第16話 アンドロイド

「門脇さん、誰もあなたを騙したりはしていない。それを最初にお断りしておきます。きっとそう感じるでしょうけれど、すべてはあなたの記憶のせいなのです」

 高瀬は、苦い薬を飲み込む猶予ゆうよを与えるように、中指の先でメタルフレームの眼鏡を押し上げた。


「僕の、記憶──ですか?」

「はい。あなたの記憶を書き換えることについては、彼女も、むろんあなたも了解していたことです。最後の日々をいつもと変わらず過ごすために」


「最後の日々?……」

「最後の日々とは、この二年間です。それが彼女の試用期間でした。選択肢はいくつかあったのですが、私の示した提案のひとつに彼女が賛成したのです。『日毎に厚みを失っていく日めくりカレンダーを、ハラハラとしながら見て過ごすような暮らしが、はたして楽しいだろうか』と。門脇さん、だからあなたには、それを忘れて過ごして欲しいと彼女は願いました。あれはニ年前でした。ニ年前の、それを決めた日──彼女はこの世を去りました」


「高瀬さん、何を言ってるんですか? じゃあ、僕はいったい、誰と過ごしていたというんですか!?」

「美玖さんの記憶とです」

「馬鹿らしい。早く美玖を戻してください。彼女はこの部屋に入って行ったんですよ。僕の見ている目の前で」


「彼女が死んだのは、正確に言うならニ年と三ヶ月前になります」

 僕の言葉に耳を貸そうともせず、高瀬は続けた。


「彼女のボディを完成させるのに三ヶ月かかりました。下地は完全にでき上がっていましたので、それぐらいで仕上がるであろうとは予測していましたが、余命の関係もあって急ぎました。その間、もちろん彼女は生きていました。痛々しいありさまでしたがモルヒネで乗りきりました。記憶を ZERO ONE に移し替えて、体の作動チェックにさらに三ヶ月を要しました」

 何を言っているのか皆目わからない。僕は高瀬を、どんな目をして見ているのだろう。驚いたような目だろうか、それとも呆れたような目だろうか。


「あなたの中の記憶は前後が抜けて二年になっています。その部分の記憶が、作られたものです」

 高瀬の口から発せられる言葉は、とても理解などできるものではなかった。


「アンドロイドである ZERO ONE に高い知性と身体能力、人と寸部も違わぬ肌の質感、声を与えることはできました。ZERO ONE は技術を確かめるための集大成であり、試作品でした。正式名称はプロトタイプ・ゼロワンです。それを実在する人物にしようと言い出した人がいました。馬鹿げた妄想です。やってはならないことです。神を冒涜するに等しい行為です」


 置かれた状況に戸惑う僕の心など、さらさら斟酌しんしゃくする気もないらしい高瀬は、話を続けた。


「しかし、それは実行に移されました。アンドロイドは感情を含め内的要素に乏しいのが欠点です。それを補うのが、人として生きた記憶を移し替えるということだったのです。その時点で ゼロワンの後ろにFLが付きました。FLは first and last 最初で最後を意味します。二度と作らないという私の意志が込められています」


 この話は、あまりにも現実離れしていて、僕の思考は受け入れを拒むかのように動きを止めた。


「結婚を申し込まれたそうですね。ZERO ONE が、あぁ失礼──美玖さんが打ち明けてくれました。それはどうにもならないということは、彼女だって十分承知していること。けれど、私がたじろぐほど食い下がってきました。年上の門脇さんより落ち着いて見えた彼女の、一世一代いっせいちだい我儘わがままだったろうと思うのです」

 僕はひとつの言葉を思い出していた。頑張ってみるからという彼女の言葉を──。


「けれど、私がそれを承諾しょうだくできるはずがない。なにしろ戸籍がないのですからね。それに、期限もある。彼女は泣きました」高瀬は苦そうに眉を曲げた。


「記憶と人造の肉体との融和。それは大きな成功のひとつでした。しかし、やってはならない試みでした」宙の一点を見つめ悲しげな顔をした。


「話を戻しましょう」高瀬が僕を見て、さらなる覚悟を促すような目で頷いた。

「あの日、あなたに付き添われた美玖さんはこの研究所を出ました。あなたの記憶では、彼女が入院していた病院になっているはずです。が、あの時、美玖さんはすでにこの世にはいませんでした。ZERO ONE の中で彼女の記憶が生き続けたのです」


 冗談話にしては長すぎる。

 僕をこんな状態に置いてどこかで笑いをこらえてるなんて、美玖に限っては考えられない。彼女が僕をだますなんてあり得ない。


 この話は、嘘ではないのかもしれない。でもしかし──。


 夢の中にいるような浮遊感は、のべつ湧き出る思考を阻むように脳を薄もやで包み、壁に掛けられた丸くて白い時計を、意味もなく見たりした。事の次第を上手く咀嚼そしゃくできず、僕はただ、ぼんやりとしてるのだとわかった。

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