第2話 絶対敗北シナリオへの挑戦
でも、僕は玄関を出ることはできなかった。
背後に立った陽朝が、これまたバカ丁寧に断言したからだ。
「お姉ちゃんはダメって言えません。」
自信たっぷりに陽朝は言い放つ。いわゆる玉砕とかいうやつから逃れるための口実は、これで消えてなくなった。
「だって……」
月夜は口数こそ少ないが気は強い。一度ダメといったことが曲げられるとは、到底思えなかった。
ところが、そこで陽朝はとんでもない一言を
「星宵はアタシの彼氏になったってことになってます」
「はい?」
玄関口に座り込んだまま、僕は首だけのけぞって陽朝を見上げた。
確かに陽朝は言いたい放題やりたい放題だけど、後先考えない娘じゃない。学校で男子の注目の的になってはいても、上手に距離を取っている。
この爆弾発言にも、何か考えがあるはずだ。
月夜と同じ、でも逆さまの顔が、ガッツポーズと共にキッパリと告げる。
「というわけで、アタシが許す限り、簾藤家には出入り自由です。がんばって」
「でも……」
そういう問題じゃない。そもそも勝ち目がないのだ。
それを言うだけムダなので返答を渋っていると、しなやかな腕と背中に押し当てられた柔らかいものが、僕の身体を包み込んだ。
艶やかな唇が囁く。
「アイツがどういう男か知ってる?」
温もりを感じる間もなかった。その憎々しげな響きに、思わず背中に寒いものが走った。
「……知らない」
学校の廊下ですれ違う程度の相手だった。
そう答えるより他になかったのだが、陽朝はさっきとは人が変わったかのように僕の背中をどやしつけた。
「裏でナニやってんのか知ってる? あいつ」
いつもは言いたいことをポンポン言うのに、今日はやたらと勿体をつける。
抱きしめられたり叩かれたり、そのせわしなさに、僕もついイラッときた。
「だから何?」
ぶっきらぼうに言い放つと、今度は襟首を掴んで引きずり上げられた。
悪さをした猫みたいに、ぐるっと陽朝の正面を向かされる。
「注目されてるから、何があっても表沙汰にできないの!」
言いたいことは、なんとなく察しがついた。そんな相手が月夜を狙っているということは……。
僕の中で、何かがプツンと切れた。
勝てるかどうかなんて、関係ない。月夜を放り出してはおけなかった。
「離せよ」
陽朝の腕を払いのけて、僕は自分の足で立ち上がった。
それでも、陽朝はなおまくしたてる。
「下手に引っかかっちゃったら……どこ行くの?」
僕が何をしようとしているか、やっと気付いたらしい。
もっとも、止められても聞く気はなかった。
「ちょっとそこまで」
玄関のドアを開けると、陽朝は靴を爪先に引っかけながら追いすがってきた。
「ダメ! 勝てるわけないじゃない、中学校のとき、どうだったか知ってる?」
「知らない」
そのときは、そんなヤツがいることも……。
でも、陽朝はもっともらしい声で、また囁いてきた。
「ヤンキー2、3人、1人でやったって」
確かに僕はケンカなんかしたことないけど、そこまでいくと、ちょっと信じられない。
陽朝にしてはセコいトリックが腹立たしくて、僕はブスッと尋ねた。
「そんなの、何で知ってるの?」
背中から絶え間なく聞こえていた声が、そこでふと止まった。
空気が、一瞬だけ張り詰める。
やがて深い溜息と共に、陽朝が声を震わせた。
「私、つきあってたの、あいつと……それで……」
その先が続かない理由は、何となく分かった。
僕の目の前が真っ白になる。
こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。
「殺す!」
今まで頭の中に思い浮かんだこともない言葉を、僕は口走っていた。
ドアを開けても、そこにあるはずの見慣れた秋の夕方はもう、見えなかった。
ただ、分かったのは陽朝が僕の背中にしがみついたことだけだった。
「ダメ!」
「どこにいんだよ長伊は!」
その腕を力任せに振りほどくと、陽朝は荒い息をつきながら答えた。
「……多分、市の体育館。国体の選抜メンバーだから」
小さい頃、この家の近くの公園に、僕は月夜や陽朝と歩いて遊びに行っていた。
市の体育館は、その隣にある。
怒りに任せて怒鳴り込むことができれば格好いいのかもしれないが、僕にそんな体力があるわけがない。
「長伊……! 長伊……!」
呼び捨てにはしているが、息は切れ、声はすっかりかすれていた。
アリーナで練習していた逞しくて背の高い連中の中で一番顔立ちのいいのが、僕に向かって眉を寄せた。
「……誰、オマエ」
見覚えがある。たまに廊下ですれ違うとき、必ず汚いものでも見たかのように背けられる顔だ。
こいつが、長伊雄輝だ。
簾藤月夜が休んだことのない学校に1日だけ穴をあけるほど、恋焦がれている相手。
こいつから告白すれば、間違いなく両想いだろう。
だけど、こいつにだけは渡さない。
妹の陽朝にまで手を出して、傷つけたヤツになんか……。
「話があるんだよ、来いよ!」
僕は怒鳴り散らした。そうしないと、最初からナメられて相手にもされないんじゃないかと思ったからだ。
長伊はというと、ちょっとアリーナ全体を見渡してから、大声を上げて頭を下げた。
「……ちょっと、席外します!」
誰もが手を止めて長伊と僕に注目していたので、その声は静まり返った体育館の中に響き渡った。
さすがにこれには僕も頭が冷えて、駆け寄ってきた長伊に用件を告げるのも小声になった。
「聞きたいことがある」
「何?」
聞き返す顔は怪訝そうだったが、迷惑に思っている様子はなかった。むしろ、僕の顔色をうかがっているようにも思える。どうしてかは分からなかったが、好都合ではあった。
体育館に沿って歩きだすと、長伊もついてくる。さっきいた場所のほとんど反対側、いわゆる「体育館裏」まで来たところで、僕は思い切って強気に出てみた。
「月夜のこと……どう思ってんだよ」
「は?」
長伊はきょとんとして目を見開いた。とぼけているのかと思って、僕は声を荒らげた。
「簾藤月夜!」
その名前を聞かされて泳ぐ視線を追いながら、相手の出方を待つ。
やがて、長伊は微かに頷きながら、空を仰いだ。
「あ……ああ、あ、そういうこと……!」
つられて見上げた空は、そろそろ赤みがかってきていた。
夕暮れ時が、近づいてきている。
しばらくして、こんなことをしている場合ではないと気が付いた。
「頼む! あいつのこと、真面目に考えてやってくれ!」
僕は身体を直角に折って、頭を下げた。
だが、月夜が想いを寄せる相手が返したのはたった一言だけだった。
「は?」
人をバカにするにも程があると思ったが、ケンカして勝てる相手ではない。 卑屈と言われようが何と言われようが、月夜を悲しませないために、できることは何でもするつもりだった。
「確かにあいつ、いつもツンツンしてるけど、実は結構アレでさ、すぐ折れちゃうんだよ。中学んときもなかなかレギュラーになれなくってさ、そういうときって僕に当たるんだよ、分かるんだよ。そりゃあいつ、背の割に胸ないけどさ……あ、何言ってんだ僕、とにかく、アイツだけを、アイツだけをさ……」
しゃべっているうちにまた、頭が真っ白になっていく。そのうち身体がどんどん屈んで、しまいに僕は長伊の前に膝をついていた。
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