1.ゴブリンは初心者向け
その1
――
街と街を結ぶ細い街道を一台の馬車が駆け抜ける。砂利道をガタゴトと揺れながら進む、乗り心地などお構いなしという感じに。
車内には二人の冒険家がいた。一人は、まだ10代なかばの少女である。身なり風貌は一般的な女性といったところだが、この世界には珍しい赤みの強い髪を、肩まで伸ばしていた。
そして、もう一人の男は……
――バベルだ! 間違いない! 本物!
少女は確信した。冒険者でその名を知らぬ人などいない、あの伝説の勇者と一緒である。そのことに緊張と興奮が抑えきれなかったのだろう、乗車してからしばらく無言を貫いていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「はじめまして! ノーラと申します! 16歳になったばかりです! バベル様とご一緒に冒険が出来るなんて感激です! まだまだ簡単な魔法しか使えませんが、足を引っ張らないように頑張ります!」
地の文での説明が不要なほど、まくし立てて自己紹介した後、ノーラと名乗る少女は曇り一つない眼でバベルをのぞき込んだ。
――あのバベルと一緒に冒険できるなんて!
彼は滅多に他人とパーティーを組まないことで有名である。まあ、大抵の魔物は一人で事足りることもあるが、一筋縄でいかないような敵であっても、誰かとともに挑んだという話は皆無だった。人類最大の敵であった魔人「ヌー」との戦いにおいても、たった一人で挑み、そして打ち勝ったという逸話が、さらに印象付けていた。
いつしか、他の冒険家は彼のことを「孤独を愛する男」と噂するようになった。
駆け出しの冒険家であるノーラも、それを耳にしていた。だから、まさか初めての冒険があこがれの勇者と一緒だなんて、想像すらしなかった。
この世界では、成人である満16歳を迎えてようやく、冒険家としての活動ができる。16歳の誕生日を迎えて10日ほどしかたっていないノーラは、当然ながら冒険家としての経験や技術がゼロに等しく、そもそもだれかのパーティーに組んでもらうことすら期待薄だった。こんな時は普通なら、冒険者ギルドが用意した一種の教育訓練的な冒険を熟していくのが常である。
ギルドに登録してすぐ呼び出しが来て、パートナーとしての指名があるということ、相手が勇者バベルであるということが、まったく信じられなかった。馬車を開けたたら、プラカードを持った人が「ドッキリです」と飛び出してくるかも、と。
しかし、目の前に座る男が本物であると分かるや、とてつもない幸運とチャンスが巡ってきたと確信した。
――バベルの技術を盗んで、一刻も早く一人前になる
――そして、いつか、きっと……
ノーラもまた、人一倍の向上心の持ち主であった。ただ、彼女には彼女なりの、強さを求める理由があるのだが。
「あのな……あんまり見つめられると困るのだが……」
大きな眼でまじまじと見られているのが気まずかったのか、勇者は窓の外にプイっと目を反らす。ノーラもまた、自分の無意識の行動にはっと気づき、赤面の顔を馬車の床に向けた。
「あっ! すみません!」
「まあ、構わないのだが…… それと、もう一つ」
「なんでしょう、バベル様?」
コホンと一つ咳はらいをして、
「様を付けるのは、やめろ。敬語も不要だ」
「あ、失礼しま……」
バベルがじっとにらみを利かせる。
「えっと、分かった。バベル」
「ああ、それでいい。それに俺は――」
何かを言いかけたが、その先の言葉は窓の外に消えていった。
――
二人の冒険家を運ぶ馬車は、最初の目的地であるボルボラ山の峠に向けて、トコトコと山腹を駆け上がっていた。この世界の大陸には平野が少なく、その多くが山地を形成することから、どこに向かうにしろ山道を通過しなくてはいけない。
「ところで、だけど」
ノーラには、どうしても聞いておきたいことがあった。
「なんで私がパートナーなの? まだ冒険家に成り立てだし……他にもっと適任がいたんじゃない?」
「ああ、それか。まあ、簡単に言うとだ、お前が欲しかったからな」
「ぇ?」
突然の告白じみたセリフに戸惑うノーラを見て、慌てて言い直した。
「あ……では無くて、俺と一緒に組むヤツは、初心者でなければダメだってことだ」
「どういうこと?」
「ええっと、よく鍛えたヤツだと……あれだ……」
何か、はっきりしないバベル。
「ああ、そうだ。ギルドから新米教育を指示されたからな。それがお前だ」
「はあ……」
少女は腑に落ちない表情を浮かべた。世界の秩序と目される勇者に、ペーペーの教育なんか任せるだろうか? そうだとしても、強敵と戦い続ける彼が、足手まといと分かりきっている自分を連れ回したりするだろうか。
何か裏があるような気もするが……まあ、伝説の勇者のことである。凡人には分からない深慮というものがあるのだろうと、納得することにした。
そうこうするうちに、馬車がガタっと止まる。ガチャリ。御者が扉を開ける音がした。どうやら最初の目的地である峠まで着いたようだ。この先は馬車が通れない狭路であり、歩いて進まなければならい。
道の奥のほうから、仄かに死肉の腐敗臭が漂う。それは、魔物のテリトリーであることを仄めかしていた。
いよいよ冒険が始まる――武者ぶるいが止まらないノーラ。さあ、行こう! その時だった。バベルの妙な風貌に気づいた。
「あれ? バベル、装備は?」
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