第17話 味覚

「もちろん葬儀も行われました。彼女のご家族ご友人も参加されてのご葬儀に、あなたも参列されました。もちろん私も友人のひとりとしておとむらいさせていただきました。幸いというととても失礼ですけれど、彼女のお身内であなたを知る人はいませんでした。会社にも、あなたと彼女の関係を知る人はいませんでしたので、参列された方はいません」


「あなたは、友人の一人として参列されました」


「私は一応医師免許を持っていますが、ここは病院ではありませんので、念のためにぎりぎりの段階で病院に搬送されました。そこで余命宣告をした担当医師に死亡診断書を書いてもらいました。これは織り込み済みのことでした」


 高瀬は、いつまでこの話を続けるつもりなのだろう。


 ときおり見せる高瀬の痛ましそうな目も、水面みなもに落とした墨汁のように広がる、怒りとも失意とも表現しかねる黒々としたものを振り払うことはなく、ささくれて、尖って、ねじれた思いを持て余した僕は、俯くように爪を見た。


 おっきい、と彼女が言った自分の爪を、ただ見つめた。


 おっきい、おっきい、と人差し指の腹でつるつると撫でた感触だけが、ひとつの終わりを告げるように蘇る。


 確かに、今考えればつじつまは合う。

 彼女が天職とまで口にした図書館に復職しなかったこと。実家と連絡を取り合っている様子がなかったこと。


 そう、彼女は図書館に勤めに出ることも、実家に帰ることもできなくなっていたと考えれば──。


 そうだ──忘れていた。

 彼女は、家具も衣類もまったく持たずに僕の部屋にやってきたのだ。新しい生活を始めるから、真っ白しろでスタートします、と笑っていたのだった。


 僕はもう、この馬鹿げた話をねつけることができなくなったようだ。


「それは」僕は視線を高瀬に戻した。

「彼女も望んだことなのですか? 了解したことと望んだことは違う気がします」


「彼女は、あなたの希望を受け入れた、といった方が正しいかもしれません。自分はもう存在しないのに人造の体を借りた記憶が生き続ける……それは誰も経験したことのないことです。それでも彼女は勇敢にも踏み切った」


 高瀬は椅子に背中を預け、ふぅーと息を吐いた。


「ZERO ONE は完璧でした。けれど、残念ながら彼女に人間並みの味覚を与えることはできなかった。それを大変申し訳ないと感じています」


「味覚? 味が分からなかったということですか?」

 しばし口を引き結んだあと、「はい──大雑把にしか」と高瀬は俯き加減に頷いた。


味蕾みらいという味を感じる器官はご存知でしょうが、人の味蕾の数は約一万個ほどあります。犬は約2000個、猫は約500個と言われています。

 美玖さんの場合、塩味や酸味、苦みは感じることができたはずですが、旨味はもちろん、甘味もあまり感じなかったはずです。言ってみれば猫に近かった──当初はそれでもよかったのです。人を造ろうなどとは思っていませんでしたから」


 退院して一緒に住むようになって、料理好きの彼女が新しいレパートリーにあまり挑まなくなったのはこのせいなのだろうか。


「我々の力が足りませんでした。これについては研究を進めていますが、彼女の場合は──間に合いませんでした」高瀬はひじ掛けに両手を載せて、深く頭を下げた。


 外食をしても彼女はいつも美味しそうに食べた。


 美味しい、これすごく美味しい。

 彼女の笑顔が蘇る。


 それも食べなよ。これも食べなよ。美味しいね。

 食事は、彼女にとって苦痛だったのかもしれない。僕は無神経なことをしていたんだ。ひどく残酷なことを。



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