その9


 ―― キキッ!! ――


 1体のゴブリンが、今がチャンスとばかりに勇者に飛び掛かってきた。腕を伸ばし、身体目掛けて爪を突き刺そうとする。


「バベル、危ない!」


 そう叫ぶノーラであったが、心配は無用だった。バベルは上半身を反らして攻撃をかわしてみせる。2体目、3体目と次から次へと襲い掛かるが、そのすべてを身のこなし一つで無効化する。一切の無駄のない動き。まるで、戦場に吹く一陣の風のようだ。


「は、速すぎ……」


 ノーラは思わず息を呑む。


「いや、避けるところだけは、さすがなんだけどね……」


 そう、すべての攻撃を華麗にかわしたとしても、状況は打破できない。避ければ点が入るゲームではないのだ。敵を倒してはじめて、勝ち名乗りを上げることができる。


「じゃあ、ちょっとやってみるか」


 それならとばかりに、今度はバベルのほうからゴブリンに襲い掛かる。拳を握りしめて顔面目掛けて振りかざす。さあ、おそらく、敵は隙をついてカウンターで攻撃をしてくるだろう、攻撃を……


「くっ……」


 予想通りだ。一斉にバベル目掛けて飛び掛かってきた。これは、彼の第六感とも言うべき野生の感覚で察知して逃れてみせる。しかし、


「当てるのは無理か」


 ゴブリンに対して打撃を加えることはできなかった。いや、あの状況で手を出していたら敵の攻撃を直に食らってしまっただろう、前回と同様に。


 攻撃を加えようと何度かチャレンジするも、そこまでたどり着くことが出来ない。敵の一切の無駄のない動きに、なかなか隙が見当たらない。


「むずかしいな……」


 お互いが攻撃を控えだして、再びこう着状態に入る。じりじりと距離を詰めたり離したりするが、その先へ踏み込めないでいた。時間だけが刻々と過ぎていく。


「むぅぅ……魔法使って、さっさと退治してほしいんだけど……」


 攻撃の出来ない勇者を見てイライラがピークに達しつつあるノーラ。指をくわえて見ているだけの自分が歯がゆかった。


「ていうか、ゴブリンたちは何であんなに慎重なのよ。無駄に賢くて頭にくるなぁ」


 プープーと不満を口にする彼女だった。しかし、ふと何かに気づく。


「あれ、そういえば……」


 何か。そう、違和感ともいうべきか。


 ――ゴブリンたちの動きが綺麗にそろいすぎているような。攻撃するのもしないのも、みんな一緒。一切の乱れもないっておかしくない? 以心伝心で? ただのゴブリンだよ? むしろ、『何か』に合わせて動いているような気が……


 その時、しびれを切らしたゴブリンが一斉に飛び掛かった。バベルはそれも華麗にかわしてみせる。再びこう着状態に戻った―― しかし、その間の動きをノーラは見逃さなかった。


 ――あ、分かっちゃったかも!


 頭に明かりがパッと光る。ピンポンピンポーンと音が鳴った、のかどうかは知らないが。ともかく、何かに気づいたノーラは、立ち上がってバベルにこう叫んだ。


「バベル、右!」

「なんだって?」

「一番右! そいつが指揮を取っている! そいつ倒して!」


 そう、彼女は気づいてしまった。ゴブリンが一斉攻撃するほんの少し前、その個体が両手の爪をさりげなく胸の前で交差させたことを。そして、それを合図に攻撃が始まる。おそらく、何かのサインがあるのだろう、彼女の注意深い視線は、ほんの一瞬の動きを見逃さなかった。


「ん、そうなのか?」


 指示した個体に目を向ける。確かに一体だけ、一歩引いてこっちの様子を伺っている。妙に落ち着ているようにも見える。


「なるほどな。こいつがリーダーか」


 バベルは決心したように、そのゴブリンに突撃する。それが何かをするよりも前に、一直線に距離を詰めて腰を落とし、思いっきりの拳を振りぬいた。


「オラァ!」


 ―― ギャアァァ! ――


 完璧な一撃に、もだえ苦しむゴブリン。間違いない、もう二度と立ってこないだろう。さて、他のゴブリンはというと


 ―― ギギッ? ――


 襲ってこない。あの時の、勇者を殺しかけた一斉攻撃を放ってこない。明らかに戸惑っているようだった。


「きた! 今だ!」


 このチャンスを逃さない。隣にいるゴブリンを拳で一撃、その隣にも続けて一撃。電光石火の早業とはまさにこのこと。バタバタと地面に顔を付けるゴブリンたち。わずかな時間で、行動不能な3体のそれが、足元に転がった。


「次ぃ!」


 残りの2体も倒すとばかりに体を向けて拳を降りかぶるが、必要はなかった。もはや戦意を失った彼らは、山の森の中に一目散に消えていったからだ。


 バベルは周囲を見渡す。自分の命を狙ってくるものは、もういない。おめでとう、勝者は君だ。


「勝った…… ついに…… 俺は…… やったぞ!」


 敵を倒すことが出来た。それは、自らに課した枷が決して不可能なことではないことの証明だった。間違いではない。できる。やれる。


 体中に熱い何かがたぎり、天に拳を掲げる。


「うぉぉぉ!」


 この上ない衝動が、叫びとなってこだまする。その声は、あきれた顔をしているノーラにも届いていた。


「あのさ、ゴブリン倒しただけなんだけど……」


 当然のツッコミ。その声は、感動に震える勇者には届いていなかった。

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