第24話 約束したじゃないですか!
スマホの着信音にちらりと見やった掛け時計は、午後の九時半を過ぎていた。表示された発信者名は、僕を
こんな時間にいったい何だろう。今さら僕に、どんな用があるというのだろう。ふぅと大きく息を吐いてスマホを耳に当てた。
「高瀬です。お時間大丈夫でしょうか」いつもと変わらぬ落ち着いた声がした。
「あ、はい。大丈夫です」
「驚かないで聞いてください」
不穏な一言に、僕の心臓はトクンと跳ねた。
僕の頭にすぐ浮かんだのは、高瀬と約束したことだったからだ。これだけは守ってほしいと、最後の最後までしつこく確認したことだった。
「もしかして、美玖が、はだ……いや、服を着せてもらえない状態で保管展示されることになったのですか⁉」
スマホを持つ手がブルブルと震えた。血液が逆流しそうだった。だとするなら、僕は全力で阻止しなければならない。そんなことになったら、美玖があまりにもかわいそうじゃないか。
何が何でも、極秘に進められたアンドロイド計画をマスコミにリークしてでも阻まなければならない。
「落ち着いてください門脇さん。大丈夫ですか? 鼻息が荒いですよ」
「荒いのは当たり前ですよ! 美玖に服を着せずになんて僕は許しませんよ! 絶対に許しませんからね! どんな手を使ってでもそれを阻止しますからね!」
ふっと息が聞こえた。
「なんで笑うんですか。だって、約束したじゃないですか!」
「門脇さん、こう見えても約束は守る男です。そうではなくて、美玖さんがそちらに向かったというお知らせです」
僕は壊れたバネ仕掛けの人形のように立ち上がった。
「今、なんて言いました?」
「美玖さんが、そちらに向かいました。詳細はご本人から聞いてください」
「高瀬さん、もう少し詳しく教えてください。事情が飲み込めません」
「彼女がここから、逃げたのです」
「逃げた⁉ じゃあ高瀬さん、捕まえに来る気なんですね。来てませんよ。来たって教えませんからね。高瀬さんが来たら対抗しますからね。こっちには刃物だってあるんですから。あ……」
「どうしました」
「美玖の包丁だった……でも、なんか危ない物探しますからね。本気ですからね!」
「美玖さんの言った通りのひとですね」
「なんでまた笑うんですか」
「美玖さんを目覚めさせることができるのは私だけです。そうしておいて逃げられるほど私が間抜けに見えますか?」
「あぁ……いえ、見えませんけど……」
「話の筋をちゃんと繋いでくださいね。正確にはですね、私が彼女を門脇さんのもとに向かわせたのです」
「え? ますます意味が分かりません」
「もろもろは彼女から聞いてください。私ちょっと疲れました。美玖さんは辛抱強いひとだ……でも、あなたの心意気だけはしっかり受け取りました。そちらへはタクシーで向かうように指示しました。時間的にはどうでしょう──もうそろそろ着くころかもしれません」
「え……もうこっちに着くんですか?」
「温かく迎えてくれますね」
「それはもちろんです! 本当なんですね? 捕まえに来るんじゃないんですね」
「もしもし門脇さん?」
「はい」
「飲み込みの悪いひとだ。捕まえに行く人間が電話なんてすると思いますか」
「あぁ、そうですね。すみません。頭が混乱してしまって」
「彼女にとって悲しい終わりにしない約束を、この私としてくれますか」
「悲しい終わり、ですか?」
「もしも彼女の存在があなたにとって邪魔なものになっても、
「します! というか、邪魔になどなるわけがないじゃないですか」
「門脇さん、あなたはまだわかっていない。彼女が抱えたどうにもならない苦悩を……これは、彼女を不幸にする行動ではないかと苦しみました。私は彼女のボディの生みの親。少しだけ父親に近い気持ちを持っていることをお忘れなく」
「娘さんを、お嫁に下さい」
「門脇さん」ふぅーっと長いため息が聞こえた。
「冗談はやめましょう、怒りますよ。それは無理だし、無茶なのです。門脇さんがお腹の出たおじさんになっても、ヨレヨレのおじいちゃんになっても、彼女はあのままですよ。馬鹿なことは考えないことです。彼女は、必ずここへ戻らなければならない定めなのです」
「冗談のつもりではなかったです。すみません」見えはしないのに頭を下げた。
「彼女は、美玖は……喜んでこちらへ向かったでしょうか」
「もちろん。悲しいぐらいに」
彼女の笑顔が浮かんだ。何もかもを包み込んでしまうようなふわりとした笑顔。
「ありがとうございます!」
「それから」
「はい」
「くれぐれも彼女を騙したりしないでください。優しさからくる嘘以外は彼女を不幸にします。彼女を必要としなくなったら、心を込めて話してあげてください。もしも彼女を不幸にしたら、刺し違える気で私があなたのもとへ向かいます。では」
不穏な一言でスマホは切られてしまいそうだった。「あ、あの!」
「あ、最後に嬉しいお知らせがあります。彼女は、味の分かる女性になりました。では」
やっぱり切られてしまったスマホに深く頭を下げて、僕はドアを蹴散らすように外に飛び出した。
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