その2


「ああ、武器は持ってないぞ」

「え?」

「あと、防具も持ってないからな」

「え?」

「まあ、そういうものだと思ってくれ」


 ますます、訳が分からなくなった。


 百歩譲って、馬車の荷台に武器防具を載せているとしよう。しかし、何一つ身に着けないというのは、どうなのか? 馬車の中といっても、いつ魔物が襲ってくるとも知れない。軽装でも武器防具を着けておくのがセオリー。不測の事態から己の身を守る準備をする、冒険家の教書1ページ目に書いてあるほどの基本である。


 ノーラは、この日のために新調したショートソードを帯刀し、バックラーともいうべき携帯用の盾を腰に用意していた。鎧こそ無いが、多少の攻撃には身を守れるほどの厚手の冒険服を着て、その内側には鎖のジャケットも着ている。


 一方のバベルは明らかに、手ぶらだ。服だって街でよく見かける普通のもの。腰にはバックラーではなく財布を付けているように見える。これは――一般人の身なりだ。


 と、ここまで悩んで、不意に合点がいった。


「なるほど! そういうことかぁ!」


 ――そうか、これは魔法を重視するスタイルなのか、と。剣やバックラーといった装備は魔法を使うのに(きっと)邪魔になる。防具に関しても、肉体硬化の魔法により(きっと)不要なのだろう。ベテランの魔法使いは(きっと)装備無しがデフォルトなのだろう。


 まあ、その仮説はすべてにおいて間違っているし、普段着の魔法使いなどいないのだが……冒険の経験が乏しい新人には分かるはずもなく。むしろ、「一つ勉強になった」と妙に納得した面持ちであった。


「ん、分かってくれたのか?」

「ええ!」


 気を取り直したノーラは、改めて冒険の大地に踏み出すことにした。


「さあ、行こう!」


 来た道を戻る馬車に一礼をしたのち、峠から伸びる山道をズンズンと進んでいく。初めての冒険で興奮を隠しきれない様子か、やや小走りに進む彼女をバベルは慌てて呼び止めた。


「おい、急ぐなって! だいたい、どこに行くとか、分かっているのか?」

「当然! 北方の街アスカロンの砦にオークが住み着いたので退治する。アスカロンは馬車と徒歩で4日ほど移動した先にある。まずはボルボラ山を抜けた先にある宿場街まで向かってそこで1泊、でしょう! ドヤッ」

「なんで、勝ち誇った顔なんだよ……」

「ふふん。それに、ここは何度も来た事あるし」

「へえ、そうなのか?」

「うん。冒険家学校の実施訓練で。卒業試験なんて、一人ずつ1体のゴブリンを退治しろ、だもん。」


 ボルボラ山はゴブリン、すなわち、世界でも最も弱い部類に入る魔物の巣窟である。逆に、それ以外に目立った魔物は存在しない。一般人ならともかく、冒険家であれば苦も無く退治できるそれは、駆け出しの卵たちには格好の練習対象であった。ノーラもまた例外では無く、なじみの場所に来たというような感覚だった。


「そうだとしても、迷子になったらどうするんだ。はぐれないようにしろ」

「迷子! ふふっ!」


 彼女の口元から白い歯がこぼれた。


「ここ、ずうっと一本道だよ。間違えようがないって」

「そうなのか?」

「そうだよ! 勇者でも知らないことがあるんだね」

「お前な……まあ、いい。任せるよ」

「ふふっ」


 おそらくバベルほどの猛者は、ゴブリンの山などに用事など無かったのだろう。ちょっとだけ優位に立ったような気がしたノーラは、ニンマリとほほ笑んだ。あどけなさの残るその顔からは、先程までの緊張の色がすっかり取れていた。


 ――


 小一時間ほどたっただろうか。目的地まであと半分というところまで来たが、彼女の言う通り、いくら歩いても道が分岐する様子はなかった。そして、幸運にも、魔物との鉢合わせも起こらなかった。生き物の気配といえば、小鳥のさえずりと二人の足音ぐらいで、今日はこのまま何もなしという雰囲気が流れていた。


 ――なあんか、拍子抜けだなぁ。はやくバベルの戦い方を見てみたいのに

 ――すっごい魔法とか使うのかな? でもゴブリン相手だしな

 ――火炎魔法とか使ったら、山火事になっちゃうんじゃないの?


 ノーラはあれやこれやと妄想するが、いつまでたっても、そんな機会など訪れない。


「ううん、暇だなぁ。まあ、暇なことは良い事なんだろうけど」


 思わず本音がこぼれた。しかし、


「……」


 会話を投げかけた相手からの返事が返ってこなかった。


「あれ、どうしたの?」

「くるぞ……」


 バベルは息をひそめ、足を止めて身構えた。


 ボルボラ山の道は一本。だから、待ち伏せするのも容易であった。


 ―― ザザッ!! ――


 静寂は突然に切り裂かれ、行く手を断つように現れる魔物たち。1体、2体と次々に現れるそれは、ゴブリンだった。


「きた!」


 ノーラもまた、身構えた。


 希望にあふれる新人冒険家の初めての戦闘。それは、彼女の絶望にあふれる物語の始まりでもあった。

  

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