第75話 お願い
僕にとってライブで演るのは最早日常に近い。だから特段いつもと比べて緊張するということはない。
だけど今日の僕は、別の理由でちょっとばかし朝から緊張している。
文化祭ライブにジンピカちゃんもやってくるということは、羽深さんも知っている。僕は羽深さんの警戒網の隙間を縫って、ジンピカちゃんとのセッションをセッティングしなくてはならないわけだ。
ジンピカちゃんと二人きりのセッションなんてバレたらきっと、羽深さんとジンピカちゃんの例の美女同士の
二人とも最近大人しいとは言え、この文化祭ではなるべく二人を引き合わせないようにしないとまずい気がする。って言うのも何だか今回に関してはざわざわと胸騒ぎがしてしょうがないのだ。
そんな独特の緊張を感じながらも、いつもの食卓を囲んで朝食の時間を迎えていた。
「いよいよ今日だね。結構熱心に練習やってたようだけど、楽しみだなぁ」
父がコーヒーを一口啜ると話しかけてきた。
「あぁ。ボーカルが今回ライブ初めての素人だからさぁ、かなり念入りに練習したんだよ」
「ふーん。光旗も行くって言ってたから、多分一緒に観させてもらうよ」
親父とメグのお父さんも、実は古くからのバンドメンバー同士だったりする。
そもそもその影響で僕とメグも楽器を始めたのだ。まぁ、僕の方はそれより前にピアノを母から習っていたのだけど、ドラムは父親から教わった。メグの父親もベース担当なのだ。
「へー、そうなんだ。好きだねぇ」
「ふふん。まあな」
息子の晴れ姿とかって言うよりか、このおじさんたちの場合は普通に音楽好きとして来るだけだと思う。まぁ、それだけ僕らのバンドの音を評価してくれてのことだから、素直に嬉しくもあるんだけど。
「でも演るの講堂だから、ホールエコーが酷くてさぁ。ホール自体の音があんまり良くないから、聴くならできるだけスピーカーの近くの席が良さそうだよ」
実は昨日、PA業者も入ってのリハーサルが行われたのだが、実際吸音のことなど考慮されていない講堂でのライブは、残響が大きくて音がもやもやしていた。
会場内にはスピーカーが何台か設置されて、後ろの方は少し音が遅れるので、距離から計算してスピーカーから出る音も設置場所ごとにその分ディレイさせて出すという処理がされるらしい。それによってオーディエンスにとっては音質的に大分聞きやすくなるということで、やっぱりPA屋さんにはPA屋さんの技術があるもんなんだなぁと感心した。
そんなわけで、スタジオみたいに部屋自体の鳴りを追求したり、逆に吸音をしっかりしたりといった音楽向きに作られた環境と違って、こういうライブでは、スピーカーから離れれば離れるほど音質面では好ましくなくなるわけだ。
「あぁ、そうか。分かった。そうさせてもらうよ」
本当は、車を出して楽器運ぶのを助けて欲しかったんだけど、そうすると会場入りも早くしないといけなかったりで不都合があるから諦めた。
ドラムセットは業者からレンタルされたものが会場に設置されているのだけど、僕はいつもライブにはスネアドラムとハイハット、ハイハットスタンド、キックペダルは最低限自分のものを持ち込むようにしているので、まあまあ大層な荷物になるのだ。
自分で持ち込む機材は今となっては全部ビンテージ品なんだけど、ハイハットなんかはスタンドも込みでの鳴りなので、荷物にはなるが、自分の音作りには欠かせない愛器となっている。
それで僕は専用のケースにそれぞれ入れて、折りたたみ式のキャリーカートを使って運んでいる。
「あ、悪いんだけどさぁ、車だったら帰りに楽器載せてもらえないかなぁ。ずっと手元においておけないと思うから」
「あぁ、いいけど。じゃあ、ライブ終わったら駐車場に持っておいでよ」
「うん、助かった。じゃあそういうことでよろしく」
よかった。実際問題、普通の人にあの楽器の価値は分からないだろうけど、何があるか分からない。ずっと楽器のそばを離れないというわけにも行かないだろうから、さっさと父に預けてしまった方が安心できる。
ライブ後の楽器の算段がついてホッとした僕は、少し冷えてしまったトーストに目玉焼きを乗っけて齧るのだった。
食事も終えて、いよいよ登校時間となった。今日は文化祭ということで、いつもより登校時間が少し遅めだ。
いつものように横断歩道の向こうから小さく手を振りながら小走りでやってくる羽深さんと落ち合い、駅へと歩く。
すべてがいつものようでいて、いつものようではないのが、羽深さんが緊張しているのか無口なところだ。一文字に結んだ口もまたかわいいんだけど。
「拓実君……あのね?」
「ん?」
「ライブの後……お話したいことがあるんだけど、いいかな」
「うん、いいけど……話だったら別に僕は今でも構わないけど?」
「プッ」
あれ、何か笑われた。笑うところだったっけか、今の?
「だって拓実君、あの時とおんなじこと言うんだもん」
あの時? ピンとこなくて頭にはてなマークをいくつも浮かべていると、ケラケラ笑って羽深さんが言葉を継いだ。
「ほらぁ、花火見に行った時にも言ってたでしょ。あの時もわたし、文化祭が終わったら話があるって言ったんだよ? そしたら拓実君、今とおんなじ反応だった」
そう言うとまたおかしくて堪らないといった様子で笑っている。そう言えばそうだったっけかなぁ。何かあの時は舞い上がっていたし、あんまり自分で何言ったかとか思い出せないなぁ。
「はぁ〜、おかしい。おかしいけど、何かちょっと悔しいかも」
悔しい? まったく話に付いて行けずに僕はポカーンとするよりない。
「どういうこと?」
「だって悔しいよ。わたしは拓実君と一緒にいる瞬間を全部想いに留めておきたいと思ってるのに、拓実君の方はどうでもいいって感じじゃない。腹立つなぁ」
「えぇっ? いや、それは、その……」
そんなことじゃない。そうじゃないんだ。
うーん、僕はただ……そうだなぁ、僕は羽深さんと一緒にいると、すっかり舞い上がっちゃって、訳が分からないうちに時間が過ぎて行っちゃうだけなんだよ……。
唇を尖らせている羽深さんに、僕がまたどうしていいか分からずまごついていると、羽深さんはまたニヤニヤ顔に変わる。コロコロと表情を変える羽深さんに僕はドギマギしながらも釘付けになってしまうのだ。
「ま、そこは許してあげるけど。その時に予約済みなんだよ、拓実君。だからよろしくね。ジンピカちゃんとだけじゃなくってわたしとの約束もお願いね」
ドキーッ。
ジンピカちゃんとの約束、何で知ってるの!?
羽深さんにはどういうわけかいっつもジンピカちゃんのことバレちゃってるんだよなぁ。
何で知ってるんだよ、本当に……。
羽深さんは僕のリアクションを見ながらニヤニヤ笑っている。
「お願い」
そう言う羽深さんの表情は、いつの間にかすっかり真顔だった。
学校に到着すると、今日はいつもと違って朝から人出が多い。
僕と羽深さんが揃って登校する姿に、同学年の生徒たちが鳩が豆鉄砲を食らったような顔して固まっている。
だよねぇ。分かってた。
僕としてはその辺十分想定できることだったから、羽深さんには今日は一緒に登校するのやめないかと提案していたのだ。結果はこの通り、まるで聞き入れてもらえなかったというわけだ。
この際できればクラスメートにだけは見られたくないという淡い期待も虚しく、しっかり目撃されていたようだ。トイレに寄って羽深さんとタイミングをずらして教室に入ったにも拘らず、刺すような批難がましい視線が僕に集中したのだった。
まったく朝から縁起でもない。ここまでどうにか平穏無事にやり過ごしてきたのも奇跡的だったが、いよいよ僕の学園生活終わるかも。今日は羽深さんと一緒にバンドもまでやっちゃうんだものな……。とほほ。
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