第13話顔

「昨晩○○市で起きた通り魔事件について、新たな情報が入りました。容疑者は○×○×氏(22歳)。現在、警察による取調べが行われています。容疑者は『第一希望の会社に就職できなかった。俺の人生は終わりだ。何人か殺して、自分も死のうと思った』などと供述しており…」


 テレビに映し出される、容疑者の顔。角刈りの頭に、短い眉。瞼に大きな傷があって、左目は半分までしか開いていない。口は力なく開いて、なんだか嘲笑われているようだった。


「容疑者は幼少期から両親に虐待を受けており、将来の進路などについて、『○○へ進学できなければ飯はやらない、○○へ就職できなければ殺す』などと、脅されていたという取材情報が…」


 顔。忘れもしない、顔。


 私は怖くなってテレビを消した。暗くなった画面に、自分の真っ白な顔が写る。なんて醜い顔だろう。焦燥している。

 本当にさっきの顔は、あの時の、彼なのか…?容疑者は○×○×……間違いない。変わった苗字だから忘れるはずがない。ただ、信じたくないだけ。


 自分のせいで人が死んだなんて。


 ◇◇◇


「失礼します」


 ハキハキとした声で面接室に入ってきたのは、いかにも善人そうな、優しそうな男だった。

 さっぱりとした角刈りの頭、短く整えられた眉。慣れないリクルートスーツがぎこちない皺を作っている。


「どうぞ、おかけください」


「ありがとうございます」


 男はにこりと笑う。なんて自然な笑顔なのだろう。こんなに自然に笑えるなら、きっとこの会社はぴったりだ。この会社に勤めるなら、どんな時もお客様のために、笑顔でいなければならない。


 それができないから私は、人事部に飛ばされた。


 私は元々接客の仕事がやりたくて、この会社を受けた。ずっと憧れていた職種だったから、普段の陰鬱な私を壊すために、学生時代はそれなりに努力した。やっとの思いで漕ぎ着けた就職面接でも、自分じゃないみたいにハキハキ喋って、自分じゃないみたいに笑って、私は自分の素晴らしい部分だけを丁寧に選びとって話した。


 そのおかげか、無事内定を得ることができた。


 憧れの接客ではなく、人事として。


 内定の通知が来た時、私は両親に報告して喜んだあと、ひとりで泣いた。どうして。何がいけなかったのだろう。あんなに努力したのに、一体何が足りなかったのだろう?一緒に面接を受けたどんな就活生よりも、真摯に受け答えをしたし、笑顔でいたし、接客に向いている人間のはずだった。


 悔しかった。でも私は結局、条件の良かったその会社に就職した。いつか適性が認められたら、接客ができる日が来るかもしれない。夢を諦められなかったのだ。叶うはずもない、淡い期待を寄せていた。


 でも入社式の日、私は自分が落とされた理由を悟った。


 いわゆる顔採用だった。


 接客の子達はみんな綺麗で、整った顔をしていた。ああ、なるほどなと思った。私みたいな顔は、会社の顔として人前に出すのも憚られるんだなと思った。私はお世辞にも美人とは言えない。いびつな笑顔しかできない。もしかしたらこんな顔の人間が接客を志すこと自体、選ぶ側から嘲笑われていたのかもしれない。

 怒りが沸々と込み上がってきた。でも同時に、何か大切なものをへし折られた気がして、色々なことがどうでも良くなったのも事実だ。社会人ってこういうことなんだな、と妙に納得してしまった。




 だから彼の顔を見た瞬間、駄目だなと思った。


 瞼に大きな傷があって、左目は半分までしか開いていない。唇が歪な形に結ばれている。


 こんな顔の人間、この会社にはいらない。


「○×○×さんですね。変わったお名前ですね」

「ええ。よく言われます」


 彼は優しそうに笑顔を作った。なんて純粋な笑顔だろう。性格が顔に滲み出ているというのは、こういうことを言うのだと思った。この人はこの社会の真っ暗な部分なんて、何にも知らないんだろうなと思った。今私が、彼の顔を見て不採用を決めたことも。


「では簡単に自己紹介と、志望動機をお願いします」


「はい。○○大学○○学科の…」


 私は新入社員の面接を任されて、すでに6年が経過していた。

 会社から若干の悪意を感じつつも、私は大人しく、大人自分がされたことを同様に就活生に仕返していた。

 世の中には色んな人間がいると知った。顔が綺麗だけど中身が偏った人間、不細工だけどとても誠実な人間。一番辛かったのは、大概はそれなりに顔もよくて、中身もいい人間だったということだ。私みたいな顔で、私みたいに捻くれている人間はあまりいなかった。面接だからだろうか。まあなんでもいいや。仕事をしていくうちに、自分がどんどん濁っていくのを感じていた。


「私は御社の事業内容に…」


 男は希望に満ち溢れた目をこちらに向けながら喋り続ける。可哀想だなと思った。だって君はどれだけ頑張ってもこの会社には入れない。君みたいな顔の人間は、いらないんだ。そう思うと、彼の異様に熱くて長い志望動機も自然と耳から滑り落ちていくようになった。


 とはいえ一応形式的に面接は行った。対応があまりに適当だと会社の信用にも関わりかねない。


「では、これで面接を終わります。ありがとうございました」


「ありがとうございました」


 彼は絵に描いたような美しいお辞儀をした。きっと育ちがいいのだろうなと思った。


 ◇◇◇


 その彼が昨日、人を殺した。4人も殺した。


 リクルートスーツに身を包んだ希望溢れる若者は、たった数日で4人の命を道連れに自らの命も絶とうとした、最悪の通り魔になった。

 ちょっと信じられなかった。これはきっと、よくできたフィクションなのだと思った。だってあり得ないじゃないか。本当に人違いだと思った。あんな優しそうな彼が、人殺しなんて、信じられなかった。


 数日間で彼に何があったか。わからない。でもその間、確かに、不採用という文字の書かれた面接結果が、彼に送り届けられた。それだけはわかる。私が送ったのだ。


『第一希望の会社に就職できなかった。俺の人生は終わりだ。何人か殺して、自分も死のうと思った』


 淡々とニュースを読み上げるアナウンサーの声が、呪詛みたいに張り付く。耳から脳まで埋め尽くす。何度も反響して錯乱していく。


 希望する進路に就職できなかったから人を殺す?信じられない。人間としてどうかしている。


 どうかしている。


 私もどうかしている。


 私は上司に彼の不採用を伝えた時、理由を説明できなかった。ちゃんと聞いていなかったのだ。彼が何を志して生き、彼がどうしてこの会社を見つけ、どうして面接を受け、私に何を伝えようとしていたのか。何も聞いていなかった。面接の間、私は彼の顔を理由に、彼ときちんと向き合わなかったのだ。

 彼はどんな気持ちだっただろうか。面接官の私におざなりにされて、どう思ったのだろうか。


『両親から○○へ就職できなければ殺す、などと、脅されていたと…』


 育ちがいい?違う。全部彼の努力だったのだ。自然な笑顔も、明るい性格も、優しそうな雰囲気も、全部彼自身の力で獲得したものだったのだ。


 …いや、メディアの言うことをそんなに簡単に信じるのか?視聴者の不安を煽るために、少し過激な内容を放送しているんじゃないのか?

 そもそも複雑な家庭の事情があったとか、そんなこと知るか。知ってたまるか。だからなんだ?私が悪いのか?私が彼を追い詰めたのか?私のせいで、彼は人を殺したのか…?私のせい…?なのか……?私のせいで、関係のない人が4人も殺されたのか……?


 いや、それは違う。殺したのは彼なのだ。そもそもなぜ人を殺さなければならなかった?死にたければ勝手に死ねばよかったじゃないか。彼が殺したくて殺しただけ。1人で勝手に追い詰められただけ。私に一切の罪はない。私が法で裁かれることはないのだ。


 でも。


 ……だけど。



 もしあの時、彼の話をきちんと聞いていれば。


 もしあの時、彼ときちんと向き合っていれば。



 私は考えるのをやめた。


 これまで通り、私は私を生きることにした。醜い顔で、醜い私を生きることにした。

 でも彼が人殺しになったあの日から、私は自分が明確に変形してしまったように感じる。もちろん私は誰からも責められなかったし、世間に見つかることもなかった。誰からも、何も言われなかった。


 でも、折に触れてあの時のことが頭をよぎる。あの時ああしていれば。こうしていれば。


 私のせいじゃない。口で言うのは簡単だ。でも、頭がその意味をうまく理解できない。彼の明るい未来と、4人の命。もし私が違う選択をしていたら、今も存続していたかもしれないたくさんの可能性たち……


 気持ち悪くなって吐く。他人から説得されても、理解させられても、何の効果もない。どうしようもないのだ。

 今でもよく、夢に見る。夜中にうなされて起きるんだ。忘れられない、顔。彼の顔。いつしか心の中にまで住み着いた、優しそうなあの顔が、優しそうなまま、私に言う。


「お前のせいだ。全部お前のせいなんだ」



ーーーーー


お話とテンションが違いすぎますが、顔も中身もイケメンな人に出会うと同性でもなんかキュンとしちゃいます。

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