勇者の証明 3  赤い糸消えた

 支配人の言葉に引きずられるように、どこかへ落下する感覚が俺を襲う。


 暗闇が晴れると、目についたのはチカチカと点滅を繰り返す消えかけの蛍光灯と、その下にある洗い物が散乱したキッチンだった。


「そもそも恐怖を抱かぬ理由、悪に対する特殊な考え方…… その原因はここにあるようだねえ。『邪』とは正しくない…… 心の歪みを指すものだよ」


 そしてそんなけだるい言葉の後、見覚えのあるボロアパートの中で、俺はまた大気に溶け込むように少し高い視点で部屋を見下ろしていることに気付く。


「あれは……」

 ダイニングテーブルの下に、痩せたあざだらけの少年がソフトビニールの人形をもって震えていた。


「二十年前の記憶だよ」

 その声に思わず俺は首をひねる。


 確かにここは母と二人で住んでいたアパートだ。

 だが少年の姿は六歳だった俺の記憶とあまりにもかけ離れているし、握りしめている人形にも見覚えがない。


 その人形はアメコミのヒーローのようで、マスクにマントをひるがえし、全身にまとったタイツの下には鍛え抜かれたマッスルが見て取れた。


 しばらくするとドカドカと乱暴な足音が響き、

「こんなところに居やがったのか、くそっ、相変わらず辛気臭い顔しやがって」

 その若い男は少年の足を乱暴につかんで、テーブルの下から引きずり出す。


 少年の目は焦点が合って無く、どこか微笑んでいるようにも見えた。


「やめて!」

 その後ろを追いかけてきた母が、若い男の背中にしがみつくと、

「こんなガキはとっととどこかに捨てちまいな」

 男はそう言って母を殴った。


 その時初めて、少年の目に生命の灯がともる。

「ぐおおおおっ」


 獣のような雄叫びをあげ、少年は男に襲い掛かったが、

「本当に気持ち悪いガキだ」


 男の蹴りで腹を殴打すると…… あっさりと動かなくなる。

 あれじゃあ呼吸は出来なくなるし、最悪あばら骨が折れたかもしれない。


 あまりのことに俺の心臓の鼓動が早まり、連動するようにポケットにあった拳銃が脈打った。


「アキラちゃんには手を出さないで」


 母の悲痛な叫びに思わず胸の拳銃を取り出す。

 すると俺は、薄っすらとした実態をもってキッチンの隅に佇んでいた。


「さて、恐怖はどこにあるのか、悪とは何か、打ち抜くべき『邪』は何か。良く考えるんだねえ」


 拳銃を握った手が震える。

 俺は何かに恐怖してるのだろうか?


 また音が消えて時間の流れがスローモーションになると、少年がゆっくりと顔を上げて俺を見た。


「おじさんは誰?」

 その傷だらけの顔を見つめていたら……



 心の中で閉じていた何かが、カチリと音を立てて開いた。



  +++  +++  +++



 俺の足元に転がっていた人形を拾い上げる。


 何故思い出さなかったのかもわからないほど懐かしいそいつは、俺のたった一人の親友。

 いつもピンチから俺を救ってくれた『謎の仮面さん』だ。


 そしてどこか俺に似ている少年は、間違いなく…… 六歳の頃の俺だった。


「思い出せたかねえ」

 その声に振り返ると、鎖でがんじがらめに縛られた古びたおもちゃ箱に座る支配人…… いや、元魔王がキセルをくゆらせながら妖艶に足を組み替えた。


「どうして俺はこんな大切なことを忘れていたのだろう」


「魔族でも人族でも…… この世界の人間だろうと、同じなんだねえ。子供の頃に辛すぎる出来事が重なると、心の器が壊れちまう。すると壊れそうになった器は別の容器を作って、そこに思い出を閉じ込めちまうのさ」


 元魔王は寂しそうな顔をして、座っていた箱を撫ぜた。


 心的外傷後ストレス障害「PTSD」は良く知っている。

 中学に入る前にカウンセラーだという大人が訪れて何度も母や俺に説明したし、自分で調べたこともあったが……


 多少の症状はあるかもしれないという認識で、ここまでとは思っていなかった。


 もうこれは解離性障害一歩手前。

 ――いや、自覚がないだけで多重人格障害かもしれない。


「そんな魔族や人族を多く見てきたよ。そしてそいつらは大概自分の怪我の深さを理解できていない」


 手に持っていた『謎の仮面さん』が姿を消し、拳銃だけが残る。


「さあて、その銃で何を打つのだ」

 元魔王が微笑み、俺の手は拳銃の安全装置を外してハンマーをスライドさせ、銃弾を装填させた。


 後はもう引き金を引くだけだ。


 目に映るのは……

 名前も顔も思い出せないケチなチンピラと、それにしがみつくまだ若い頃の母。

 そしてそれを感情の消えた顔で眺める、幼い頃の俺。


 それ以外この場所に居るのは、元魔王と俺だけだった。



 『邪』とは、正しくない心の歪みを指すもなら……


 恐怖に立ち向かう勇気があるのではなくて、俺は『恐怖』を切り離して、逃げていただけだ。


 悪に対する考え方も、俺の心の中に正義があったわけじゃない。正論を唱え、正しくあろうと行動することで精神のバランスを保っていただけだ。


 ――なら『邪』はどこにある。

 悩みこむ俺に、どこかから先生の声が聞こえた気がした。


「紳士たれ!」


 そう、おれは紳士なんかじゃない。勇気もなければ正義感もない。


 だがあの時先生は、「紳士」だと俺を完全に認めたわけじゃなかった。

 紳士にふるまおうとする俺を見て、「紳士たれ」と伝えたのだ。


 先生は、俺の生い立ちも知っていたしカウンセラーの人たちとも連絡を取り合っていた。

 なら、きっとこんな浅はかな俺の考えぐらい読み切っていただろう。


 と、なると…… この試練に対する答えはこうだ。



 自分の胸に拳銃を突きつけると、元魔王はため息をつきながら首を横に振ったが、俺は迷わず、その引き金を引いた。



  +++  +++  +++



 俺のマッスル・ハートが強く震える。


 体は焼けるように熱かったが、思った通り弾丸は俺の素晴らしい大胸筋に負け、コトリと音を立てて床に落ちた。


 それを見た元魔王がアホみたいにポカンと口を開けたが、


「この鍛えられたマッスルで銃弾も『邪』も跳ね返して見せましょう!」

 これが試練の答えだとカッコ良いポーズを決めると。


「そんな……」

 元魔王はキセルをポトリと落として、パクパクと口で息をした。


 きっと俺のカッコ良さに見とれてしまったのだろう。

 なんだか金魚みたいで可愛かったが、試練はこれで終わりじゃないはずだ。


 俺は元魔王に近寄り、

「な、何を、どうするつもりだ」

 座っていた箱からどいてもらうと、


「マッスル・ブレイク!」

 鎖を引きちぎり、おもちゃ箱のふたを開ける。


 そこには顔も名前も思い出せない母が連れ込んだ男たちや、俺をイジメていた小中学校のクラスメイト。

 高校で俺をバカにしていた柔道部の部員や顧問が順番に飛び出てきた。


 彼らを俺は順番に抱擁して、熱いマッスル・ハートにしまい込む。

 そう、勇者とは『恐怖』を知り、それを『乗り越える』ものだ。


 そして最初の職場の上司や、二つ目の職場の上司、不正で捕まったクライアントや最後の仕事で俺をホテルに誘ったマダムたちを優しく包み込むと……


 ひとりひとりに結ばれていた赤い糸が消え、箱の底にアメコミのヒーローのようなソフトビニールの安っぽい人形がだけが残る。


 それを拾い上げると、

「ねえ、おじさんも僕を殴るの」

 後ろから感情の消えた瞳の少年が話しかけてきた。


「俺は紳士だからそんなことはしない」

 そう言うと少年は不思議そうに首をひねったが、


「マッスル・ハグ!」

 俺の鍛え抜かれた筋肉で優しく抱きしめると、少年はニコリと笑って俺の中に溶け込んでいった。


 ポロリと誰かの涙が床に落ちた気がしたが……



「まったく、阿呆には道理が通用せん」

 あきれたような声が聞こえると、固まっていた俺の身体が動き出す。


 床に座った元魔王はM字開脚状態で、着物もかなりはだけてるせいで……


 もう、見ちゃいけない場所がほとんど見えそうになっていたが、紳士な俺はそこから何とか視線を外して優雅に腰を折った。


「これが勇者の試練の、俺の答えです」


「斜め上過ぎて…… いや、斜め下過ぎてどう判断すべきか迷うが」


 俺は腰を折って頭を下げたまま、元魔王に答える。

「この試練のおかげでまた一歩近づけた気がします、心からお礼申し上げます。今回は勇者の試練でしたが、そもそも勇者になるのも今の魔王を倒すのも、俺にとっては『手段』だと改めて分かりました」


「ほう、勇者が手段なら『目的』はなんだ」

 その質問に、俺は素直に答えた。


「真の紳士に近付くことです」


 そう、相手に気持ちをちゃんと伝えることも、今の俺にかけている部分だ。

 魔法に対抗する手段が欲しくて、彼女を騙したり誤解させたりしてはいけないだろう。


「その真の紳士とやらは、何をなす」

「秩序を…… 秩序を取り戻します」


 世の中は常に歪んでいた、そしてそれはどの世界でも同じだった。

 それを受け入れたとしても、そこから何かを求めるのは罪なのだろうか。


 真美ちゃんやニーナさんや、あの金髪美少女やミッシェルちゃんの顔が思い浮かぶ。今目の前にいる妖艶な女性も、何かに苦しんでいるようにしか見えない。


 彼女たちが苦しむのは間違っている。


 その歪みを正し秩序を取り戻すのが、きっと先生が言った『紳士』だろう。

 そしてそれが、俺の求める紳士道だ。


「まあ良かろう、過程はどうあれ結果は試練を果たしたと言えるものだ」

 ため息交じりの声に俺は顔を上げ、預かっていた拳銃を返すと元魔王に手を差し伸べる。


 もうそんな恰好で座ってると、太ももの奥が見えちゃいそうで気が気でない。


 元魔王は立ち上がると、

「ではこの元魔王ケーオス・バルキリアの弟子として認め、加護を与えよう」


 そう言って手にした銃を盾に変え、

「うーん、これも違うか」

 ブツブツ言うと、次は黒い布に変える。


「紳士なら、これが似合うだろうねえ」

 それはソフトビニールのヒーローがつけていたマントにどこか似ていた。


 紳士にマント、確かにそれは良い組み合わせに思える。


「それからマスクにも細工をしておいたよ。どうせあのおっちょこちょいな用心棒のところに行くのだろう」

 元魔王、ケーオスと名乗った妖艶な女性はマスクとマントを俺に手渡すと、またため息をつく。


 俺はそれを受け取り…… 顔を赤らめた。

 もうケーオスの着ている服がはだけすぎていて、いろいろと見えちゃっている。


 いい加減襟を戻してほしいと思い、チラチラ視線を送ると、

「な、なにをみておるだ。そ、そうか、おぬしはこちらの世界の男だったな」


 恥ずかしそうに服装を直し、赤らんだ顔で俺を睨む。


 やはりパンツを履いてなかったし、胸は大きく張りもあり、形も素晴らしかった。

 その素晴らしさは伝えないで、そっと俺の心の中にしまっておいたが、あたふたする態度は萌えポイントが高すぎる。


 こちらは素直に言うべきか悩んだが、とりあえず、

「色々とありがとうございます」


 弟子にしてくれたお礼と、見ちゃいけない場所が見えたお礼と、可愛らしい照れ顔が見れた三重のお礼を深々とする。


「この阿呆が!」


 しかし彼女は更に顔を赤らめて、俺の頭をパチンと弾いた。

 やはりコミュニケーションは難しいなと、悩みこんでいたら……



 カランと高下駄が響いて、また世界が暗転した。

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