その8


 ――


「また、ここからかぁ……」


 ノーラは、深いため息をついた。


 現在地はボルボラ山の峠。馬車が通れない細道に、ゆっくりと歩みを進める。昨日とは違って一歩一歩が重く、こころなしか肩も下がっていた。


「あぁあ。どうしてこうなったのかなぁ……」


 冒険を進めれば危険な目にあうこともある、そう覚悟している。思ってもいないことが起こるのが、この世界の定めだ。でも、それが開始早々のそれもゴブリン相手だなんて、それこそ思ってもいないことだった。


 恨めしそうにバベルの顔を覗く。すると、彼はとんでもなく明るい表情で、なぜか笑顔が浮かんでいる。


「はぁ……」

「ん、どうした。顔が暗いぞ」

「あのさ……いや、べつに……」


 まるで悩んでいる自分が間違っているかのような満面の笑み。あれこれ言うのも馬鹿らしくなってくる。もういいやとばかりに、バベルの前をスタスタと歩いていく。


 山道を歩く二人の足取りは、対照的だった。

 

 ――


 小一時間ほどたっただろうか。前日にゴブリンたちが襲ってきた場所に近づいてきた。ここまでは魔物の襲撃は無かった。小鳥のさえずりも、こころなしか昨日よりも楽しそうに聞こえる。


 ――もしかして、今日は魔物に出会わないかも?


 ノーラは少しだけ期待した。魔物は常に同じ場所で待っている訳ではない。また、魔物にだって休息している時間がある。それに、通りがかった他の冒険家が、あらかた退治した可能性もある。RPGではないのだから、そうポコポコと敵は出てこないのだ。


 襲撃のあった場所を過ぎ去り、さらに先の道を恐る恐る歩いていくが、状況は変わらない。だいぶ歩みを進めた。このまま何もなければ、あと30分ほどで目的地の宿場街までたどり着くだろう。


 ――もしかして、もしかして、あいつら倒されちゃった?


 期待が次第に確信へと変わる。そう、今日はラッキーな日なんだなと。小鳥たちの可愛らしい歌は落ち込む自分への応援歌のように聞こえる。


 しかし、それは間違いだった。今日だってアンラッキーな日に変わりは無かった。


 ―― ザザッ ――


 木と木の間から1体、2体と順番に魔物が現れる、二人の冒険家を待ち伏せしていたかのように。それは複数のゴブリンだった。場所さえ違うが、このシチュエーションはまさに昨日と同じだ。小鳥の歌など、もう聞こえてはこない。


「出たな!」


 戦闘に備え、さっと身構えるバベル。


「あぁ、もう! やっぱり出た!」


 なんとなく身構えるノーラ。


「ええっと、バベル、一応聞くけど私の役割は?」

「ない」


 即答だった。


「はいはい」


 もういいやと諦めた感のあるノーラは、トコトコと後ろに下がり、前回同様に木の陰から見守ることにした。まあ、勝手に戦いに参加するという選択肢もあるにはあるのだが、ペーペーの自分が入っても勇者の足を引っ張りそうだ。というか、そいつが足を引っ張ってきそうでもある。


「どうぞ、ご勝手に」


 バベルのやりたい通りにさせることにした。


 さて、現在の状況をおさらいしよう。まず、二人の冒険家の行く手を遮るように襲撃してきたのは複数のゴブリン。前回と同じ個体だ。その数は5体、これまた同様だ。対するは歴戦の勇者バベル。そして、木の陰でうらめしそうにのぞいているのが新米の女性冒険家ノーラだ。


「うぅ、こんなことするために冒険家になったんじゃないのにぃ」


 聞こえるようにわざと大きな声で愚痴る。しかし、集中する勇者にはその声は届いていないようだ。いや、聞こえていないフリかもしれない。


「さあ、第2ラウンドの開始だ! 覚悟しろ、魔物どもめ!」


 読者向けの大げさなセリフを叫んだのち、ゴブリンにゆっくりと向かってゆっくりと歩くバベル。まだいずれの攻撃範囲にも入っていないが、1歩、2歩と確実に彼らの距離は縮まっていく。


「おや? これは――!」


 はっと、何かに気づいたバベルは、歩みを止めて足元を見た。


「な、なんだって……まさか、これは……」


 驚愕の表情を浮かべる。突然の勇者の異変に、ノーラも驚いた。


「ど、どうしたの?」


 不測の事態でもあったのだろうかと、思わず唾を飲み込む。


「あ、足が……」

「足が?」

「震えている……」

「ん?」

「おびえているぞ……」

「んん?」

「この俺が、俺の身体が、死を恐れているぞ! ハハハハハ! 忘れていた感覚だ! いつ以来だろうな、ゾクゾクしてきた!」

「……」


 ノーラは目を閉じ、うつむき、一呼吸おき、


「いいぃからぁ、戦えぇ!」


 そう叫ぶ彼女は、ちょっとだけキャラが変化したようだ。


 さて、二人が茶番を繰り広げているところではあるが、別にゴブリンたちはそれが終わるのを待ってくれるわけではない。じわじわとその距離を詰めてきていた。

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