第3話 姉と妹と僕の修羅場
惨めで仕方がなかった。
それでもやっぱり、国体選手に選ばれるほどのイケメン名選手は、僕の話なんかまともに聞こうとはしなかった。
「いや、ちょっと待て、そんなこと言われても俺は……」
さすがに、一度冷めた僕の怒りにも再び火が入った。声が震えだしたのが、自分でも分かる。
「聞けないってのか?」
「いや、そういうんじゃなくてさ」
困り果てたような、面倒臭そうな返事に、抑えても抑えきれない感情が跳ね上がった。
「何でだよ……あ!」
気が付くと、僕は長伊の腰にむしゃぶりついていた。相手の足が長くて背も高い分、普通に立ち上がっても簡単にタックルを食らわすことができる。
コンクリートの床に背中から転がった長伊はというと、身体を伸ばしたまま、動きもしない。
ただ、喘ぐように僕をなだめるばかりだった。
「やめろって、俺は……」
その落ち着きようが、余計に腹立たしかった。
何とかして悲鳴の一つもあげさせてやろうと、僕はその身体の上でマウントポジションを取る。
「あいつ、こうだって決めたらもう、真剣なんだよ……!」
拳を振り下ろそうとした時、体育館裏に響き渡る声が聞こえた。
「何やってんだコイツ!」
夕日を真っ向から浴びたバスケ選手たちが、僕の正面からばらばらと走ってくる。
味方が現れたからか、長伊の物言いも急に偉そうになった。
「おい、止めろ!」
何人もの手で長瀬から引き剥がされそうになって、僕は暴れた。
メチャクチャに振り回した腕を掴まれ、身体を持ち上げられてデタラメに足をじたばた蹴り上げる。
これには逞しいバスケ選手たちも引いたようだった。
「何だコイツヤバイぞ!」
口々に喚きたてる声は、もはや悲鳴に近かった。
僕は僕でもう、何をしに来たのか自分でも分からない。ただ、ここまでこの連中をビビらせたのはたまらなく気持ちよかった。心のどこかで、長伊や長身のバスケ選手たちを「ザマアミロ」と嘲笑っていたのは、多分間違いない。
でも、それも長くは続かなかった。
甲高い怒りの声が、僕の頭を一気に冷やしてしまったからだ。
「やめて!」
バスケ選手たちが、一斉に僕の腕を離す。
固い床に落とされてしこたま打った尻をさすりながら振り向くと、夕日を背にした少女の影が歩み寄ってくる。
「月夜……?」
揺れる長い髪に、思わずつぶやいたのはその名前だった。
いつの間にか立ち上がっていたらしい長伊の声も、その姿に気付いたらしい。
うろたえる声が、頭の上から聞こえた。
「……あ、これ……」
でも、やってきたのは姉のほうじゃなかった。
身長も体形も、明らかに違う。
「ダメだ……陽朝も」
僕の後ろに立ったのがどんなヤツか、自分がいちばんよく分かっているはずだ。
それでも僕を心配して来てくれたのかと思うと、胸が何だか苦しくなった。
ところが、長伊は僕の後ろから情けない声で哀願した。
「頼む、誰にも言わないで!」
陽朝の声はというと余裕たっぷりで、そして凄みが利いていた。
「ええ……そっちだって。もし、バラしたりしたら……」
もっとも、どんな顔をして答えたかは、逆光になっていたからよく分からなかったけど。
長く伸びた自分たちの影を見ながら、僕たちは来た道を無言で帰った。
その間、たまらない恥ずかしさと悔しさで口も利けないでいた僕に、陽朝は一言も話しかけなかった。
でも、あのリビングに再び戻った僕がフローリングの床に崩れ落ちたとき、耳元で囁く声が聞こえた。
「……ありがとう、お姉ちゃんのために」
お礼を言われるようなことは、何一つしていない。
それが分かっているだけに、僕の声は震えた。
「情けないよ、僕……何にもいいとこなかった。完全にバカにされてさ、陽朝に助けられてさ」
泣いちゃいけない。悔しいけど、泣いちゃいけない。
震える身体をすくめて、溢れそうな涙をこらえる。
うなだれた僕の前に、陽朝がちょこんと正座した。
「アタシに助けられたの、そんなに格好悪い?」
慰めるというよりは、優しく叱るような言い方だった。でも、そのどっちにしても、素直には聞けなかった。
「悪いさ、僕だって、男なんだから」
「男の子が女の子に助けられちゃいけないの?」
分かってる。惨めさのどん底にいる僕を助け出そうとしてくれているのは、よく分かってる。
でも、それがどんなに残酷なことか、陽朝には分かっていない。
「普通は逆だろ!」
その、普通の男になりたかった。背は低くてもいいから、何か男らしいところを見せたかった。
できれば、月夜のほうに。
でも、陽朝のほうは、僕を真っ向からぺしゃんこにしてくれた。
「アタシ、星宵が普通だって思ってないし」
「ひどいな……」
今にもこぼれ落ちそうだった涙は、どうしたわけか、どこかへ引いてしまっていた。
そこでさらに、おどけた口調で陽朝は僕をからかいにかかる。
「でも、普通でなくちゃいけないとも思ってない」
「わけわかんない」
口を尖らせてみせると、陽朝も真似をして唇をすぼめた。
「わかんないかな……」
胸がドキン、と鳴った。
どうしてかは分からなかったけど、コレは何かまずい、と心の中で叫ぶ声が聞こえた。
そのときだった。
運の悪いことに、僕の尻に激痛が走った。
「イテ!」
思わず跳ね起きたところで、僕は足を滑らせた。
その目の前で、陽朝は笑った。
「自業自得よ」
だが、この状況は笑えなかった。
僕は前のめりになって、座ったままの陽朝のほうへと倒れ込んでしまったのだ。
何が起こったのか分からないでいるうちに、荒々しい足音を立ててリビングへと踏み込んできた者がいた。
「……何やってんのあなたたち!」
ひっくり返されたコメツキムシみたいに跳ね上がった僕は、仁王立ちする月夜の前で正座した。
窓から差し込む夕暮れの光が、その長身の身体を赤く照らし出している。
その身体が小刻みに震えているのは、白い夏服の肩からこぼれる長い黒髪が揺れているからだ。
陽朝は陽朝で、床から身体を起こすと、乱れた髪をかき上げながら平然と言い放った。
「つきあってるの、アタシたち」
言うに事欠いて、何というデタラメを!
僕が弁解する間もなく、月夜は夕日の光の中でも冷たく光る眼で、僕たちをハッタと睨みつけた。
「何で? 何でそんな勝手に?」
反復される怒りの言葉を、陽朝はさらりと受け流した。
「星宵はお姉ちゃんのじゃないし」
火に油を注ぐとは、このことだった。
月夜は、プライドがめちゃくちゃに高いのだ。
生まれてから月夜とずっと一緒に過ごしてきた陽朝は、その辺を僕よりもよく分かっているはずだった。
それなのに、わざわざケンカを売るようなマネをしたりして、もうわけが分からない。
案の定、月夜は氷の刃のように冷たく鋭い声で、双子の妹を叱りつけた。
「陽朝の心配してるの! 何よ、いろんな男ととっかえひっかえ……」
妹は妹で、聞き捨ててはおけない一言だったらしい。
いつも通りの高飛車な態度で、月夜に食ってかかった。
「つきあってない! 適当に相手してるだけ、しつこいから!」
僕としても、そうであってほしかった。たぶん、月夜にしてもそうだったろう。
だが、売り言葉に買い言葉というヤツで、どちらも振り上げたこぶしが下ろせなくなっているみたいだった。
「あの連中、あなたのどこ見てるか分かってるの?」
ギクリとした。僕がその中に含まれないとは胸を張って断言できない。男だから仕方がないというのは、多分、最低の言い訳だろう。
もっとも、陽朝の非難は双子の姉に向けられていたけど。
「ひがまないでよ、自分の発育が悪いからって!」
一瞬、その場の空気が凍り付いた。
月夜の唇から、低く冷たい声が漏れる。
「……そういうこと言う?」
本人が気にしていたとは夢にも思わなかったけど、それを差っ引いても絶対に口にしてはいけない事実だった。
抑えに抑えた静かな怒りが、僕の肌にまでビリビリ来る。
でも、双子の妹にそんなものは通じないようだった。
「ごめんなさい、その発育しか取り柄がありませんので……優秀なお姉さま」
その豊かな胸に僕を抱き寄せようとする陽朝を、月夜は真剣なまなざしで見据えた。
「星宵だけはダメ。こんな帰宅部で、甲斐性なしで……」
さっきとは打って変わって、落ち着いた口調で懇々と諭しにかかる。
本来の月夜らしくていいんだけど、一言多い。
さっき、長伊を相手に醜態を晒したばかりなのだ。それで気持ちが沈んでいるときに、「甲斐性なし」の一言はこたえた。
陽朝はといえば、噛みつかんばかりに食ってかかった。
「私が誰と付き合おうと勝手でしょ!」
僕の手を引っ掴んで、引きずっていく。腕は細いのに、力は意外と強かった。
えっ、と思ったが、その場で踏ん張ることもできない。
そんな自分がたまらなく情けなかったが、それはもしかすると、双子の姉への怒りのせいだったかもしれない。
仕方なく立ち上がった僕は、陽朝に逆らうこともままならなかった。
やっとの思いで振り向いて月夜を見つめると、冷ややかな眼差しと共に、静かに抑えられた声が返ってきた。
「じゃあ、勝手にして」
それはもちろん、双子の妹へのものだっただろう。
でも、そのまま玄関へと歩み去る月夜の背中は、僕の視線さえも拒んでいるように思えた。
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