謎が深まるばかり

 夢の中でこれが夢だと自覚している。


 冷え切った体を覗き込む先生が、

「まあ普通は、飛び込む勇気なんて出ないのだが」

 苦笑いしながらそう言った。


 その懐かしい姿に俺が手を伸ばそうとすると、やがてその顔が揺らぎ、

「だからキミはダメなんだ、もっと自分を大切にしないと」


 元同僚だった下柳が悲しそうに微笑む。

 俺がそれに対して文句を言おうとしても……


 どうしても上手く声が出ない。


 必死にもがいていると、俺の顔を覗き込んでいた下柳が立ち上がり、

「もう会うことはないだろ」


 ――あの日のように、立ち去ろうとした。


 追いかけようと立ち上がったが、手足が上手く動かずなかなか近付けない。


 やっとその背をとらえると、振り返ったのは古い記憶の母だった。

「こんなお母さんでごめんね」

 母に抱き上げられた俺は、五歳ぐらいの手足の長さしかない。


 あざだらけの小さな体を見下ろし、それで走りにくかったのだとため息をつく。


 辺りを見回すとそこは子供の頃よく遊んだ駅裏の小さな公園で、すえたゴミの臭いが漂い、背の高いビルの隙間から真っ赤な夕日が差し込んでいる。


 眩しさにしかめた目を何とか開けながら、抱きしめた母の頬にそっと手を置くと…… 頬にザリザりとしたひげの剃り残しがあった。


 うーん、母はそこまでワイルドじゃなかったはずだが。


 もう一度よく顔を見ると、

「アキラ、ようやく気付いたか。その、なんだ、今支配人を呼んでくる」


 口ひげを蓄えたダンディなエリック座長が……



 何故かポッと顔を赤らめながら、照れくさそうにそう言った。



  +++  +++  +++



 その部屋は十畳ぐらいしかなかった俺の部屋とは違い、広さは三倍ほどあり、天井も高く作りも調度品も豪華で、ベッドも大人三人は余裕で休めそうなほど大きかった。


「支配人、ここは?」


 着物のような服を着崩した美しい女性が、ベッドの横に置かれた豪華なカウチでキセルをくゆらせながら、

「空きの『部屋持ち』の接客室だよ。『呼び出し』のあんたがいた部屋は、フロアごとぶっ壊れちまったからねえ」

 煙と一緒にため息を吐き出した。


「申し訳ありません」

 俺が頭を下げると、支配人はけだるそうにもう一度ため息をつく。



 この遊郭最大の店『魅惑のバロン停』は、四つの館がある。


 一つ目は一階に居酒屋と事務所があり、二階と三階が「呼び出し」の住居兼客室となる『呼び出しの間』。

 こちらは総勢三十人ほどが寝泊まりしている。


 二つ目は今俺がいる「部屋持ち」が客を接待する『客間』。一階と二階がこの豪華な客室で、三階が部屋持ちの住居になっている。

 部屋持ちと呼ばれる上級芸者は十人といないそうだが、建物は俺たちが住んでいる館と同規模だ。


 そして最奥部に二つ、『西の太夫たゆう』と『東の太夫たゆう』が住む別館がある。

 規模はどちらも同じだが、この『魅惑のバロン停』で最も豪華な場所で、館の前には美しい庭も整備されている。


 西の庭には薔薇が咲き誇り建物も洋風で『薔薇の館』と呼ばれ、東の庭には同じように椿が咲き建物は和風で『椿の館』と呼ばれていた。


 また太夫たゆうクラスになると一晩で数十万ペルから数百ペルの料金になり、しかも金があるだけでは予約も取れないそうだ。


 この辺りは江戸時代の高級遊郭とどこか似ている。



「あんたがオークションで落札されてすぐ、ニーナがあたいのところに血相を変えて飛び込んできてねえ。聞けば聖女に化けたデーモンがいるとかなんとか」


 支配人の話では、やはりニーナさんはあの時点で悪魔の正体に気付いていたようだ。その後真美ちゃんや魅惑のバロン停の人たちと組んで、俺の部屋を警備したそうだが……


「まさかこんなことになるとは。金髪の嬢ちゃんは仕返しがどうとか言って鼻息が荒かったし、勇者の嬢ちゃんは『許せない』とかなんとかブツブツ言って、妙なモンをぽいぽい召喚しだすから、悪い予感はしてたけど」


「重ねてご迷惑おかけして申し訳ありません。それで怪我人や被害は」

 俺がもう一度謝り、気になっていたことを聞く。


「あんたが寝込んじまっただけだね。目を覚ます前に回復士に見てもらったが、擦り傷ひとつ無いそうだ。呼び出しの館の修復費は全て勇者の嬢ちゃんが立て替えて行ったよ。ついでに迷惑料とか言って一階の客全員におごり、店の人間にチップを払った。あれだけもらえれば腕のいい魔法修復士を何人も呼べる。だからその辺りのことは気にすることはないが」


 支配人はそこまで話すと、灰皿をパチンとキセルではじいた。


「何か問題が……」


 恐る恐る聞き返すと、

「回復士には一応安静にしとけって言われたんで見舞いを断ってるんだが、さっきからひっきりなしさね。断るのももう面倒だ、あんたが起きれそうなら対応しておくれ」


 支配人はあきれたようにそう言うとゆっくりと立ち上がり、

「それがおわったら顔だしな、あの勇者の嬢ちゃんには内緒なんだろ、例の仮面はあたいが預かってる」


 そう言って、またけだるそうに歩いて行く。



 俺は支配人のゆっくりと揺れる大きなお尻に、深く頭を下げた。



  +++  +++  +++



 一番初めに駆け寄ってきたのはミッシェルちゃんだった。

「兄貴、よかったー! 噂じゃあ、魔王の大軍勢が攻めてきて聖女様や勇者様がここで戦ったって。兄貴も活躍したけど、怪我しちまったって……」

 そう言いながら半泣きで抱き着いてくる。


 チューブトップに詰め込まれた胸に押しつぶされ呼吸が困難になったが、せっかくのご厚意なのでその弾力をたっぷりと味わう。


「心配しなくても大丈夫だ。俺は怪我ひとつないし、おかげで随分活力が戻った」


 俺の言葉にミッシェルちゃんは首をひねったが、後ろにいたレナちゃんとマリーちゃんが、

「じゃあ、あたしたちも」

 嬉しそうな顔で順番に抱き着いてきたので、貧乳も巨乳も等しく素晴らしいものだと再認識させられた。


 しかし街でどんな噂が立っているのか、不安でならない。


 ミッシェルちゃんたちが帰ると以前戦ったお尋ね者の盗賊団の団長が現れた。


「お前を倒すのは私だ。それまでは、つかの間の栄光にでも浸っているのだな」

 真っ赤なボブカットの髪とビキニアーマーに詰め込まれた形の良い胸を揺らして、プイっと横を向く。


 見た目は十代後半だから、その態度は漫画やアニメとかのツンデレ娘のようだ。

 大きなツリ目もポイントが高い。


 まあここは男女の価値観がズレているのだから、きっと男らしい挑戦か何かだろうと思い、

「その日を待っています」

 俺が優雅に笑い返すと、彼女はその赤い瞳をパチクリとさせて、


「ふん、覚えていろ! 今日は見舞に来たんじゃなくて宣戦布告に来たんだからな」


 腰に手を当て、もう片方の手で俺を指さすと、ビキニアーマーからこぼれそうな大きな胸をゆさゆさ揺らしながら、更にツンデレのような発言をした。


 はて、やはり何かを間違った気がしたが…… それが何だかわからない。


 しかも何故あの仮面の紳士が俺だとわかったのだろう。

 完璧な変装だが、どこかで情報漏洩でもしているのだろうか?


 俺が首を傾げていると、同じような感じで以前戦った悪徳商人の用心棒をしていたブラウンの腰までのストレートにミニスカ騎士服の美女が来て、同じようなツンデレ態度をとった。


 こちらは切れ長の瞳の、二十歳ぐらいに見えるスレンダーさんだが……


 状況が良く解らないが、とりあえず、

「その日を待っています」

 そう優雅に答えると、似たような捨て台詞を残して去っていく。


 ――謎が深まるばかりだ。

 この世界では、ああいうのが流行ってるのだろうか。


 その間ニーナさんは部屋の隅でオロオロしていたが、訪問客が全ていなくなると、

「う、うむ。あなたはなかなかの人気者のようだな」

 ちょこんとベッドわきのカウチに腰掛ける。


「色々と迷惑をおかけしました」


 俺が頭を下げると、

「いや、迷惑をかけたのはむしろあたしたちだ」

 そう言って銀色の髪を揺らしながらペコリと頭を下げる。


「あの金髪の少女や真美ちゃ…… 勇者様は大丈夫でしたか」


「エリザベータ様も勇者様も怪我ひとつない。エリザベータ様は昨日のことをもとに聖女関連の調査と、あなたをもてなすための準備をしている。勇者様は事情聴取を含めて城に監禁された。教会側は今回の件を帝国の陰謀だと非難しているからな」


 そしてそっとシーツの中に手を入れてきた。


 俺は握られていた紙を受け取り、シーツの中で確認する。


 そこには美しい日本語で、

『この部屋は支配人の魔力配下にある。聞き耳を立てられたくないから、詳細は後で話す』

 そうつづられていた。


「もう体力も戻りましたし、店の皆に顔出ししたら約束通りそちらに伺います」


「そうか、楽しみにしている。異世界風の『O・MO・TE・NA・SHI』を用意している、期待してくれ」

 ニーナさんは少し恥ずかしそうにそう言ってから去っていった。


 おもてなし?



 俺は妙にきれいな日本語のメモをもう一度確認して、首をひねった。



  +++  +++  +++



 部屋を出ると、迷惑をかけた店の人たちに挨拶をして回った。


 マークは俺が怪我していなかったことに安堵すると、

「気にしなくていいよ。むしろ迷惑料とか言って勇者ちゃんからチップをもらったから、嬉しいぐらいだ」

 そう言って笑った。


 エリック座長は、

「お前はもっと慎重に生きていかねえと、危なっかしくって見てられねえ」

 何故か頬を赤らめながらそう言った。


 その態度は見舞に来たツンデレ風美少女たちと同じ感じだった。

 やはりそう言うのがこの世界で流行ってるのだろう。


 気にすることじゃないかもしれない。


 背筋に何かぬるっとした嫌な感覚が走ったが……

 きっとあの悪魔の術の後遺症だ。


 そして数人の仲間に挨拶して、支配人室の前で足を止める。



 座長にも言われたが、夢に出てきた先生や下柳にも過去何度か言われた。

 どうやら俺は他人から見ると行動が危なっかしいそうだ。


 そしてそう助言されたときは、自覚がないがだいたいピンチに陥っている。


 今まで無心に筋トレや情報収集をしていたが、この方法では限界が来ているのだろう。


 あの悪魔を二回も逃がしてしまったし、命の危険もあった。教会や帝国、魔族などの正確な情報をつかむには、こちらもこのままでは無理がある。


「漫画やゲームなら、この辺りでレベルアップのイベントがあるのだが」

 この世界も厳しくて、なかなかテンプレどおりにはいかない。


 しかし「当たって砕けろ」とも、「虎穴に入らざれば虎子を得ず」ともいう。


 この世界に来て最も脅威だと感じたもの。

 それは初めてこの世界に来た際に合った「陛下」でも、あの悪魔だった「聖女」でもなく、勇者となった真美ちゃんやニーナさんでもない。


 これも無謀な突込みかもしれないが…… それ以外に現状を打破する案が浮かばなかった。


「失礼します」


 俺は支配人室のドアを開けて、その畏怖の対象に頭を下げる。


「なんだい、あらたまって」

 なかなか頭を上げない俺に何かを感じたのか、支配人は不思議そうに聞いてきた。


「俺に魔術を教えてください」

「何を言うかと思えば、魔力を待たぬ男がいったい」


「必要なのは俺が魔法を使う事じゃなくて、魔法に対抗できることです」


 もう一度深く頭を下げると、

「あのバカ女神から何か聞いたのかい?」

 けだるそうな声が返ってきた。


「いえ……」

 質問の意図が分からなく、圧倒されるような雰囲気に動揺する。


 しかし歯を食いしばってその場で頭を下げ続けていると、


「あたいが何者なのか、知らぬのか」

 小さな笑い声が聞こえた。


「まあ良いか、今の魔王になって五十年以上経つが、あの門をくぐった者であたいまでたどり着けたのはあんたが初めてだからねえ。それが男だって言うのも、何かの運命かも知れない」


 顔を上げると……


 そこには着物のような服を着た、頭に大きな二本の角を持つ妖艶な美女がキセルをくゆらせていた。



 ――どうやらこの世界に来て初めて、俺はテンプレどおりの当たりを引けたらしい。

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