前に立っても気づかない。いつもそうだが、初対面の人間は、サリーをもっと年寄りか、名前だけ見て、女だと思うようだ。


じっさいのサリーは、その名声から考えると、ウソのように若い。


今年の誕生日を迎えれば、二十七さいになる。サソリ座。AB型。


現在では受精卵に遺伝子操作をほどこすことは珍しくない。混血も進んで、あまり人種ごとの差異はない。


それでも、地球風の形容をするなら、サリーはスラブ人的な純白の肌に、ラテン系の黒髪。明るいグリーンの双眸。容姿は、きわめて整い、やや女性的。


そのせいか、セラピストというより、男妾と言ったほうがいいような、妙な色気がある。それでいて、見る人を近寄りがたくさせる冷たさもあった。


サリーが微笑して近づくと、赤毛の美女はモーションをかけられてるとでも思ったようだ。まんざらでもないようす。


すかさず、サリーは片手をさしだす。


「サリー・ジャリマです。初めまして」


言うと、美女は、さりげないそぶりで、サリーの手をにぎりかえしてきた。


しかし、エンパシストどうしだから、感じとれた。彼女が、ちょっぴり落胆したことを。


サリーが、どう思ったのかは、彼女には伝わらなかっただろう。だからこそ、サリーは宇宙一高級取りのサイコセラピストなのだ。


「初めまして。キャロライン・グリーンヒルズです。もっと、お年を召したかただと思ってたのに、ずいぶん若いんですね。


失礼ですけど、テロメア修復薬を飲んだことが、おありですか?」


キャロラインは見たところ、サリーより一つ二つ年上だ。ほんのりピンクがかった紫水晶の瞳は、遺伝子操作の結果だろう。そばかすが、とてもチャーミング。


「よく言われます。ですが、薬は未服用です。市長に会いますか? それとも、すぐに病院へ?」


『市長の社交辞令につきあうのは、気が向かないな』


テレパシーを送ると、キャロラインはイタズラっ子みたいに笑う。笑うとき、瞳がクルッと動いて、幼い印象になる。


「まずは市庁舎へどうぞ。案内いたします」


『わたしもイヤだけど、しかたないの』


そういう波長が届いてきた。


サリーは、かるく肩をすくめる。


そのあとの一時間は、説明するまでもない。


スペースコロニー内では許されるかぎりのゼイタクな市長室で、おおげさな歓待を市長から受け、賓客用ビザを渡され、報酬の受理ーー


まあ、そういう細々したことが、ひととおりあった。一時間後、ようやく解放される。


そして、また、キャロラインと、ろうかを歩いていく。投影装置が森林の風景を映す廊下だ。もちろん、閉鎖空間の閉塞感をかんわするための作られた景色だ。


「ここがVIP専用の客室コンパートメントよ。仕事が終わるまで使ってください」


そう言って、キャロラインはドアの前で立ちどまる。


「今夜は遅いから、わたしは帰るけど。明日、九時に迎えにきます。わたしが仕事上の補佐をつとめますから、困ったことがあれば、なんでも相談してくださいね」


遅いというほどの時間ではない。ちょうど夕食時だ。キャロラインは食事に誘ってほしそうだ。


サリーは来る者は、こばまない主義だ。小型のスーツケースを玄関口に置くと、客室をながめもせずにロックをかける。


「夕食につきあってくれるかな? ルナチャイルドは初めてだから、よく知らないんだ」

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