第30話 名前が歌ってる
駅から学校まで歩く間。まだ周囲に登校してくる生徒の姿は見当たらない。
誰にも踏み散らされていない朝の澄んだ空気と羽深さんと二人きりで歩く時間という組み合わせが、独特の凛とした雰囲気を作り出す。
さっきまで電車の中で肩をぴったり寄せ合ってイヤホンをシェアしていた二人なのに、今はその美しい佇まいに気後れを感じてしまい、触れたくてもおいそれと触れられない壁を感じる。
電車の中でだって自分からくっついたわけじゃない。きっと羽深さんお得意の体を張った悪戯だ。もっとも、僕には得しかない特殊な悪戯。
「拓実君は、休みの日とか何してるの? 練習?」
「え、いや。まあ練習もするけどそればっかりしてるわけじゃないよ」
「ふーん。たとえば?」
「別に普通だよ。ゲームしたり、音楽聴いたり」
「じゃあ今度の日曜日は? なんか予定ある?」
「え……うん、まぁ。人と約束があるかな」
「へぇ〜……」
なんだか半目でこっちを見てる。ちょっと嫌な予感がするんだがこれ以上深掘りはしないでほしい。
「へぇ〜……」
なんだ。さらに目つきが冷え冷えとした気がする。
「ズバリ、約束のお相手は男子、女子どちら?」
「いやまあその……あれ、どっちだったっけな……うーん……」
「そ。ま、別にわたしには関係ないけど」
ふぅーっ。追求されずに済んだ。なんか時々怖いんだよなぁ、羽深さんって。
「ねぇ、拓実君」
「はい」
「ジンピカちゃんのこと、なんて呼んでるんだっけ?」
「え、曜ちゃんって……」
「ふぅん……」
なんだ。なんなのだ……。不思議と冷や汗をかくような緊張感が二人の間に轟音を立てて流れているんだが。
曜ちゃんの話題を自分から振っておいて必ずこんな空気出してくるんだよな、羽深さん……。
「ふぅん……」
もう一回言った!?
「はぁ……」
今度はため息……。
はぁ、なんだか知らんがこの緊張感は体に悪い。この妙な緊張感のまま僕たち二人は教室に入った。
自分の席に着いて鞄を置くと、羽深さんは僕の前の席にこちらを向いて座る。両腕を僕の机に置いて身を乗り出してくるので思わず僕は距離を取ろうと仰け反る。
「拓実君って音楽好きだよね」
そりゃまあバンドやってるくらいだし、当然……。
「好きだよ」
途端に何故だか羽深さんはまた顔を真っ赤に茹であがらせて目を泳がせている。なんだろ。
「わ、わたしも……きゃっ」
まあそうだろうなとは思ってた。あんなに幸せそうな顔して音楽聴いてるからな。
僕と羽深さんとの共通点といえば音楽好きってことくらいだ。
それにしても何故か完全に目が泳ぎまくっている。その調子なら直にドーバー海峡横断できるぞ。頑張れ。
「うちの両親も音楽が好きで……」
「へぇ、そうなんだ。うちもそうだよ」
「あ、うん。そうなんだ……それでね、わたしの名前ね、ららっていうんだけど、メロディみたいな名前にしたいって、それでこんな名前なんだ……」
あぁ……なるほど。たしかに名前が歌ってる……。
「いい名前……」
「ホントっ!?」
「名前が歌ってるもん。どんなメロディなんだろう……」
僕は次から次にいろんな美しいメロディを思い浮かべた。僕にとって羽深さんに似合うメロディは無限のように感じられた。
「そ、それだったらさぁ……」
「ん?」
「いい名前って思ってくれるんだったら……その……わたしの名前も、呼んで……欲しい……な」
めっちゃモジモジしながらそんな要請を突きつけてくる羽深さん。その目の泳ぎっぷりはそろそろドーバー海峡を渡りきる頃合いだ。
「え、あ、名前。羽深さん?」
「もぉ、そっちじゃなくて。話の流れ的に分かるでしょ?」
いやまあ分かってるけどさ。プロのDTにいきなりそんな高いハードル用意されてもね……そうやすやすと越えられないんだよ。
「……」
「じゃあ、じゃあもう一回聞くけど、ジンピカちゃんのことはなんと!?」
う、圧が強いっ。また曜ちゃんの話かよ。
って、そっか。曜ちゃんは意外と抵抗なく曜ちゃんになったんだよな。
「曜……ちゃん?」
「むぅっ。じゃあわたしは?」
「羽深……さん?」
「なんでよぉっ!? もぉーーっ。ジンピカちゃんは名前呼びでしかもちゃん付け。バンドを一緒にやってる。わたしはっ? わたしはクラスメイトで毎日一緒に登校するくらいの仲良しなのにぃっ! なんで冷たくするのよっ!?」
えぇーーっ!? なんの比較だよ?
ていうか僕と羽深さんが仲良しぃっ!?
一緒に登校してるのはほぼ羽深さんが有無を言わせず決めたような感じだったはずだけど……? 本当に仲良しと思ってもいいの?
ていうか羽深さんがビシビシ僕のことを叩きまくってくるんだが? 僕が冷たいとか意味が全然分からん。
羽深さんは頬っぺたをぷーーっと膨らまして怒っている様子だ。かわいい。
その様子に思わず僕は頬が緩んでしまう。
「ちょっとっ! 何をニヤニヤしてるのかな? わたしに意地悪してニヤニヤするとか酷くないっ?」
いかんいかん。またまた羽深さんが頬っぺたを膨らましてゲシゲシかわいい拳を打ち付けてくる。
「いや膨れっ面もかわいくて、つい……」
っていかん。また本音が漏れてしまった。
どうも羽深さんを前にするとセキュリティが甘くなる。
「っ!? もぉっ、ずるいよっ」
そう言って両手で顔を覆って悶えている羽深さん。何か今ずるい要素があったっけ?
「一回っ、一回お試しで呼んでみようっ! ねっ? わたしの後に続けて、せーのっ! らら! はいっ」
「らら……さん」
「もぉ〜、ちがーう。らら」
「……」
さすがに敬称略はハードル高すぎる。
「お試しだからっ。もっとお気軽に。ねっ、さあ、はいっ」
しょうがないなぁ。
「らら……」
「……は、ひゃぃ」
くぁっ! 恥ずいっ。悶絶するぅっ。
恥ずかしさのあまり真っ赤になって身悶えていると、羽深さんもまた真っ赤っかになってモジモジしている。
だからだったら何故やらせるのかとっ!
しかしそろそろタイムアウトだな。
「そろそろトイレに」
「待って、拓実君っ」
「はい?」
「行きがけにもっかい。トイレに行ってくるよ、らら。これで」
はぁ? 何がしたいんだよまったく。
「お願い」
うぐ、出た。必殺上目遣いからの「お願い」。はぁ……。
「トイレに行ってくるよ、らら」
「行ってらっしゃい、拓実君……気をつけて」
何なんだよ、これ? もう、いたたまれないわ。
僕は気恥ずかしさのあまりトイレへと駆け出した。
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