第三話 闕乏の生存者

 さて、いつまでも霊安室に引きこもっていられないわね。


 中級の力の魔法のおかげで普段通り飛んだり走ったりできるが、魔法の効果は二十分くらいで切れてしまう。魔法をかけなおすためにも時間内に安全な場所に逃げ込みたい。

 莉都香は霊安室のドアノブを掴むと、外の音に耳を澄ませながら鍵を開けた。ほんの少しだけ霊安室の扉を押し開けると、隙間から廊下の様子を窺った。緑色の非常灯が照らし出す廊下が目に入ってきた。

 人影はない、物音はしない、――廊下はしんと静まり返っていた。


 非常灯を頼りに廊下に忍び出る。音がしないように慎重に扉を閉めた。壁のフロア図から現在地を探してみると、どうやら地下一階にいるらしいことがわかった。地下一階は霊安室のほかに電気室や機械室、防災センターなど病院の設備に関わる部屋が多い。

 フロア図に、鵜久森うぐもり総合病院、と病院名が書いてあった。聞いたことのある名前にほっとする。ここがどことも知れぬ病院だったとしたら自宅に帰るまでどれだけかかるのかと嘆くところだ。

 鵜久森駅は莉都香の自宅がある隣駅だ。あまり鵜久森駅で降りたことはないがMAPアプリを見ながら歩いていけば自宅まで戻れるはずだった。


 出口は一階にしかないので非常階段へと向かう。フロア図に従って非常階段へと向かうと防災センターの文字が見えた。防災センターの受付窓口にはカーテンが降ろされていたが室内からうっすらと蛍光灯の灯りが漏れてきていた。さすがに人がいるとは思えなかったが中の様子を覗いてみた。


「女の子……?」


 車椅子に座っている金髪の女の子の姿があった。生存者だろうか……。それとも、すでに生きた屍アンデッドなのか。一体だけなら何とかなるだろうと考えて、防災センターの扉をゆっくりと開いた。すると、カラカラカラと車椅子を回転させて金髪の女の子が振り返った。

 かわいい――。思わず、ため息をついてしまうほどの美少女だった。

 あまねと同じ小学生くらい。デニムのショートパンツにストライプシャツ姿で、サラサラの金髪を黒のレースリボンで結わえてロングポニーテールにしている。


「ねえ……、だいじょうぶ――?」


 莉都香が声を掛けると、ロングポニーテールの女の子は無邪気な笑顔を浮かべる。


「うん! みつけてくれて、ありがと――っ!」


 ロングポニーテールの女の子は車いすから立ち上がると嬉しそうに莉都香に飛びついてきた。しかし、ロングツインテールの女の子は一歩も歩けなかった。硬い床に倒れそうになるのを慌てて抱き寄せる。


「ちょ――!? あ、危ないじゃないの! ……あなた足が、……目も見えないの?」


「見えなくてもへーきだよ!」


 ロングツインテールの女の子の瞳は莉都香を素通りして虚空を眺めている。もともとほっそりとしていたであろう身体はさらに痩せていた。お風呂に入れていない髪はちょっと臭う。近くに空のペットボトルと飴玉の紙屑が落ちていて、この子は防災センターに何日もここにいたらしい。


「お父さんやお母さんはいないの?」


「んー……わかんない。アーヤはなんにも覚えてないの。ここに隠れていなさいって言われたから待ってたの」


「記憶喪失なの?」


「きおくそーしつ! だから、お医者さんに見てもらいにきたの!」


「そう……、……………」


 記憶がない、なんて映画かドラマの中でしか聞いたことがない。子供の悪戯かと思わなくもなかったが、ウソかホントか見分けがつかなかった。莉都香は真偽を調べる魔法を使えない。

 アーヤと名乗るロングツインテールの女の子は変わっている。小学生くらいの子が保護者もなく何日も同じ場所に居続けるなど耐えられると思えない。心細くなってあちこちを動き回るだろう。胆が据わっているというか、のんきな性格というか、なんとも不思議な雰囲気の女の子だった。


「アーヤちゃ……アーヤはこれからどうするの?」


「おねえちゃんについてく!」


「私に?」


 莉都香は素直にいいよと言えなかった。

 足が不自由で、目が見えない、記憶喪失の女の子。外に連れ出したら間違いなく莉都香のお荷物になるだろう。抱えて移動していたら走るのも大変だ。残酷だが命を守るためなら置いていくべきだった。

 異世界で経験した魔王の戦いでも非情な決断を迫られたことは一度や二度じゃない。他人を助けるとどうしても見返りを求めてしまうのは人間の性だ。本当に他人を助けていいのは、己に余裕があって分け与える余裕がある人だけであると、莉都香は異世界で学んでいた。

 莉都香はアーヤと名乗ったロングツインテールの女の子を車椅子に座らせてあげると、膝をついて告げた。


「あのね……」


 お姉ちゃんはまわりが安全か見てくるから、……ここでじっとしていてね。

 適当な嘘をついてアーヤを置いていこうと口を開きかけて、ふと思う。


「……」


「おねえちゃん?」


 本当にそれでいいのか――?


 アーヤのサファイア色の瞳にはきりりとした黒瞳の女子高生が映っている。傷だらけの魔王殺しの勇者はいない。ただの女子高生がそこにいて語りかけてくる。

 アーヤを見捨てて、家族と再会して、あの子アーヤはどうなったんだろうと思ったときに、莉都香は何を感じるだろうか。

 勇者であった頃に見捨ててきた人たちは、魔王討伐のためならば命を落としてもいいと覚悟をしていた戦士たちばかりだった。

 もちろん、死を看取った人々には戦いを知らない村人もたくさんいて、死の恐怖に震えながら息絶えていった人たちもいた。たくさんの人々を犠牲して、たくさんの人々を見捨てていった。

 しかし、あのときの莉都香は勇者だった。死を乗り越えて先に進む大義名分があった。免罪符だ。許されぬ行為を受け入れてくれる仲間と心の支えがあった。


 本当に余裕がないのか――?


 そんなことない。中級の力の魔法で身体を強化している莉都香ならば、アーヤを抱えてあげることだってできるはずだ。ただ、行動は制限されるし、身軽な動きもできなくなる。食料や水だって分け合わなくてはいけない。生き残るためには正しくない行動だ。それに、家族を探したいと思っているから身軽に動けなくなる。


 ぜったいに後悔しないと誓えるのか――?


 わからない、としか答えられない。

 いざとなったらしかたがない、と思うかもしれない。だが、いま危機的な状況にあって二者択一なのか。助けられるなら助けるべきじゃないのか。莉都香の頭をぐるぐると考えが巡る。


 そのとき、莉都香の頭にそっと小さな掌が置かれた。アーヤの小さな掌が莉都香の黒髪を優しく撫でていた。


「おねえちゃん、ムリしなくてもいーよ」


「え……?」


「アーヤ、ずっと待ってるから」


 アーヤは素直に頷くと、にこっと笑顔を見せた。何かを理解しているような納得している表情だった。アーヤの表情を見て莉都香は決めた。


「……アーヤ、行きましょう。あなたを置いていけないわ」


「でも……」


「だいじょうぶ。もう誰も待たなくていい……。私が、連れて行ってあげるから」


 真実はわからないけど、アーヤを置いていった人は初めてではないと思われた。ペットボトルの水は防災用のラベルが貼ってある。飴玉の袋やお菓子の袋は好みがバラバラだ。目の見えないアーヤがこの部屋を漁って取り出したものではないだろう。

 これは誰が渡したものか。看護婦なのか守衛なのか病人なのかわからないけど、アーヤを置いて出ていった人たちは戻らないつもりで水とお菓子を置いていったのだろう。せめてもの贖罪を得るために。


「もう我慢しなくていいよ。私といっしょに、ここを出ましょ」


「本当に、……いいの……? アーヤはなんにもできないよ?」


「私が守るわ」


 莉都香は力強く頷いてアーヤの肩を抱いた。


「……っ、……うん…………ありがとう、……おねえちゃん」


 アーヤはほろりと涙をこぼすと、莉都香に甘えるようにひっしと抱きついた。

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