勇者の証明 2 再開はスローモーション
俺は大気に混じるような感覚で、過去の記憶を見ている。
「これが試練なのか?」
ふと呟くと、
「その銃で『邪』を打ち抜くのが試練だねえ」
けだるそうな声が返ってきた。
「そんな簡単なことで良いのか」
俺の問いにどこかからため息が聞こえてきた。
「続けてみれば分かるさ。それは簡単な事ではないし、この世界はおまえの前世…… 元居た世界と運命の糸でつなげてある」
「じゃあこの銃を撃つと」
「それは自分で確かめるんだね」
そこで会話が途切れ、徐々に記憶が進んで行った。
+++ +++ +++
二つ目の職場である興信所は、主に大手企業の信用調査や資産家の結婚や相続に関わる調査を行っていた。
そこで俺と下柳はコンビを組み、多くの調査を行った。
動画の早送りのような記憶の中で、二人は水田で失われた重要書類を探し出し、泥だらけになりながらお互いの顔を見て大笑いし……
ストーカー調査中に逆上した男に襲われ、下柳をとっさにかばった俺の怪我を見て、病院で「もっと自分を大切にしろ」と、半泣きの下柳が殴りかかってきたり……
徹夜でゲームをしたり、アイドルコンサートやコミック・マーケットに連れ出されたり。誰もいない深夜のオフィスで静かに涙を流す下柳を、俺がそっと抱きしめたりしている。
第三者的に見るとそれは仲の良い恋人同士にしか見えなかったが、俺たちはそんな関係ではなかった。
ただ俺の記憶には、薄く形の良い唇を大きく広げて楽しそうに笑う姿や、ミニのタイトスカートから延びる美しい太ももや、大胆に空いた首回りから覗いた大きくはないが形の良い胸の映像が懐かしく焼き付いている。
なぜかエロい思い出が多いのが不思議だが……
そんな四年に及ぶ出来事をダイジェスト映像のように観ていたら、突然時間の流れが正常な速さに戻り、――問題のあの日の記憶が再現され始める。
大気に溶け込んでいた俺の意識はその当時の俺の身体に入り込む。
その頃俺たちは上司からの覚えも客からの評判も良く、徐々に難解な調査も任せられるようになり、――あの事件を担当することになった。
それは地元のゼネコンと公共事業の汚職事件で、既にマスコミが騒ぎ立て、検察が調査に入っている。
俺たちの仕事はその事件に関わる人々の資産状況調査だった。
この手の事件では、民事裁判で訴訟が決定しても、賠償金が全額支払われるケースは少ない。
彼らは巧妙に資産を隠し、支払い能力がないと言って賠償を逃れ、時にはトカゲの尻尾切りみたいに誰かが闇に葬られることで、訴訟自体がうやむやになることがある。
そんな警察や司法の手が届かない、金にまつわる調査も俺たちの仕事だった。
「村山さんがまさか」
そして汚職事件の捜査線上にいたのが、俺たちによく仕事を依頼してきた企業の経理部長だった。
調査を進めると親戚名義や友人名義に書き換えられた土地や株券、最近他人名義で契約された銀行の貸金庫などが見つかる。
定番といえば定番で、それらが民事訴訟から逃れるための資産隠しであることは間違いないと踏んでいたが……
相棒から出てきた書類は、どこか不自然なものだった。
巧妙に隠されたピースがいくつか存在し、それを根気よく正確に組み合わせていくと、出てきたのは数十億円以上の『消えたお金』。
俺は昼休みの屋上に下柳を呼び出す。
「気付くとしたらキミしかいないだろうと思っていたよ。あの資料なら裁判所もクライアントも、うちの間抜けた上司たちも見抜けない」
フェンスにもたれかかった下柳は疲れた顔をしている。
誰もいない屋上で下柳の穿いたミニのフレアスカートと、俺のジャケットの裾だけが風に揺れていた。
「どうしてそんなことを」
俺は下柳の隣で同じようにフェンスにもたれかかり、空を見上げる。
良く晴れた十月の空には、いわし雲が列をなしてビルの上を心地よさそうに泳いでいた。
俺は意を決して下柳のスラリとした生脚に目を落とし、問いかける。
もともと高級ブランドを身に着けて派手な生活を送り、上司や
上司や特性の
やっかみ交じりの噂だろうと無視していたが、今回の件を含め今まで聞けなかったことを質問すると、
「所長の不倫情報を握ってるだけだで、金は今回のような件で稼いでいる」
下柳はあっさりそう白状した。
「どうして」
同じ質問を馬鹿みたいに繰り返す俺に下柳は、
「前にも話したが、キミほどじゃないが私の家も複雑でね、父が職を失うと同時に一家離散した。いつだって金は憎悪の対象で、憧れで、離れたくても離れられない」
以前下柳の親は地元で有名だった資産家で、親戚には地方議員もいると聞いていた。そして今は資産もなく、両親ともに行方が分からないとも。
「なら……」
「あの会社の村山部長も私の父と似たようなものだ。会社の命令で動き、裏金のプールで個人としていくらか預かり…… そして運がなかった。まあ多少は、自分のためにも使ったかもしれないが」
下柳は足元に置いていたスーツケースを広げる。
「この金をキミが受け取ってもだれも困らない、そもそもは国の公共事業の物だ。こういった金はいつだって地方の権力者が名目を変えて受け取っている。今回はたまたま反対勢力が政治に勝って、明るみに出ただけだよ」
ぎっしりと詰まった一万円札が何枚あるのか想像もつかない。
「受け取れない」
「そうか、この街で仕事をするのはそろそろ潮時だと思ってたから、もう会社には辞表をだしている。キミと組んで何か新しいものを始めたかったけど」
「だったらそんな金は捨てればいい、下柳と組んで仕事をすることに迷いなんかない」
俺は下柳の目を見てそう伝えたが……
「ねえ、キミは真面目過ぎるとか正論を言い過ぎるとか、そんなことを言われたことはないかい?」
下柳はゆっくりと目をそらし、小さく肩を上下させた。
俺がもう一度言葉をかけようとしたら、
「だからキミはダメなんだ、もっと自分を大切にしないと。こんな女に引っ掛かてちゃ……」
視線を戻し、そう呟く。
その瞳には大きな涙が浮かんでいた。
俺がそれに対して何か言おうとしても……
どうしても上手く言葉が見つからない。
そんな俺の顔を見つめて、下柳はフェンスから離れると、
「もう会うことはないだろ」
そう言って歩き出す。
ここまで過去の記憶をたどると、また胸ポケットの拳銃が揺らぎ始め…… すべての音が消え、スローモーションのように下柳がゆっくりと動き出した。
「さて、どうしようかねえ」
そしてまた、どこかから、けだるそうな声が聞こえてくる。
「ここまでは過去の出来事だが、今あの女とは『運命の糸』が結ばれている」
そしてその声は、悪魔のささやきのように俺の心を揺さぶった。
俺は下柳が憎かったのだろうか、それとも何もできなかった自分自身が憎いのだろうか。
――いや、これが勇者の試練なら『邪』なるものはどこにあり、乗り越えなくてはいけない『恐怖』とは何だ。
俺はバラバラに見える状況を再確認する。
――そう、考えるんだ。
いつだって勘も悪く運もない俺だったが、地道に努力し、集中して何かを成し遂げたこともあった。
努力は無駄になることが多いが、残念な事にそこからしか突破口は見いだせない。それは俺が経験で知った事実だ。
集中し、何度も何度も思い出したくなかった過去を振り返り……
俺はやっと、『運命の糸』とやらでつながっている下柳に声をかけた。
+++ +++ +++
「待ってくれ!」
俺の声に下柳が振り返り、スローモーションだった時の流れが通常に戻る。
「俺は決して真面目なんかじゃない。いつも下柳の素晴らしいスタイルにドキドキしていたし、タイトスカートから見える美しい太ももを拝むのが毎日の楽しみだった。今も風にあおられて紫のパンツが見えちゃっててウハウハだ」
そして俺は心の底から真実を叫んだ。
そうだ、先生の別れの時も…… 俺はちゃんと話せなかったことを後悔した。
ならこの時も同じ。
まず、ちゃんと俺の思いを嘘偽りなく伝え、コミュニケーションをとることが大前提だろう。
「な、何の話かな」
「俺の気持ちを素直に語ってみた」
「そ、そうか。でもそこまで何もかも言わなくても」
困ったように笑った下柳の顔が揺らぎ……
高級ビジネススーツを着ていた姿が、ラフなポロシャツとふんわりとしたスカートに代わる。
あんなに美しく手入れされていたロングの髪は肩のあたりで切りそろえられ、化粧気もなかったが、可愛らしさは増した気がする。
「あ、あれ? ここはどこ。それにあなたは?」
少しやせた感じで、目の下にクマのようなものがあるのが気にかかるが……
風になびくスカートと美しい太ももは健在だった。
ひょっとしたら『運命の糸』の影響で現在の下柳と話が出来ているのだろうか。
「あはっ、またアキラの夢を見てるのかな。もう交通事故で死んだのに」
涙を浮かべた下柳に、俺はもう一度声をかける。
「あの時上手く伝えれなかったことをちゃんと話そう」
俺がそう言うと下柳は辺りを見回して、何かに気付いたように頷いた。
「あの金を受け取らないと言ったのは、下柳を軽蔑しているわけでも安い正義感からでもない」
そう叫ぶと下柳は首を傾げ、
「じゃあどうして」
そう聞いてきた。
「俺は本物の紳士を目指しているから、金など価値がない事を知っている」
「じゃあ、なにに価値があるって言うの」
「キミだ」
続いて「その太ももも素晴らしい」と、言いかけて言葉を飲む。
どうやら素直過ぎるのも良くないらしい。
コミュニケーションとはやはり難しいものだ。
俺が自信満々に胸を張ってそう宣言すると、
「バカじゃないの? あたしは……」
また泣きそうになった下柳に、俺は言葉を続ける。
「悪党など好きなだけ騙せば良い、汚い金などドブに捨てれば良い。キミはいつだって光り輝く美しい女性だった。だからその話を聞いても、さすが下柳だって、どこかで感心したぐらいだ」
時間の流れがつながっているのなら、下柳と別れて一年ちょっと。
彼女は俺の三歳年上だから、今は二十九歳のはずだ。
それにしてはどこかやつれたような気がして、心配になる。
「幸せにやっているか」
「何よ、振った女に死んでから聞くことじゃない」
「誤解があるようだが、俺はお前を振ったことなどないし死んでもいない。ちょっと異世界転移して、勇者の試練を受けているところだ」
そう言うと、バカみたいにポカンと大きく口を開けた。
「私、悪い夢を見てるみたいね」
運命の糸と言うのがどんなものでどこまで作用するか分からなかったが、俺は揺れ続ける胸ポケットの拳銃を無視して、今ここで何ができるのか考える。
そして、一つの答えに至り、
「マッスル・チェンジ!」
大声で叫び、俺のマッスル・ハートに火をつけた。
ここが記憶の世界だからだろうか、強く心から念じると身体が赤く輝き……
俺は仮面の紳士に変身する。
「何それ…… 変態?」
突然カッコ良い姿になったので、おどろいたのだろう。
妙な単語も聞こえたが、きっと状況が理解できないせいだ。
さらにポカンと大きく口を開けた下柳に、
「これが勇者として召喚された今の俺だ」
良く理解できるように素敵なポージングを決めながら、鍛えぬいた筋肉を披露する。
「もう意味わかんない」
やっと涙を拭いた下柳に、俺は安堵の溜息を洩らし、
「正義の助けが必要なら、いつでも俺を呼べ」
そう言ってもっとカッコ良いポーズをとると、
「うん」
泣き笑いで頷く下柳の姿が、徐々に薄れてゆく。
「まったく、阿呆には道理も何も通用しないのかねえ…… 時空を超えて運命の糸を結び変えちまうし、閉鎖空間とはいえ意志の力だけで『魔法』を使用しちまった。規格外にも程があるだろう…… もう、見込みがあるのかないのかも、さっぱり判断できないねえ」
するとどこかから、けだるそうな声が聞こえ、
「じゃあ次は、もう一つ深い場所に潜ってみるかい」
――支配人が履いていた高下駄の音が「カラン」と響いた。
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