第四話 外へ、導の囁き
莉都香は防災センターの棚や引き出しから使えそうなものを探した。飲料水・食料品などはなかったが、災害用の大型懐中電灯と内服抗生物質と包帯の入った救急箱を見つけたのでボディバックに入れて背負う。
アーヤを車椅子に載せたまま移動するのは無理かもしれないと思い、防災センターの仮眠室にあったベッドのシーツを裂いて抱っこ紐をつくる。骨折したときに腕を吊るような三角巾の大きいものを左肩に提げる。そして、右手でアーヤを抱っこした。
「痛くない?」
「うん! だいじょーぶ!」
両腕でアーヤを抱っこして移動するつもりだが、どうしても片手を空けたいときがあるだろう。そのための抱っこ紐だ。それに、魔法は手から発動しなければいけない制約がある。
「アーヤ、もし怖いと思っても暴れたり叫んだりしないでね」
「うん……怖かったらくっついてもいい……?」
「いいけど……」
すると、お願いをしてきたアーヤが首に腕を回して、ぎゅぅぅぅっと抱きしめて莉都香の胸の谷間に顔を埋めてくる。
「おねえちゃん、いい匂い……」
「ちょ――」
莉都香の頬がひきつる。
莉都香が霊安室に何日いたかわからないが風呂には入りたてでないことはまちがいない。アーヤのことを笑えないくらい臭うはずだった。アーヤのおでこに軽い頭突きを入れる。
「いたい……」
「はなれなさい。……あと、首じゃなくて肩につかまって」
「こう――?」
アーヤの手が莉都香の肩をそっと掴む。自然と莉都香とアーヤの体が離れてくれた。
「そう」
「おねえちゃんが遠い……」
「目の前にいるでしょうが……わがまま言うと置いてくわよ」
「むぅ……」
アーヤは不満そうに口を尖らせていたが、駄々をこねるような状況でないことはわかっているらしく静かになった。
いざ助けることにしたものの、やはり子供はめんどくさい。安全な場所を見つけ次第、アーヤは誰かに預けてしまいたい。どこかに避難所でもあればアーヤを保護してもらえるだろうが、避難所はどこにあるだろう。市役所か付近の学校か……無闇に動き回りたくないのでまずは自宅を目指そうか。
「アーヤの家はどこなの?」
「ぅー……わかんない……。車にいっぱい乗ってきたの……」
「……ふうん」
この近くに住んでいるわけじゃないらしい。アーヤの保護者を見つけるのは絶望的か。しばらくは面倒を見てやらねばならないことを考えてちょっと憂鬱になった。
「まずは私の家に向かうわ。思いだしたことがあったら教えて」
「うん!」
準備が整ったところで莉都香とアーヤは防災センターを後にする。エレベーターを素通りして非常階段へと向かう。
非常階段に
莉都香は非常階段をひたひたと忍び上がる。息をひそめて一階のロビーへ歩き出そうとして、ぎくりと固まった。ゾゾゾ――と悪寒がはしった。
「おねえちゃん?」
「しっ――!」
「――っん」
莉都香の警告にアーヤは口をつぐんだ。
莉都香はアーヤを庇いながら、そっと一階のメインロビーを窺った。
莉都香の視線の先には無数の人影がひしめいている。
病院の正面入口、広いメインロビーには、蠢く屍の群れが足を引きずるようにして歩いていた。
折れた首をプラプラと揺らして歩くお爺さんがいる。腕を食いちぎられた若い女がいる。血塗れの首のない赤子を背負った女がいる。スーツを着たサラリーマン風の中年の男がいる。内臓をはみ出させた白衣の医者がいる。無数の死体たちが歩いていた。
莉都香は震えそうになる足を一歩引いた。
――なんなんのよ、あの数は!?
五十、いや百体、いや……もっといる。
魔法で蹴散らすことを考えたが、
「……ぅ……っ」
とても、まずい……頭が回らない。膝が小刻みに震えはじめていた――。
「おねえちゃん、こわいの……? すごい、ふるえてる」
不安そうにアーヤが莉都香の胸に頬を埋めてくる。莉都香の震えていた身体がカッと熱くなる。アーヤの温かな身体に莉都香は己を奮い立たせた。
「へ、平気よ……!」
その言葉は誰に向けたものか。竦むな、怯えるな、と気合を入れ直す。アーヤを守ると約束したのだ。自分のせいでアーヤを殺すわけにはいかない。
そのとき、背後に気配を感じた。――咄嗟に身体をひねった。
「……ガァァァ……!」
「――っ」
背後から組みついてきた若い男の
「おねえ、ちゃん……っ」
「へいき、だから――!」
数え切れないくらい唸り声と大勢の鈍い足音がロビーから迫ってきていた。震える膝に力を込めて階段を登る。どうにか二階のフロアにたどり着く。
「はぁ、はぁ……っ、ここも――!?」
二階フロアは診察室と小さなロビーがある。廊下の先に見えるロビーからはゾロゾロと
階下からは階段を上がる重い足音が聞こえてくる。完全に挟み撃ちの状態だった。
どうする――?
必死に逃げ道を探し、後ろを振り返る。目についたのは正面の診察室だ。立てこもって窓から飛び降りたほうがいいか、と思案する。診察室の引扉は鍵は掛けられるみたいだが、たくさんの
突破するなら数が少ない小さなロビーの方向がマシだ。
小さなロビーの先には病棟に繋がる連絡橋が見える。病棟に大量の
非常階段から一階から追いかけてきた
「魔力、持ってよね……!」
莉都香は小さなロビーから迫る
「――
中級の風の魔法を唱える。
莉都香の左手から高速回転する球状の空気のゆらぎが放たれて、一直線に
猛烈な風によって
「くっ――!?」
「ふわぁ――!?」
大成功、……でもなかった。なぜなら突風は莉都香とアーヤにも襲いかかってきたから。焦りから魔法の力加減を誤ってしまった。
「っ、痛、っっ……」
密閉された通路を駆け巡る突風によろめいて尻もちをついた。アーヤを抱いているから受け身を取れないのがつらい。
「すごい、かぜ……? だいじょうぶ、おねえちゃん?」
「平気よ――! 走るから、しっかりつかまって!」
「うん!」
痛みを堪えながら急いで立ち上がる。
うめき声と足を引きずる
そのときだった。アーヤが大人びた声で囁いた。
「おねえちゃん、感染者が曲がり角にいるよ」
「え――? ぅ……っ……!?」
アーヤがはっきりと告げた忠告に、莉都香は心臓が跳ね上がるほど驚いた。そのまま立ち止まってしまった。そして、莉都香は立ち止まったことで命が助かった。
莉都香が立ち止まった瞬間、病棟側の通路から
「く……、――
莉都香はもう一度だけ中級の風の魔法を使って
「つかっちゃ、だめ」
アーヤはぼうっとした顔をしたまま莉都香の左腕を掴んで抱き寄せてしまった。集まりかけた魔力が散っていく。
「アーヤ!? 手を放して!」
「つかったら、ねむくなっちゃうよ」
「……魔力切れってこと……? なんで……」
何でそんなことがわかるのか。それよりもアーヤが何故、魔力切れによって起こる症状を知っているのか。……いま、アーヤに疑問を投げかけている状況じゃないことはわかっているが……!
「ごめん――!」
力づくでアーヤの手を振りほどこうと力を込めようとするが――。
「あっち」
アーヤはあっさりと莉都香の左腕を離す。そして、莉都香の頬に触れて少しだけ首を横に向けさせると、右手で開きっぱなしになっている病室を指さした。
「なん!? ――っ!」
「トビラ、カギ」
アーヤは莉都香の目が迷うことのないようにゆらりと指を指していく。莉都香は病室の扉を勢いよく閉めるとドアの鍵を回した。ドンッ、ドンッと
「こんなところに逃げ込んでどうするの!?」
「マド……、ハシゴ……、……ボタンをおすだけなの」
アーヤの言葉に従って窓に駆け寄ると、避難用の梯子が設置されていた。窓を全開にして非常用スイッチを押せばすぐさま展開できる簡単な方式だった。
「どうして――」
どうして知っているのか。
もしかして病院の構造を知っていて避難梯子の配置を知っていた? しかし、子供がフロア図を暗記するほど眺めたりするものだろうか? だいたい目も見えず歩けないのに、どうやって知ると言うのだろうか……。
「アーヤはなんにも見えないの。でも、アーヤは正解がわかるの!」
莉都香の疑問にアーヤは無邪気で明るい声で答える。
背後で蝶番のはじけ飛ぶ音が聞こえた。見れば、
「……下へ降りるわ」
「ふぅ……」
病院玄関前は救急車両が停車できるような広いロータリーになっている。ローターリーにはまばらに
さっさとこの場所から離れたほうがよさそうだ。
と、そこに――。
ぐぅぅぅ……と長い腹の音が聞こえてきた、アーヤだ。水とお菓子だけではお腹も減るだろう。
「おなか、へっちゃった……」
「そうね、どこかでご飯にしましょう。あと少し我慢できる?」
「うん! がまんするー!」
莉都香も喰わず飲まずの点滴だけで過ごしていたから空腹で力がでない。コンビニでも見つけて何か食べたいところだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます