第20話 アーモンドチョコレート
「急いでコンビニで買ってきたのでミスチョイスもありそうですが」高瀬が少し頬を緩めた。笑った顔を見たのは初めてのことで、それは軽い驚きだった。
封が切られてケースから引き出されたアーモンドチョコを口に運ぶ。
舌で転がし奥歯で噛む。その瞬間、アーモンドが砕ける食感と甘いチョコの香りが口から鼻へ抜けた。
「甘い……美味しいです」その言葉以外浮かばない。味わいの渦は心までとろかすようだった。
「あなたの知っているアーモンドチョコの味ですか?」
「たぶん──そうなのでしょう」
久しく遠ざかっていたけれど、人というのはこんなにも凄い味覚を持っていたのか。それはまさに甘美だった。
「自信がありませんか?」
「いえ、なんというか……味覚が鋭すぎて本物よりもおいしく感じることがあったりはしませんか?」
これは素直な感想だった。人を超えた味覚が備わったのではないのかと。
「味覚が鋭いイコール美味しく感じるということはないと思います。味音痴の舌に仕上げたつもりもないので、それはその味です。遠ざかっていたからでしょう」
「だったら、文句のつけようがありません」
「よかった」高瀬は息を吐くように小さく呟いた。
これから何が起こるか、この時間にどんな終わりが来るのかはわからないけれど、毒を食らわば皿までだと心に決めた。
「ご存知でしょうが、味を感じるのは舌にある
先を促すように頷いた。アーモンドチョコレートの風味は、飲み込んだ後も
「味蕾の中には味を感じる味細胞があって食物の味を感知しています。感知した味は味覚神経を介して脳の中枢に伝えられるのですが、嗅覚でとらえられた香りなどの情報も脳に伝えられます。食べ物の硬い柔らかいなどの触覚と香りは今までもわかりましたよね」
「はい、だいたいの香りと食感はわかりました」
「あなたにどうしても与えたかったのが味覚でした。それは私の、科学者としての立場を超えた情熱でした。それは何より、あなたに味わってほしかったからです」
自分のセリフに照れたのだろうか、高瀬はすこし恥ずかしそうに俯いた。この人はこんなにも優しげな表情をする人だったのか。
「あなたには感情移入をしないように努力してきました。さぞや私を冷たい人間だと思ったでしょう」高瀬は生真面目な顔で頭を下げた。
いえ、小さく呟き首を振った。
「さ、次はこれを」
それはレモン風味の飲料であったり、梅干であったりした。
「ちなみにこれに」わたしが飲んだビタミン飲料の空瓶を振った。
「ビタミンCの効果はあると思いますか?」
「え……ということはないんですか?」
「ほとんどないと思います。キレート化もされていませんし。余談になりました」
「美玖さん」高瀬がまっすぐにこちらを見た。
言葉の風圧を感じて少し身を引いた。わたしをあなたと呼ぶのはいつもの通りだったし、離れている私に対しては ZERO ONEと呼び掛けるのが常だった。それが──美玖と呼んだ。
その意味は? 一気に鼓動が早くなる。
もしかしたら彼に会わせてもらえるのかもしれない。ちょっとの間だけでもいいから、きちんとさよならを言いたい。鼓動だけが勝手に高まってゆく。
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