勇者の証明 1 プラダを着た小悪魔
「まあ、見ての通りあたいは人族ではないよ」
いつものソファーの上で気だるそうに足を組み替えると、支配人はニコリと笑った。
その姿は着物のような服を着崩し、いつものようにはだけた胸元と艶やかな太ももの内側が大胆に露出していて、妖艶な色気に満ちていたが……
頭上には羊のようにねじれた大きな角が二つあり、黒かった髪は血のような赤に変わっている。
真紅に変わった瞳はややツリ上がり、唇も真っ赤に染まっていた。
当社比、エロ度120パーセントアップだったが……
圧倒される迫力に、俺の肌がピリピリと音を立てて震えた。
店のスタッフ同士のきゃぴきゃぴ感あふれるガールズトークならぬボーイズトークでは、
「もし誰でもいいから好きな人を客にするとしたら」
その回答は、「支配人」がダントツだった。
大人の魅力に溢れ、優しく、面倒見の良い支配人は皆の憧れでもあったからだ。
俺に対しても、いつも気を使ってくれる。
しかし時折見せる冷たい眼差しは、この世界で会った誰よりも強大な何かを秘めていた。
「あまり驚いてないようだねえ」
俺の顔を見ると支配人はクスリと笑い、また足を組み替える。
魔族というのは妖艶に足を組み替える術を持っているのだろうか?
そう…… 支配人が人族でなかったことに驚きはない。むしろこの世界の人族の女性と違い過ぎて悩んでいたぐらいだ。
しかし今、俺はそれ以外の謎と戦っている。
「果たしてパンツは履いているのだろうか」
着物を着る際にはパンツを履かないなんて話を前世で聞いたことがある。
太ももの奥の見えちゃいそうな何かを……
俺は鋭い視線で眺めながら、彼女の話を聞いた。
+++ +++ +++
支配人の話では昔この世界で女神と初代勇者が魔王と戦い、勇者側が勝利を収めた。
「と言っても、完全にあたいの命を奪うことができなかったんだろうねえ」
その魔王は力を制御され、帝都のとある土地に縛られる。
改心し、人族に仇を出さないと誓うまではその束縛は解けないと言う。
それはただ言葉や気持ちで表すものではなく、また人族に危機が訪れた時に、その力になる…… そんな、具体的な何かが必要だった。
そして時は流れ、初代勇者が皇帝となり人族の街が栄え始めた頃、魔族領に新たな魔王が誕生する。
それは今までのような魔族を治める『王』ではなく、圧縮された『恐怖』のような存在だった。
「あれは世界の大きな歪さ」
しかし初代勇者の末裔は封印された魔王をこの地に縛り続けているため、帝都を出ることができない。
そして、人族からは勇者となり得るものが誕生しなかった。
業を煮やした教会が禁呪であった召喚の門を設置し、女神の力を利用して勇者を呼び出したのが、
「更なる歪みの始まりだねえ」
しかし未だに、誰一人として新たな魔王を討伐することはできていない。
「何人かは魔王との対決の際、難を逃れて生き残ったようだが…… 異世界から来た罪もない人々が命を散らしただけさ」
元魔王は人族の危機を救うべく勇者の試練として、その力を授けることを女神から求められていたが、
「皆に均等にチャンスを与えたが、あたいに直接教えを乞うてきたのはあんたが初めてだね」
どうも、そういうことらしい。
――なんだか、この異世界で聞いた話の中で最も正しい『設定』のような気がした。
「じゃあ俺に」
魔術を教えてくれるんですか、そう言おうとすると、
「それにはいくつか条件があるよ」
支配人…… いや、エロ過ぎる元魔王はニヤリと笑って組んでいた脚を戻した。
おかげで更に裾が開き、見ちゃいけないゾーンがあと一歩まで迫る……
紳士な俺は見ないふりをして、そこに神経を集中した。
「そもそも勇者とはなんだろうねえ」
すると、プカリとキセルをくゆらせながら元魔王が聞いてくる。
「魔王を討伐する力を持つ者…… で、しょうか?」
ファンタジーゲームや漫画の設定ではだいたいそんな感じだ。
俺の言葉に元魔王は楽しそうに笑い。
「間違ってはいないがねえ、本物の勇者とはなんだい」
「真の恐怖を知り、それを乗り越え、偉業を成すもの」
俺は昔下柳から聞いた勇者の定義を口にした。
するとまた足を妖艶に組み替え、ニヤリと笑う。
ついつい視線が泳いでしまう俺を、楽しんでいるような気もしてならない。
もう、わざとやってないだろうか…… それ。
「まあそれで大体あってるであろう。今の魔王は『恐怖』そのものが具現化したものさ。それを倒すのであれば、本物の勇気が必要となる。そしてこの歪みを正すには、やはり真なる勇者が必要なのだろう」
元魔王は灰皿をパチンとキセルで叩くと、
「魔法を教えてやる条件は、あんたに勇者の資格があるかどうかさ。まずはそれを調べる試練を課さねばならん…… 受けてみるか?」
「もちろんです」
「簡単なものではない、これで命を落とすこともあるだろう」
「お願いします」
即答すると元魔王は俺の目を覗き込んで、フンと鼻を鳴らし。
「やはりお前には何かが欠けている。いや、逃げていると言った方がいいか」
そして、少し悲しそうに微笑んだ。
髪に刺していたかんざしを抜き、大きな剣に変えると、
「試練はお前の中にある『邪』をこの剣で滅ぼすことだ」
ため息混じりにそれを俺に渡そうとしたが、
「俺は剣を使えません」
それはどう見てもただの剣ではなかった。
聖剣とか魔剣とか…… 使用するのに魔力が必要になりそうなものに見える。
「それもそうだな、ではこうしようか」
元魔王はそう言うと剣を拳銃に変える。
「これなら使えるだろう」
それは真美ちゃんの召喚した武器と同じ造りだ。
真美ちゃんが召喚した武器は、持つだけでその使用方法がわかる。
それも真美ちゃんのチート能力の一つらしい。
やはり殺傷能力のある武器を手にするのは違和感があったが、これが求められる試練に必要なら仕方がないのだろう。
あの時持った瞬間に理解できた使用方法を思い出しながら、安全装置を操作してマガジンを抜きとり残弾を確認すると、俺はそれを胸ポケットにしまった。
「わかりました」
もう一度頭を下げると、
「試練が無理だと思えばいつでもそう叫べ、魔法を教えることも勇者になることも不可能だが、命だけは助けてやる」
その言葉と同時に浮遊感が俺を襲い……
視界が暗転した。
+++ +++ +++
ここは俺の心の中…… たぶん前世での記憶の世界だろう。
「その程度の書類、もっと早くまとめられないのか? もう三年もここにいるのになあ」
一番初めの職場の上司がバカにした顔で俺を見る。
つられてほかの社員から小さな失笑が聞こえてきた。
胸ポケットにしまった拳銃が揺れた気がしたが、
「申し訳ありません、気がかりなことがありまして」
俺はそう言って書類にもう一度目を落とす。
その頃俺は保険会社の調査部にいた。
そう言うと聞こえの良い仕事のようだが…… 実際は不良顧客のクレーム対応が俺の仕事だった。
嘘をついて保険金を奪おうとする者。
わざと事故を起こして、保険を受け取ろうとする者。
中には組織的な反社会的勢力もいた。
会社が保険金を支払わないと決めると通常それを営業が説明するが、そこでクレームをつけ、上記のような証拠がそろっていると俺に仕事が回ってくる。
しかし誰もがいい加減にこなしていた『証拠』の整理や『顧客の意見』の聞き取りも、俺は時間をかけて丁寧に行っていた。
紳士として確実な仕事をこなすのが、その頃の俺のプライドだったからだろう。
同期は仕事に嫌気がさしたのか、退職するか何とか別部署に移動して、残っているのは俺だけだったが、この仕事に対して特に不満がなかった。
ひょっとしたらその頃、俺は誰かに叱られる必要があると思っていたのかもしれない。
それが先生の突然の死によるものなのか、俺の生い立ちのせいなのか…… 俺には分からなかったが……
しかしある日、明らかな会社の調査ミスだとわかる案件にぶち当たって、それを報告すると急に社内の風当たりが強くなる。
もともとそりが合わなかった上司は、俺を追い込むことに何か楽しみを見出しているようだった。
そのせいで、さすがに仕事がしずらくなった頃。
新たな案件の調査に向かうと、突然サラリとしたロングヘアーに一目で高級だとわかるビジネススーツを着こなした二十代半ばの派手目の美女に話しかけられた。
昼下がりの住宅街の路地で逆ナンパでもないだろうと首をひねると、
「怪しまないでほしい。私は興信所の者で…… まあ、ありていに言うとキミをスカウトに来たのだが」
その女性は名刺を差し出し、ニヤリと微笑む。
「前回の保険金詐欺疑惑の調査も流石だったね、あれはあたしたちも見逃していた。それから失礼だとは思ったがあなたの素性と会社でのポジションを調べさせてもらった。あんな場所で仕事するより良い待遇と給料を提示できる。話を聞いてくれないか」
近付くと女性は動きやすそうなかかとの低い靴を履いていたが、百七十八センチある俺の目線と変わらないぐらいの高さに大きな瞳がある。
名刺を確認するとそこは大手企業の傘下にある有名興信所で、彼女はそこの社員だったが……
目を引くスラリとしたプロポーションに真っ直ぐな姿勢と派手な目鼻立ち。嫌味無く
「怪しい宗教に入信する予定も壺を買う金もありませんが、よろしいですか」
念のため確認すると、
「あはは、キミは思ったよりも面白いやつだな」
その女性は豪快に大きく口をあけて笑った。
――美しい人だが、屈託がなさ過ぎて色気がないな。
それが彼女の第一印象で、俺の二つ目の職場の同僚であり相棒であった下柳ヒカルとの出会いだ。
そしてまた……
ぐらりと音を立てて、胸ポケットの拳銃と俺の心が揺れる。
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