第二話 生きた屍

 ……

 …………。

 ――うん、夢じゃない……。


 異世界ファンタジーから逃げられなかったことに、いつまでも放心している場合じゃない。

 莉都香はゆっくりとゴムバンドを身体から外す。ストレッチャーから起き上がりそろりそろりと床に足を降ろした。そのまま立ち上がろうとしてがくんと膝をつく。


「ぐっ――」


 生きた屍アンデッドへの恐怖心から膝の笑いが止まらない。それに、長い間眠っていたから足に全然力が入らなかった。


「んん……っ!」


 莉都香はストレッチャーに掴まりながら腰に力を入れて立ち上がる。ガクガクと震える足はまるで生まれたての小鹿のようだった。ストレッチャーに掴まりながら足踏みをして弱った足腰を動かす。とにかく壁に掴まりながらでも歩けるように足のマッサージを続けた。

 身体を慣らしながら霊安室をじっくりと見渡す。

 金属台に載せられた生きた屍アンデッドは五体。生きた屍アンデッドたちは粘着テープでスチールテーブルに固定されているので、暴れたくらいでは起き上がれそうにないので安心だ。

 生きた屍アンデッドは外にもいるのか。と言うよりいま外はどうなっているのか。莉都香は不安になって、霊安室の扉の鍵を閉めた。


 続いて持ち物を調べた。

 莉都香は夏服のセーラー服を着ていた。冬服で上着なしだったらスマフォも持ってなかったのでラッキーかもしれない。冬はスカートの丈を折っているからポケットに物を入れてないのだ。

 スカートのポケットには、スマートフォンとイヤフォン、お気に入りのリップクリーム、以上。胸ポケットに入れてあるはずの目薬は落としたらしい。財布や学生証、その他諸々はカバンの中だ。


 莉都香はポケットのスマートフォンを見ると、幸いにもアンテナは一本立っている。まずは、SNSを確認しよう。世間のSNSつぶやきとネットニュースを見てみることにした。そして、絶句した。


「!? ……なに、これ……」


 ――高熱。病院いきます。――熱やばい。マジ病院レベルだわ。――急患多すぎ。インフルエンザかな。――救急車の数がやばい。

 ――渋谷で暴動。――新宿も暴れてる奴いる。――新大阪、噛まれました。危ない人います。――噛まれた。――噛まれた。痛い。――噛まれた。


 一週間程くらい前に奇妙なツイートが大量に投稿されていた。そして、数時間もしないうちに緊迫した内容へと変わっていた。


 ……暴動。……中毒性の高い麻薬による異常行動。……新型狂犬病の罹患者発生。……電磁波による脳髄損傷。……未知の伝染病が世界的に流行……。

 ……原因をWHOが調査開始。……死者、数百万~数千万人か……。

 ……高熱。……二十四時間以内に死亡。……蘇生。……凶暴化。……ただちに身の安全を……。

 ……動く死体。……噛まれると感染。……米国、中国、ロシア、EU、英国、日本……非常事態宣言発令……。


 ネットニュースは緊迫に満ちた記事で溢れかえっていた。動画サイトにアップされていた動画は、おぞましい吼え声を上げながら殺到する人間らしき生物たちが映し出されていた。

 ネットニュースは三日前から更新が止まっている。アクセスできないネットサイトも多い。更新が続いているSNSはあるが、どれもこれも支援と救出を望むものばかりで、唯一の希望は自衛隊の救助作戦のツイートだけだ。


 生きた屍アンデッド。家族と友人はどうなっているのか、ありえないと思いながらも嫌な想像が駆け巡る。

 何かチャットメッセージがきているかもしれない。SNSを立ち上げるといくつかメッセージが入っていた。まずは、家族のメッセージを見る。


「母さんは天音を車で迎えに行ったんだ……? ってことは東京か。あまねは学校かな」


 でも、迎えに行った後に合流した旨のメッセージが残されていない。ただ、母さんは東京の市民センターに避難しているとメッセージが残っていた。二人は会えていないのだろうか。天音からの返信がないのが気にかかる。


「父さんは相変わらず、か。……バカみたい」


 父さんは家族のSNSに参加はしているが、顔を合わせて話せばいい、と一切メッセージをしてこない。父さんと顔を合わせる機会は少なく、顔を合わせたとしても小言しか言われないので、できる限り会話しないように過ごしていたが……。

 友人たちのメッセージは莉都香の無事を確認するものが多かったので簡単に返信をしておいた。しばらく眺めていたが既読になることはなかった。


「……ァァ、ガァァァァァ……!!!」


「――っ!? ぅぅ……」


 シーツにくるまれた生きた屍アンデッドたちが唸り声を上げている。


「せっかく戻ってきたのに……、またファンタジーとか……ないわー……」


 霊安室の扉に背を預けながら、莉都香はがっくりと座り込んだ。

 せっかく日本に帰ってきたと言うのに、魔王を倒した勇者に与えられる報酬にしてはあんまりではないのか。ファンタジーまで一緒についてくるなと叫びたい。

 母さんはともかく、天音と父さんは家にいるかもしれない。ひとまずは家に戻ろうと考えて霊安室のドアノブに手をかけるが――ドアノブをひねる手が止まった。


 このまま外に出てだいじょうぶ、なの?


 異世界で生きた屍アンデッドの大群と戦ったときには、たくさんの仲間たちといっしょに大規模な魔法をバンバン使って倒した。生きた屍アンデッドの大群は生けるものすべてを追いかけて喰らい尽くす恐ろしい敵になる。たった一人で切り抜けられるだろうか。

 異世界では生きた屍アンデッドと戦うのが嫌だったので仲間に任せきりだった。相対したときに倒せるだろうか……いざとなったら足が震えてしまって歩けなくなったら――。


 そういえば。

 勇者の力は失われてしまったが、異世界で学んだ魔法はこの世界では再現できないのだろうか。ファンタジーから逃げだしたかったのに魔法の力を頼りにすることになるなんて、まったく……あの幼い女神さまも日本の有様を知っていたんじゃなかろうか。

 ぶつくさ文句を連ねつつ、手始めに中級の力の魔法を使ってみた。


「――古き獣の妖精へ、我が身体に宿れ、力よクィユ・ルマ・アプラジテ、シェンヴーハ・ナズ・ユ・アゼンリ、シュミゼル・アグノ


 お、これは……。

 全身の気だるさが消えて、ろくに動かなかった足の感覚が戻ってくる。走ったり跳んだりができるような力強さが全身にみなぎってくる。

 腕力のほうはどうだろうか。壁に立てかけられていたパイプ椅子を持ってみると、両手で持ってもしんどい重さであるはずのパイプ椅子が、ビニール傘くらいの重さに感じられる。


 この世界でも異世界で学んだ魔法の力は生きているらしい。

 異世界では魔法は生物の身体に内包されている魔力を消費して発現する。中級の力の魔法は、人間よりもはるかに強靭で素早いモンスターたちと戦うために必須の魔法だったので、はじめに覚えさせられた。

 と、言っても魔法にも弱点がある。

 乱発しているとあっという間に魔力切れしてしまうし、魔力を使い果たすと生物は気絶してしまう。勇者は魔力を消費しない、という特性があったので使い放題だったが、いまの莉都香がどれくらいに魔法を使えるのはよくわかっていない。魔力を使いすぎて生きた屍アンデッドの大群のど真ん中で気絶なんてした日には目も当てられない。


 生きた屍アンデッドがどのくらいの数がいるのかも気になるのよね……。


 動画サイトで見た映像の生きた屍アンデッドは数百人くらい映っていた。あれが全世界的に起きているとしたらとんでもない数になる。

 ふと、あまねが大興奮しながら見ていたゾンビ映画のシリーズを思い出した。仲間たちとゾンビから逃げながら生きていくヒューマンドラマとパニックホラーをごった煮にしたような映画だ。あの映画によれば人類は九十八%死亡していて、ゾンビ化しているみたいな設定だった気がする。

 渋谷のスクランブル交差点の如く生きた屍アンデッドがひしめていたら、あっという間に取り囲まれてしまうだろう。異世界で生きた屍アンデッドに有効だったのは、最上級の火の魔法で大爆発に巻き込んで粉々に吹き飛ばしてしまう方法だが、たった一人では火力が足りない。最上級の魔法であっても、せいぜい数十体が倒せる限度だ。そもそも最上級の魔法を気絶せずに使えるのだろうか。


 とりあえず、生きた屍アンデッドは隠れたり逃げたりして戦わない方針でいこう。どうにもならなくなったら魔法を使うけど、本当に絶体絶命の状況になったらだ。

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